■軍旗

軍旗は古くは源平の時代から存在していた。源平の時代の最初の軍旗は、紅白で敵と味方を識別するくらいの意味合いであった。その後、「南無阿弥陀仏」などの経文などを記載し、神仏の加護を得る様になったそうである。

さて戦国時代のはなし。

この時代の軍旗は実に多彩であり、それぞれの武将毎でずいぶんと違っていたものである。

また軍旗により軍の士気を、向上させたりする効力もあることから、その存在価値は非常に高いものであったと思われる。

軍旗の中でも特に有名なのが、武田信玄が孫子からとったと言われる「風林火山」であろう。若い時から孫子を愛読していた、信玄らしさでる。
武田軍の軍旗は他にも諏訪大明神の加護からの「南無諏訪南宮法性上下大明神」も有名である。
諏訪の神社で先勝祈願を行い、諏訪の神々をも味方に付けたことにより、譜代だけでなく信濃衆に対しては大きな意味合いがあったといえる。

また、武田信玄と川中島で決戦をおこなった上杉謙信の場合である。
上杉謙信の軍旗はきわめてシンプルであった。
自分自身を毘沙門天様の生まれ変わりだ伝説を持っていたほどである。その毘沙門天より一字をとった「毘」の軍旗は有名である。この軍旗を目にしただけで敵勢は怖れ退却したとも言われている。
また他にも「龍」(懸かり乱れ龍)もある。

貨幣経済の重要性に着目していた織田信長の場合は永楽銭を催した旗印を使用していたとか。

「大一大吉大万」というめでたい文字をならべたのは、関ヶ原で家康に破れ去った石田三成の旗印です。
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