荒川 2010.3.13

甲武信岳に源を発し、秩父、長瀞を経て埼玉県を西から東に流れくだりる荒川は、144キロの旅を経て、東京は葛西にて東京湾に注ぎます。景勝地長瀞には多くの観光客が訪れるばかりでなく、スポーツカヌーが盛んなところです。

今回は、長瀞から少し下った玉淀ダムの下流から鉢形城の下までの2キロ程度をカヌーで下るつもりで出かけました。鉢形城跡は、現在では広々とした公園として整備されていますが、戦国の世には、荒川に守られた難攻不落の要害といわれ、関八州を支配する北条氏の重要な拠点のひとつでした。今回は、この鉢形城を川面から眺めてみようという計画です。

 

当初、JR八高線の鉄橋のあたりからカヌーを漕ぎ出し、鉢形城の真下、正喜橋の手前で上陸しようと考えていました.。が、しかし、上陸予定地点を下見してみると、『カヌー発着禁止』なる看板が立っているではありませんか。釣り人は誰もいませんが、なんだかとってもいやな気持ちになり、別の上陸場所を探すことにしました。

 

上陸予定地点    

向かいの崖の上が鉢形城跡

   

 

少し上流に進み、上陸できそうな場所を発見。地図の”寄居車庫”から、まっすぐ川に向かったあたりです。それではと出発地点へ向ったのですが、な、なんと、先ほど見てきた新たな上陸地点が、鉄橋のすぐ先に見えるではありませんか。いよいよカヌーをする気持ちが萎えてしまい、食事をして、野鳥の観察に専念することにしました。

スタート予定地
鉄橋の先の草原が新上陸予定地。カヌー断念!

 

マガモ イカルチドリ ハクセキレイ
   
  ジョウビタキ  

 

 
   

 

鉢形城跡からの眺望

 

鉢形城は、北を荒川、東は深沢川と、攻撃不可能な断崖が連なっており、関東屈指の難攻不落の要害とされていました。天正18年(1590年)、
豊臣秀吉の小田原攻めの際、鉢形城に拠る北条氏邦を、前田、上杉、真田で構成する北国衆で囲ったという古戦場です。

荒川に面した崖は予想がついたのですが、東側の深沢川により削り取られてできた、垂直に切り立つ崖の深さは想像をはるかに越えたものでした。
地図を見ているときは、どうしてもピンとこなかったのですが、その場に立ってみて、初めて鉢形城の難攻不落といわれる所以がよく理解できました。

 


長瀞ライン下り

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