稲葉一鉄編

頑固の代名詞「一鉄」

頑固な人、自分の意見を押し通す人の事を「一鉄者」と呼ぶ事が多い。
この一鉄とは戦国時代の武将である稲葉一鉄の名が由来している。

稲葉一鉄は美濃三人衆の一人として、斎藤家の重臣であった。
その後、織田信長の調略により織田家の家臣となった。

さて話は○年の姉川の合戦後の事である。

姉川の合戦は織田と徳川連合軍が、近江の浅井、越前朝倉連合軍との間の合戦のことで、激戦の末に織田、徳川連合軍が勝利を収めた。

この合戦における論功について、織田信長は第一の功労者としてこの稲葉一鉄を挙げた。

しかし一鉄は主君からの言葉に対して、
「殿は盲目でござるか。こたびの合戦の勝利は三河殿(徳川家康)のおかげ。
功名は徳川軍にあれど、この一鉄にはなし。」
と真っ向から主君の織田信長に対して異見したと言われている。

この様にしてたとえ主君であろうと、自分の考えを押し通す者の事を「一鉄者」と呼んだとモノの本に書かれている。

▲「戦国のはなし」トップへ戻る