■戦国時代はいつから?

いったい戦国時代は「いつから始まり」そして、「いつ終わった」のだろうか。

一般的によく言われているのは、「応仁の乱」の起こった応仁元年(1467)からである。たしかにこれが起爆剤となり、全国各地で内乱状態に成ったと考えられる。

また戦国時代を表す代名詞ともなる「下克上」という言葉をキーワードにして考えると、伊勢新九郎こと北条早雲が小田原城を奪取した明応四年(1495)からともいえる。

では逆に戦国時代が終焉したのはいつであったのであろうか

戦国という時代に突入したのは、足利氏が将軍として君臨していた室町幕府が日本の政権であった。しかし日本各地で戦乱が起き、将軍のお膝元でもある京はそれを象徴する形で権力闘争が絡む戦が絶えずにいた。そんな状況下にある当時の日本の首都である京の都に平穏をもたらした織田信長の上洛によって一つの時代が終了したと言える。これが天正元(1573)年のことである。

しかし当時の織田信長の勢力範囲は尾張や美濃、そして畿内の一部、さらに同盟関係を築いていた三河(徳川氏)、北近江(浅井氏)だけである。他の地域はそれぞれ非公式ながらも独自の勢力をかためていた。

日本全国が再び一つの権力下に置かれる様になったのは豊臣秀吉によってであった。天正一八(1590)に北は奥州から南は九州の薩摩まで、すべての大名、小名が豊臣政権下に組み込まれていったのであった。

しかしその豊臣政権は長くは続かなかったのである。

豊臣秀吉の死後は、その政権内でもって権力の奪い合いが起き、それが元で慶長五(1600)の関ヶ原合戦という形で終結したのである。その合戦から三年後の慶長八(1603)年には勝利者の徳川家康が江戸へ幕府を開き、一つの時代が始まりそして古い時代が終わったと言えるであろう。

それですべてが戦国という時代に幕が下ろされたと言ってもよさそうである。しかし戦国時代という時を過ごしてきた人々にとっては、そう簡単には時代の変革について行けないものである。すんなりと徳川政権に従う者が大半ではあったが、中にはそうでない者も存在していた。それらは徳川家よりもその前任者でもあった豊臣家に臣下の礼をとっていた。それが豊臣家に過信を与えてしまい、結果的には慶長一九(1614)年および同一五(1615)年の大阪の陣への伏線となっていったのである。

この戦でもって徳川家に反感を持つ者、新しい時代に生きる道しるべを見いだせない者などが、続々と豊臣家の居城である大阪城に集い、そして戦国という時代に終止符を打つようにして死んでいったのである。

ながながと書いてしまいましたが、「ひろぞう戦国物語」では独断で、「応仁の乱」が起きた応仁元(1467)年から「大阪−夏の陣」の慶長二〇(1615)年までの、およそ一五〇年間を戦国時代と定義していきます。


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