武田信玄編

白鷺

ある合戦に向かう行軍中のことである。白鷺が軍団の目前を飛んでいたとか。

それをみた兵士が
「これは吉兆!これで我が軍の勝利は間違いなし」
と叫んだとか。

それを聞いた信玄は,その兵士をたしなめた。

「では烏が飛んでいたら,戦に負けるとでもいうのか?」

なるほど,そんな迷信を信じるな,とでも言いたいのでしょうか。

これ自体の真意は定かではありません。

この時代の人は験を担ぐものなのだから。



畳敷きのトイレ

一人で密室に籠もることができるのが,トイレではないでしょうか。またトイレで用を足すだけでなく,その空間で思考する人もいるはずです。なぜなら集中できるかららしいのですが。

戦国時代の名将と言われる武田信玄もこういった考えだったとか。

信玄の場合は住まいでもある躑躅ヶ先館に,自分専用のトイレを設置。さらにそのスケールたるやかなりの物だったそうです。六畳間の畳敷き,さらには当時としては画期的の水洗敷き。さらには当番衆を起き,お香を焚かせて不愉快な匂いを消していました。

これだけでもそのトイレがすごいところなのですが,信玄は用を足すだけではなく,この場で政をしていたというのだから驚きです。ある時は城下の民からの訴状にたいして談判をくだしたり,軍事関連の作戦も練っていたという話も伝わっております。トイレは信玄にとっては唯一安らげるプライベートルーム。

ということで,その場所についても,一部の側近にしか知らされていなかったという話もある程,徹底されていました。



甲斐の武田信玄は越後の上杉謙信の姓を長尾と一生涯の間呼んだ。

上杉謙信は越後の長尾為景の子として生まれ,はじめは長尾姓であった。やがて関東管領上杉憲正が,北条氏に追われ越後へ亡命してきたのである。そして朝廷の許しをえて,上杉の姓と関東管領という職を継いだのであった。

武田信玄からすればそれは認める訳にはいかない。なぜなら関東管領といえば関東地方を任された,いわば将軍の代理人ともいえる役職であった。

ちなみに関東管領が治めていた地域は,相模,武蔵,上野,下野,常陸,上総をはじめとし,さらには甲斐,信濃もこれに含まれるのである。

よって上杉謙信が関東管領である事を認めるこは,すなわちその下風に立たされる事を意味するのであった。

いくら形式だけとはいえ,そんな事は納得出来ることではないので,武田信玄は越後の上杉の事を,長尾と呼び続けていたという話。

▲「戦国のはなし」トップへ戻る