関ヶ原古戦場

JR東海道線を使用して、関ヶ原へ行くにはちょっと一苦労。というか、電車が1時間に2本しか走ってないのに驚きました。時刻表を確認して、計画的に行くことを薦めます。

東海道線の車窓から見える関ヶ原周辺は、400年前に行われた合戦場。周りを眺めれば分かる事だが、ホントに山に囲まれた盆地である。ここに東西両軍併せて10数万の大軍がひしめき会ったなど、想像するのは難しい。

さて、駅を降り立つと、赤いちゃんちゃんこの様な、陣羽織を羽織った人達が目に付く。おそらく関ヶ原古戦場を案内するボランティアの人達だろう。そこで各史跡を巡るコースの紙をもらうことが出来る。今回は5kmコース(要3時間)を選んで行くことにした。ただ、3時間も歩き続けることが出来るかどうか、不安ではありましたが。

まず向かったのが、「東首塚」および「井伊直政・松平忠吉陣所跡」。ここは駅から比較てき近くにあり、歩いても苦にならない距離です。ここには陣所があった事を指し示す跡、および、首を洗ったとされる井戸を見ることが出来ます。

次に向かったのが「徳川家康 最後の陣所」。おそらく桃配り山に最初陣取っていた家康が、その後合戦地へ前進し、東軍勝利を確信したのがこの辺りであったのでは。

そして「歴史民族資料館」へ。一階と2階で構成されており、一階は、関ヶ原の合戦の説明などである。そして2階は、NHKの大河ドラマのメイキング(もちろん関ヶ原の合戦部分)を放映していた。こちらよりは大垣城で開催されている、大垣博の方が有意義である様に思われる。

そこからは決戦地および、石田三成陣所となっていた笹尾山を目指すことに。ちなみに田圃を片手に見ていく道なりであり、通る車もほとんどなし。歩いていて危険を感じる事も、排ガスに悩まされる事もほとんどなし。

さて、「決戦地」まさに田圃の中に、決戦地であったことを示す石が建ってるだけ。まさにこの辺りが決戦地であったのだろうと、改めて周りを見回してみる。現地に立ってみると、この決戦地が石田三成陣所の笹尾山に近い事がよく分かる。

その笹尾山。小高い丘といった感じでしょうか。見た感じは場防柵があり、見張り用と思われる台も復元され、西軍指揮官である石田三成陣所を再現してありました。見晴らしもさほど悪く無く、関ヶ原全域を見ることが出来るでしょう。天気が良く遠くまで見通せる時に来る事をお勧めします。ちなみにこちらにもボランティアらしき人が居ました。

次に向かったのが、島津義弘陣所。ちょっとわかりにくい所というか、神社(名前は不明)の奥の林に囲まれた所にありました。背の高い木々に囲まれ、薄暗い陣所で、島津家を示す、旗が数本たってました。夜に成るとまさに闇と化しそうな、昼間なのにホントに薄暗いところでした。

そこから林道を抜けると、田園風景が広がってます。
田圃のあぜ道の先が関ヶ原合戦開戦地です。街の外れにある小さな公園って感じでしょうか。旗が碑石の両脇を固めて建っているのが、目に付くくらいです。その奥のあまり人が行きそうも無い所に、山(天満山かな?)を背にした小西行長陣所となってます。ここも開戦地と同様に、公園内にあります。ちなみにこの山づたいに宇喜多秀家陣所があります。

そこからしばらく歩き、ちょっと山中に入ると、宇喜多秀家陣所へ行くことが出来ます。距離的にはそれ程遠く無く、歩いても無理のない距離です。ここは山の中にポツンとあるような感じです。ここからさらに奥へ行けば、大谷刑部陣所や墓などへ行けたのですが、今回はとりあえずここで引き返す事にしました。ただあと一カ所、福島政則陣所へ寄ってみる事に。宇喜多秀家陣所跡からは、15分くらいでしょうか。福島政則陣所は一転して住宅街の中にある、春日神社にあります。ここには天然記念物の関之明神大杉があり、これだけ一見のかちがありそうです。

今回の関ヶ原めぐりはここで終了です。が、まだ見残した箇所がだいぶ残ってます。再度関ヶ原へ訪問する予定です。