三章『尾張統一』
天文二三(1554)年、尾張守護職である斯波義統が、守護代の織田信友およびその家臣である坂井大膳等により命を絶たれた。

斯波義統の息子の義銀はこの時、城外に狩りへ出ていたの為に難を逃れた。父である義統が殺されたという悲報を義銀が聞くと、那古野城の信長の元を頼ってきたのである。

義銀から事の子細を聞いた信長は、数日後には那古野より、柴田勝家を先鋒として織田信友へ攻撃を仕掛けてのであった。

一説には信長はこの事変が起きる事を察知しており、子の義銀が那古野へ頼ってきたことを大義名分として、行動を起こしたとも言われている。

そして弘治元(1555)年、信長は尾張守護であった斯波義統を殺害した守護代の織田信友を謀殺する。さらにその居城であった清洲城を奪取することに成功した。このときの謀は以下の様に行われたと言われている。

尾張守護の斯波義統を殺害した織田信友は、その空いた守護の座を織田信光へ譲るという旨を伝えた。しかしこの時すでに信光と信長の間では、尾張領内を共に分かち合うとう盟約が整っていたのである。信友は信光の考えを把握できておらず、ましてや信長と盟約を持ったと言うことは寝耳に水であったであろう。

そんな事は露とも知らず、織田信友は清洲城へ言葉巧みに招かれ、そして殺害されたのであった。

その後、清洲城へは信長が入城した。織田信光はというと、信長から居城を守山城から那古野城へ移動を命じられただけであった。そしてこの時に守山城へ入城したのが、信長の叔父である織田信次である。

彼もまたある事件をキッカケとして織田家を出奔してしまったのでる。

信長の弟に秀孝という者がいた。その秀孝が馬を乗り回していた時のことである。織田信次の家臣が誤って放った矢が秀孝に命中していまい、それが原因でもってこの世を去ってしまったのである。それに体して激昂した信長は信次を罰しようとするが、その時にはすでに姿をくらましてしまう。

さらに那古野城主となった織田信光。かれも一一月、自らの居城であるはずの那古野城にてその生涯を終えている。死因については全く不明である。病死?事故死?さらには謀殺など様々な説が流布されてるが、決定的な証拠となるものは残っていないのが現実である。

織田信光の死によって、信長による尾張統一へ向けての障害が一つ取り除かれ、さらに前進したといえよう。

いまさらながらではありますが、尾張というは三方を三河、伊勢、そして美濃に囲まれた国である。

三河は東に位置しており、駿河今川氏の直轄領である。逆の伊勢は北畠氏などの豪族がおり、北の美濃には斎藤氏が割拠していた。この美濃についてだが、こんな言葉が言い伝えられている。「美濃を制する者は天下を制す」。

その美濃を制した者が天下人となったかどうかはわからない。

その美濃である。美濃の国主は「蝮」とあだ名された、斎藤道三の支配下に置かれている。斎藤道三はその昔に、下克上の追い風に煽られる様にして、美濃一国を土岐氏から奪ったのである。

近年の研究では、斎藤道三こと松波庄五郎が一人で美濃を制覇したのではなく、その父新左衛門尉と共に親子二代にわたる共同作業だったようである。京から美濃へ流れ着き、長井姓を名乗るまでが道三の父。そして美濃の土岐家に仕え、さらに土岐家を追いやり、斎藤姓を名乗ったのが道三だったという訳である。

その後は領土拡張すること無く、美濃一国の維持に努めていた。尾張の織田信秀とは毎年の様に戦をする関係であった。いわば交戦国同士である。

そんな中、織田信秀の嫡男の信長に斎藤道三の娘である帰蝶が嫁入りし、領国の間で和平が成ったのである。

美濃は尾張からの攻撃に気をもむ必要がなくなった。しかし国外では無く美濃国内に混乱の種は潜んでいた。

斎藤道三には嫡男義龍、二男孫四郎、三男喜平次という3人の息子がいたと言われている。この中で義竜だけは道三の本来の子では無い、つまり実子では無いといった噂がかねがねあった。

というのも、義龍を生んだ母は、元は道三の主君の妾であった人である。その人を道三はもらい受けた形となるのだが、その時すでに義龍となる子を身籠もっていたと言われている。

そんな中、疑惑が疑惑を喚ぶようにして、父である斎藤道三は嫡男の義龍を廃嫡とし、次男の孫四郎を家督に譲り隠居をするという話が義龍の耳に入ったのである。事実はどうであったか定かではない。しかし義龍はこれを父である道三の本心であると思いこんだのだった。そして弘治元年の正月、義龍は仮病と偽り床に伏せった。二人の弟が兄の義龍を見舞いに来た時、その二人を謀殺したのである。

翌年には稲葉山城の斎藤義龍が、鷺山城を隠居所としていた斎藤道三を討つ為に、軍勢を差し向けた。両者が表面だって対立したのである。すでにこの時は斎藤道三へ援兵を送る者は殆どおらず、勝敗は誰の目にもあきらかであった。

この変事を耳にした尾張の信長は急ぎ兵を集め、舅である道三救援の軍を発した。しかし時既に遅く、信長が美濃国境付近まで軍勢を進めた所で、道三が長良川にて討ち死にした報を受けたのであった。
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