江戸の情緒を今に残す川越。
戦国時代の雰囲気は皆無といってよいが、川越城という城跡を散策してみた。
川越駅から街をぶらぶら歩きまわり、シンボルである本丸御殿を前にすると、江戸時代に時代が遡った雰囲気を味わえ、その佇まいに武家の風格を感じることができる。
川越城という城跡ではあるが、深い堀や高い石垣もしくは土塁に囲まれているわけでもなく、白亜の天守が建っているわけでもない。
御殿という名の通り、その当時の政務を司った建物といえよう。
大広間
玄関から入ってすぐにめにするのが36畳からなる文字通りの大広間。家老詰所
西側の建物が明治期に民間へ払い下げられたのを、昭和63年に移築復元したそうだ。廊下
大広間の西側に南北に延びる廊下。
中ノ門堀跡
御殿より少し離れてはいるが、川越の街中にも城跡の遺構として堀跡を鑑賞することができる
川越城の歴史は、室町時代から江戸時代にかけて、関東の覇権争いと江戸幕府の要衝としての役割を色濃く反映しています。
川越城は、室町時代の長禄元年(1457年)、扇谷上杉氏の家臣であった太田道真・道灌父子によって築城されました。
湿地帯の地形を巧みに利用した堅固な城として知られている。
戦国時代には、関東の覇権をめぐる重要拠点として争奪戦が繰り広げられました。
特に天文15年(1546年)に起こった「河越夜戦」は、城を包囲する大軍の上杉・足利連合軍を、寡兵の北条氏康が奇襲によって撃破したという、日本三大奇襲戦の一つに数えられる劇的な戦いです。
この勝利により、北条氏は関東の支配権を確立していった。
豊臣秀吉による小田原征伐を経て、徳川家康が関東に入ると、川越城は江戸の北の守りとして極めて重要視されます。
幕府の重臣による統治: 歴代城主には、松平信綱や柳沢吉保といった、大老や老中など幕府の要職を歴任した譜代大名が代々配置されました
別名:初雁城、霧隠城
築城年:長禄元年
所在地:埼玉県川越市
主な遺構:土塁、堀
関連武将:太田道真、太田道灌、大道寺政繁
アクセス:西武新宿線本川越駅からバスと徒歩
駐車場:あり