福澤諭吉 著
『学問のすすめ』 |
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ナレーションが完成したものから随時アップしていきます。
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初編 |
8'12"
3.3M |
「天は人の上に人を造らず・・・」で始まる、最も有名な部分。
全編を通して主張される諭吉の基本思想が集約されている。
自主独立の精神、実学の重要性、旧弊の打破を説く。
単純な平等論ではなく、現実に地位の上下や貧富に違いがあることを認めた上で、誰でも能力と努力次第で身を立てることができるという実力主義に徹しているのが特徴。
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諭吉の使う「学問」とか「学者」とかいう言葉は、現代のわたしたちのニュアンスと少し違う。
「学問」といっても、象牙の塔に閉じこもって真理を追究するような研究のことではなく、実生活に役立つ知識や教養のこと。
よって、「学者」とは、研究者のことではなく、文字通り「学ぶ者」つまり、新しい知識や教養を積極的に身につけ自己啓発しようとする者のことを言っている。 |
二編 |
7'48"
3.2M |
初編の一部を詳しく述べている。
人は皆平等に人権があること、国民と政府は対等であることを説く。
社会契約論に基づく考え方で、当時としては、画期的な提言だった。
その国の政治の良し悪しは、国民のレベルによる、という論点は、いまでもそのまま通用する。
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諭吉は、ことあるごとに、国民の無知無学を嘆く。
威張り散らす役人も嫌いだが、無教養の愚民も嫌い。
国民が教養を身につけなければ国が危ういと真剣に心配しており、それが、本書の基調になっている。 |
三編 |
7'51"
3.2M |
国が独立を維持するためには、国民に独立の精神がなければいけないと説く。
当時、まだ日本は国家基盤も未整備で、独立を維持できるかどうかは重大な課題だった。
諭吉の危機感と焦燥感が伝わってくる。
「独立せよ、他人に頼って生きるな」という、国民に向けた強烈なメッセージ。 |
原文には、「独立の気力なき者は、国を思うこと深切ならず」という名句が登場する。
政府や役人の責任を言うが、自分では何もしようとしない者。外国人に対してきっちり主張できない者。外国人の威光を利用しようとする者。
ここに登場する独立の精神のない者の悪い例は、現代日本でもそのまま見られるものではないだろうか。 |
四編 |
12'48"
5.3M |
民間で独立して活躍することの素晴らしさを説く。
生涯、政府の誘いを断りつづけ、民間にいることにこだわった諭吉の面目躍如。
官尊民卑の弊害と公務員削減を訴える部分は、構造改革が進む現代のために書かれたのではないかと思わせる。
当時の抵抗勢力に対する反論も小気味いい。
諭吉の慧眼に驚く一編。
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一流の学者で作られた「明六社」というグループがあった。
諭吉以外は全員、政府に雇われた学者。
この編は、その明六社でのスピーチではないかと言われる。
居並ぶ御用学者の前で、堂々と公務員批判を展開する気概に脱帽だ。
当然のことながら、他の学者から猛烈な異論が出たらしい。
それが、本編の最後に収録されている。
自己弁護的な御用学者と舌鋒鋭く言い返す諭吉とのやりとりが目に浮かぶようだ。 |
五編 |
10'23"
4.2M |
明治7年元旦に、慶応義塾の塾生に向けて語ったスピーチ。
独立の精神を養い、人々の先頭に立って尽力せよ、と檄を飛ばす。
慶応義塾の基本理念と強い使命感が伝わる。 |
ナレーションには収録していないが、諭吉は、本編の前書きで、次のような言い訳をしている。
「四編と五編は文体が難しくて申し訳ない。六編以降は難しくしないから、この編だけで全体の評価をしないでほしい」
一般国民や学生向けの本を想定して作り始めたが、内容は、現状の学者や知識人への痛烈な批判に及ぶことが多い。
特に、四編と五編はその色合いが強いために、諭吉自身も心配したのだろう。 |
六編 |
6'01"
2.4M |
副題は「国法の尊きを論ず」となっている。
国民は政府に代理人としての役割を任せたのだから、その政府の定めた法律を遵守するのは国民の義務だと主張。
法律の網を逃れてうまく立ち回る者をやり手として讃えたり、うまくばれないようにする方法を得々として語ったりする風潮を非難する。
コンプライアンスの重視される現代にもそのまま通じる内容だ。 |
ナレーションには収録していないが、原作では追記で、慶応義塾でのエピソードが紹介されている。
外国人教師を雇おうと文部省に願い出たところ、その外国人が本国で教員免許を持っていなかったので、採用が認められなかった。
語学教師に限っては、免許は不要とされていたため、この教師を語学教師という名目で採用したらどうかという意見もあった。
