■呼び名
さて戦国時代の武将達は、どの様に呼び合っていたのであろうか。 当時の人々は実名で呼ぶことを、忌み嫌っていた。(このことから実名を「諱」とよぶ。) そこで実名ではなく、「官職名」や「号」で呼び合っていた。この「官職名」とはなにかというと、官職とは朝廷より定められた、役職の事である。(官職については、他の機会で書く予定です。) 役職であるので当然だが、朝廷からの許しを経てから、やっと名乗れるものである。 しかし当時の武将たちの場合は、勝手気ままに官職名を名乗っていたのです。
官職名の例を下記に挙げてみました。 信長の場合は「弾正忠(だんじょうちゅう)」。 幸村の兄の真田信幸は「伊豆守(いずのかみ)」。 五奉行のひとり石田三成は「治部少輔(じぶしょうゆ)」。 秀吉の甥っ子の小早川秀秋は「金吾中納言(きんごちゅうなごん)」。 江戸幕府設立者の徳川家康は「三河守(みかわのかみ)」。 ・・・・・・・などです。 さてそれぞれをなんと呼んでいたか? 信長の場合ですと「弾正殿」。 真田信之は、「伊豆殿」や「豆州殿」など。 三成だと「治部」とか「治部少」または「石治少」などです。 小早川秀秋ですと「金吾殿」や「中納言殿」。 また家康の場合は「三河殿」、「三河守殿」ですが、豊臣政権になると内大臣に就任。 就任後は「内府殿」と呼ばれていそうです。
さて次の「号」ですが、これは出家した場合や家督を譲り隠居した場合に、付けたりしたようです。 号の例を下記に挙げてみました。 武田信玄の場合は、この「信玄」自体が出家した際の号です。 ちなみに本名は晴信です。 上杉謙信の場合も同様に、「謙信」が号です。 本名は輝虎です。 ほかには細川藤孝の「幽斎」や、信長の末弟である織田長益の「有楽斎」が有名です。 この場合の呼び方は、そのまま「○○殿」と呼んでいたのでしょう。
|