エッセイ・四角い箱から
 
第10回 『音楽の力』
 


 昔、今からもう20年くらい前だろうか。私は、何かの理由で落ち込んでいた。何かの…と書いたのは、定かには思い出せないからだ。それでも鬱々として、外に出ることもおっくうだったことだけは覚えている。そんな私を一つの曲が救ってくれた。

 「泣いてばかりいたって幸せは来ないから、重いコート脱いで出かけませんか」可愛い女の子3人が唄うその曲は、『春一番』といった。別にそれを唄っていたキャンディーズというグループが、とりたてて好きだったわけではない。ただFMから流れてくるのを聞いていたのだ。それでも耳に留まったその歌詞は、沈んでいた心の重しを取り除いてくれた。

 元々私は、“見た”ことに強く反応する視覚人間ではなく、“聞いた”ことに心を動かす聴覚人間である。この場合読んだ文字も、画像ではないという意味において“聞いた”に入る。言葉―いや、日本語が好きなのだ。短歌や俳句が好きなのはそのせい。そして、短歌や俳句はいくら好きでもすべてを諳(そら)んじてはいないが、歌の場合は口ずさむことが出来る。旋律と共に、その曲に結びついている思い出や感情が甦ってくる。

 歌詞がついていなくとも、強く心を動かす曲もある。『FIFAアンセム』(タイトルはうろ覚えなので、違っているかもしれない)サッカーの国際試合の入場行進に使われている。初めて聞いたのは、アトランタ五輪の予選の時。前年の秋から急速にサッカーにはまった私は、翌96年3月、マレーシアで行われた予選を見に行った。“悲願”と呼ばれた五輪出場権、それを賭けて戦うU−23の若い選手達。その、胸に迫るシチュエーションで聞いた曲は、深く心に刻みつけられたものだった。

 あれから何度もその曲を耳にした。奇跡の起こったマイアミで、日本人で埋まったジョホールバルで、長い道のりの末たどり着いたフランスで。どのスタジアムで聞いても胸は高鳴ったが、やはり一番記憶に残るのは、クアラルンプールでの試合なのだ。まるでパブロフの犬のように、これを聞くと涙がこみ上げてくる。

 最近その曲のファイルを、インターネットでダウンロードした。仕事中繰り返し聞いていたので、さすがにもう涙ぐむことはないが、それでもマレーシアの熱い風や香辛料のにおいの漂う街角、流した汗や熱にうなされながら過ごした夜を、そのたびに思い出す。五輪出場権を得た喜びや、夢を叶えた選手達への賞賛の気持ちも。そして、思うのだ。「ああ、私も頑張ろう」。

 たった4分間の、たった8つの音階の組み合わせが、人の心をここまで動かす。それが音楽の力なのだ。とあるミュージシャンが言った。「中国でロックが禁止されているのは、それが暴動を起こすくらいの力を持っているからだ」と。目には見えない、形には残らない、だからこそ何によっても消滅させることの出来ないエネルギーが、この世にはあるということだ。

 
99年1月20日UP

着物deサッカー