福島正則編

悔し涙

福島正則という武将は、幼名を市松といった。桶屋の息子であったが、身の丈は高く、大食いで、さらに大酒飲みという少年であった。

そんな正則が当時、まだ木下籐吉郎となのっていた豊臣秀吉に養われ、天正六年に初陣を果たすのである。その時の事である。

木下軍に従い、毛利方の城攻めが正則にとって初めてのいくさであった。

この時18歳。はじめは包囲して持久戦に持ち込むところであったが、相手は小城である。力攻めになった時、正則は真っ先に先頭を切って敵陣へ向かい、一番首を挙げた。

しかし戦場は混乱を極め、せっかく奪った首を何者かに奪われてしまった正則は、そのばで悔しさのあまり、涙ぐんでしまったとか。その時、星野某にたしなめられ、再び敵陣へ突入し、敵将の首を挙げたとか。 こんどはそれを秀吉の前に差し出し褒められたとか。

さらにこの事を耳にした秀吉は、さらに感状まで与えその武勇を褒めちぎったと言われている。

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