しかし、たとえ学生のためのはいえ、政府を欺くことは紳士のすることではないとして、採用を諦めたという。 |
七編 |
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八編 |
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九編 |
11'16"
4.6M |
諭吉の「ボーイズ・ビー・アンビシャス」。
この世に生まれた以上、世の中の役に立つことをなし、生きた痕跡が残せるような仕事をせよと檄を飛ばす。
個人の生活の安定だけを求めるようなマイホーム主義を痛烈に批判する。
社会全体が激変している今こそ、絶好のチャンスだという説得は、まるで現代人へのメッセージのようだ。 |
諭吉は、身近な例をいくつも持ち出し、それを畳み掛けるように並べていって、結論を導き出す。
それが、独特のリズムを作り上げている。
その特徴が最もよく現れたのがこの一編。
ナレーションで聴くと、それがよく分かる。
『学問のすすめ』は、耳で聴いてこそ味わい深い作品であることが分かる。 |
十編 |
9'59"
4.1M |
九編の続き。
志を高くせよ。小成に甘んじず、大成をめざせ。
希望を持って、目先の利得に惑わされず、いまを忍んでも将来の大成を期せ、と説く。
これは、九編と同じく、当時の学生向けに語られた内容。
諭吉の熱い言葉に、勇気付けられ学生も多い。 |
諭吉の論調から、当時は公務員がステータスとして人々の憧れの的であったことが分かる。
公職につくことを拒否し続けた諭吉としては、このような安定志向の風潮は我慢ならなかったに違いない。
「300円の元手で50円から70円の月給を稼ぐ、ぼろい商売」と公務員の実態をからかうあたりは、妬みと蔑みが交錯する諭吉のホンネが見えて面白い。 |
十一編 |
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十二編 |
8'12"
3.4M |
前半は、スピーチの重要性を主張した珍しい一編。
新しい時代を見越して、これからは文字で書くだけではなく、弁舌で意思を伝える能力の重要性を説く。
インプットと同時にアウトプットも大事だという、現代にもそのまま通じる論点。
諭吉の先見の明が光る。
後半は、現状に満足せず、常に向上を目指せという内容。 |
「スピーチ」という外来語に「演説」という日本語を当てたのは、諭吉が最初だと言われる。 |
十三編 |
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十四編 |
8'18"
3.4M |
副題には「心事の棚卸」とある。
人生に失敗はつきもの。
その失敗の原因は、時間管理の甘さと、能力不足。
特に、常に自分自身の過去と現在を反省し、将来に備えることが成功の条件と説く。
そのコツを、商売における棚卸しにたとえて平易に語る。 |
「自分自身の棚卸し」という言葉は、現代でも自己啓発の本でよく見かける表現だが、そのルーツは福沢諭吉にあった。
身近なたとえ話を次々に挙げていき、ずばり本質を突く語り口は抜群。
自分のことを指摘されたようで、思わずドキッとする箇所も多い。
本編は2編に分かれている。ナレーションに収録したのはその前半。
後半は、「世話の字の義」。
人の世話(教育・管理)は、アメとムチのバランスが大事と説く。 |
十五編 |
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諭吉流、クリティカルシンキングのすすめ。
西洋文明は積極的に学ぶべきだが、無批判に受け入れてはいけない。
その適否を自分で判断し、取捨選択せよ、と説く。
旧来の風習や古い学問を捨て、新しい文明や学問をめざせ、と説いてきた諭吉がやや軌道修正した一編。
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最初は、旧習の打破を第一に挙げて、変革の先頭に立てと主張してきた。
そのおかげで、多くの日本人が西洋文明に関心を寄せるようになった。
しかし、今度は、なにもかも西洋一辺倒になって、日本文化を否定してしまう傾向が出てきたのだろう。
振り子が一方に触れすぎないように釘を刺している。 |
十六編 |
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十七編 |
12'07"
5.0M |
人望論。
自分の実力を発揮し、積極的に自分の値打ちを人に認めてもらうことをすすめる。
奥ゆかしくあるべきという古い考えは捨て、おおいに自分をアピールすべきと説く。
自分の値打ちをうまくアピールできない人のために、3つのコツも教えてくれる。
常に前向きで自己肯定的な姿勢に貫かれた名著の最後を飾るにふさわしい一編。 |
現代の映像と音声の時代だからこそ、見せ方や聞かせ方が大事ということがあちこちで言われるようになってきているが、130年前に既に諭吉が同じことを指摘しているのは驚きだ。
当時としては非常に斬新な主張だったに違いない。 |