羽村堰 2009.9.16

羽村堰は、多摩川をせき止めて水道用の原水を玉川上水に引き入れるために作られました。1654年(承応3)に8ヶ月の工事を経て完成した玉川上水は、ここから新宿区四ツ谷大木戸まで、延長約43キロを流れ下り、人口の増加する江戸、そして江戸城への飲料水を供給するという重要な役割を担っていました。

羽村取水堰(下の写真参照)は全長約380m。左岸側の投渡堰(なげわたしぜき)と、右岸側に低く広がる固定堰で構成されています。設置当初は木製の堰でしたが、1911年(明治44)にコンクリート造りに改築され現在に至ります。(京浜河川事務所ホームページより)

固定堰は広くのんびりしており、天気もよく昼食後はしばしお昼寝。あぁ、気持ちいい!

 

羽村堰周辺        


堰よりも上流 牛枠がならぶ

 
        第1水門
 
 第2水門から流れ下る玉川上水
         


     羽村取水堰(投渡堰)
   
     玉川兄弟像

幕府の命を受けた、庄右衛門、清右衛門の
玉川兄弟の指揮により、玉川上水の開削が
行われた。二人は、自らの家を売り手にした
お金をも、上水工事のためにつぎ込んだ
そうです。
         

   固定堰に設けられた魚道
 
小吐水門(こはきすいもん)↑    
 

 


取水堰の上流側

     

 

堰に溜められた水の一部は、伏流水となり下側から湧き出していました

 

堰下流側〜羽村堰下橋からの眺め

野田知佑さんの『日本の川を旅する』では、「厳密に言うなら、羽村の堰で多摩川は終わる。
川の水はここで左岸の水門に入ってしまい、一滴の水も堰を越えていないからだ。」と
書かれています。野田さんが旅し、このように記したのは昭和50年代の半ば頃。

長い月日が流れ、川の状態は大きく改善されました。堰のすぐ下にある歩行者専用の
羽村堰下橋から眺めてみると、清流は絶えることなく流れ続け、腰まで浸かった釣り人の姿、
ゆっくり佇む鯉の群れもみられました。

「平成4年に羽村取水堰からの放流が行われるようになり、以前のような渇水期の瀬切れ
(断流)は見られないようになった」(『福生市総合計画(第3期)修正後基本計画 平成17年
3月』第2部第4章第4節 環境保全、公害防止
より引用)そうです。

 

 

 

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