二本松城

別名を霞ヶ城(霞ヶ城)。現在の二本松城は小高い山頂から山の麓までを、一つの城としてみることが出来ます。しかしこの城は山頂と麓では、別々の城として構成されているとの事です。

まず山頂部分は奥州探題の畠山満泰が応永年間に築城し、麓の部分は江戸時代(寛永二〇年)に丹羽氏が入城(一〇万七百石)した際に拡張された様です。余談だがこの時に入城した丹羽光重といいのは、戦国時代に織田信長旗下で活躍した武将、丹羽長秀の孫にあたる人である。

二本松城があるのは、福島県二本松市である。電車を利用するとJR東北本線の二本松駅下車になります。駅からは小高い丘(?)を越えて行くこと20分くらいだったでしょうか。途中には歴史資料館もあるので、そちらも寄ってみることをお勧めします。ここには二本松の歴史を古代から近代にかけて語っております。

さて二本松城ですが、やはりここも明治維新の悲劇が、後世まで語り継がれているお城の一つです。一番最初に目に付くのが、大砲や刀で武装した二本松少年隊の像です。戊辰戦争において会津の白虎隊の並んで、維新の悲劇として語られています。この二本松は菊人形展としても有名な所です。実際に二本松城もその会場として使用されているとか。

城跡であった事を最初に認識出来る一番のものは、「箕輪門」ではないでしょうか。先に述べた丹羽光重が、城を改築するにあたり建てたと言われる門です。ちなみに名前の由来は、門の材料となる木をを箕輪村から調達したからだとか。お城に訪れた人を迎えてくれるこの門は、二本松城のシンボルとも言えるのかもしれません。

さて城内の見所といえば、丹羽時代に整備された日本庭園などでしょう。そんな中でも樹齢三百年と言われる「傘松」は、見応え十分です。また城内には池もあり、小川の流れを眺めていると、心が和むのですが、真冬では余計に寒さを身に感じてしまいます。

山頂へ向かうと白い石垣が目に入ってきます。平成三年より修築と復元を目的として、山頂にある本丸の石垣が綺麗に整備されています。その時代時代に即した、積み方が再現されているので、時代の流れを目で堪能することができます。

はじめて石垣を用いたのは、会津城主時代の蒲生氏郷だと言われています。それが慶長年間。それから江戸時代後半にいたるまで、元和方式、寛永方式などといった形で石積が再現されております。

また山頂の天守跡あたりからは、福島の山々を見渡すこともできます。山頂まで登れば、ちょっとした運動にもなる所ですし、良く晴れた日でしたら、かなり見晴らしの良い展望地となることでしょう。


アクセス>>JR東北本線二本松駅より徒歩20分
所在地 >>福島県二本松市