滝川一益編

一国よりも茶道具

織田信長の将で、関東方面司令官でもあった滝川一益。天正一〇(1582)年には武田軍討伐の先陣として、甲州へ侵攻して武田勝頼を自刃へと追いつめた。これの戦功は織田信長に大いに認められた。

このときに一益には、恩賞として望むものがあった。

殺伐とした戦国時代、茶を喫することは一部の限られた者だけであった。さらに織田軍団の規律では、身勝手に茶会は開けなかったのである。

主君である信長から直々に、秘蔵の茶道具を賜ると同時に茶会を催せる権利が得られたのである。
しかし一益は未だにその様な事は無かった。

同僚に目を配ると、柴田勝家や丹羽長秀、明智光秀、さらには羽柴秀吉ですら、茶道具をもらい茶会を催していたのである。

そこで一益は今回の勲功で、念願の茶道具をと密かに悲願したのであった。

しかし信長がくだした恩賞は違った。旧武田領の信濃二群に上野一国。さらに関東管領という職まで得られたのである。

織田家の中でもこれは破格な出世でもあり、一益は国持大名並の待遇を、得る事になったはずであった。

この様な栄誉を受けながら一益はかなり落胆していたとか。

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