「夫婦別姓って何?」 あなたは、選択的夫婦別姓にきちんと反論できますか?
プロフィール
平野喜久


「夫婦別姓って何?」

〜反対派のための反論ネタ〜

あなたは、
選択的夫婦別姓に
きちんと反論できますか?

執筆者:平野喜久



 夫婦別姓になんとなく胡散臭さを感じている別姓反対派の皆さん!
 「別姓も選べるようにするだけ」「女性の不利益を解消するため」という別姓推進派の主張にきちんと反論できますか。
 別姓推進派は、20年来の活動実績があり、生半可なエネルギーで取り組んでいません。
 少々の反対意見が出てくるのは先刻承知。
 狡猾な論戦対応マニュアルは出来上がっています。
 「別姓って何か変だよねぇ」などと呟いているだけでは、押し切られてしまいます。
 気が付いたら、いつの間にか法案が可決されてた、ということがないように、この小論を公開します。
 この小論には、別姓推進派へのあらゆる反論ネタを詰め込んであります。
 次のような方々が対象読者です。

1.別姓推進派の屁理屈を蹴散らしたい方。

2.「推進派は、なぜ別姓を広めたがるの?」と思っている方。

3.「反対派は、なぜ反対するの?」と思っている方。

4.夫婦別姓は「働く女性のため」と思っている方。

5.ディベート大会で「夫婦別姓」の担当チームになってしまい、ネタ集めに困っている方。

(手っ取り早く要点を知りたい方は右の動画をご覧ください。2分間で、選択制でも反対すべき論拠が分かります)

 


 「これ、いつ書いた文章?」
 「約13年前だよ」
 
「え? そんなに古い文章なの?」
 「20年前から、何度も別姓問題は繰り返し持ち上がってるからね。この小論は、細かい統計データは当時のままだけど、議論の内容については、いまでも通用するものばかりだよ」
 
「そんなに昔から別姓の話は出てたってこと?」
 「そう。推進派は国民の反対が多いと分かると別姓を引っ込める。で、みんなが忘れたころにまた持ち出してきて『選べるようにするだけ』って同じことを言い始める。何かの拍子に法案が通ることを期待してるんだ」
 
「選べるようにするだけなら、認めてもいいじゃない。別姓にしたい人だけがするんだったら、誰にも迷惑はかからないでしょ」
 「それでも、ダメ」
 
「頭が固いなぁ。時代は変わってるんだから、いい加減、自分の価値観を押し付けようとするんじゃなくて、新しい変化を認めたらどぉ?」
 「別姓について、そういうイメージがあるとしたら、もう推進派の術中にはまってるよ。実態は、その逆なんだから」
 
「え? どういうこと?」
 「自分の価値観を国民に押し付けようとしているのは、推進派の方なんだ」
 
「よく分からないなぁ」
 「だったら、この小論を読んでみてよ。読み終わった時、推進派の本音が見えてるはずだから」

                              (2009年10月1日)

<この小論の構成について>
第一部 これが民法改正の理由になるのか
 選択的夫婦別姓を導入しなければならない理由がいろいろ言われていますが、その理由は変なことばかり。ホントにこんなことで民法を変えようとしてるの? ホントにこれが切実な問題?
 本音を隠してるから、民法改正の理由が散漫で1つに絞りこめないのです。

第二部 別姓推進派の理屈はこんなにおかしい
 別姓推進派は、国民の目をごまかすために、いろいろな屁理屈を発明します。
「家族の一体感と姓とは無関係」「女性差別をなくすための民法改正」「夫婦同姓は日本の伝統ではない」
 とんでも理論のオンパレードをご堪能あれ。

第三部 別姓推進派は一体何を目指しているのか
 別姓推進派が20年来の活動で目指しているものは何?
 彼ら彼女らの実際の言説を引用して、その驚くべき本音を探ります。
 その本音は、社会秩序の転覆をたくらむ秘密結社のようです。
 別姓推進派たちは、仲間内でいったい何を話し合っているのやら。 

この小論は、紙の書籍で111ページの分量があります。
このサイトでは、冒頭の一部だけ公開しています。
全編をお読みになりたい方は、アマゾンのキンドル版をご購入ください。


<この小論の立ち位置について>
 別姓の議論では、いろんな立場の人が混在するために、議論が錯綜する場合があります。
 無用な混乱を避けるために、以下のように定義しています。
別姓推進派 選択的夫婦別姓への法改正を積極的に推進しようとする人。
または、世の中に夫婦別姓が普及することを望む人。
その人自身が別姓になりたいかどうかは別。
別姓反対派 選択的夫婦別姓を認める法改正に反対する人。
または、別姓を普及させようとする勢力に反対する人。
その人自身が、別姓になりたいかどうかは別。
別姓支持派 夫婦別姓そのものに価値を見出す人。
自分自身が別姓を実践したいと思っている。
別姓否定派 別姓そのものの価値を否定する人。
自分はもちろん他人が別姓を実践することも認めない。
別姓容認派 他人が別姓を実践することを許容する人。
自分自身は別姓を実践するつもりはない。
「別姓賛成派」という言葉は、意味があいまいになるので、使用しません。
この小論は、別姓反対派の立場から、別姓推進派に対する反論として書かれています。







第一部 これが民法改正の理由になるのか

 

 

夫婦別姓は私たちの人間関係全体に影響する問題だ

 

 一九九四年一月一〇日付の朝日新聞の投書欄に、ある女性の不満が紹介されていた。その女性は、事実婚による夫婦別姓を実践しているらしい。投書によると、彼女は年賀状の差出人を夫婦連名にする場合は、自分の名前を先に書き、宛名の方も、夫婦の名を書くときは妻の名を先に書いたそうだ。なぜそんなことをしたかというと、「わが国の習慣では妻の名が先に書かれることはほとんどないから、あえてそうした」のだそうである。

 そこで、この女性は何が不満かというと、自分のところに来る年賀状がなっていないと、ご立腹なのだ。

 

 しかし、届いた年賀状の方はというと、私と夫が連記されている場合は、百パーセント夫の名が先だ。私だけを知っている友人でさえ、そんな風に書いてくる。あなたは、夫の何なの、と言ってやりたくなる。

 

 こんなことで腹を立てられては、年賀状を出した方もたまったものではないが、この女性の怒りは、この程度では納まらない。

 

 もっとひどいのは、わざわざ私の姓を夫の姓に直していたりする。人の名前を書き違えるほど失礼なことはないが、書いた本人は失礼という自覚はないだろう。確信犯である。

 

 なんと、年賀状を出した側が犯罪者扱いである。

 そして投書は、こう締めくくられている。

 

 夫婦別姓の法制化も検討され始めており、時代は変わりつつある。伝統と習慣の上にドンとあぐらをかいている人たちは、ちょっと座り直してみてもらいたいものだ。

 

 つまり、悪いのは自分以外の人々であり、変わるべきなのも自分以外の人々だということだ。わざわざ一般の習慣と違うことをしたら、摩擦が生じるのは当たり前なのに、それを他人のせいだと言い張るのだから、たちが悪い。

 この投書を読んだとき、笑い転げてしまったが、同時に、こんなことを「堂々と主張するに値する正当な意見である」と思い込んでいる人がいるということに驚いた。(こんな投書を掲載する新聞社が存在することには更に驚いた)

 

 この投稿者は、「社会不適応症」に陥っているとしか見えない。年賀状をやりとりするほどの親しい人たちとの間でさえ、まともな人間関係を築けなくなっている。「個人の自由」とか「個人の権利」とかいうことを、突き詰めていくと、ついにこのような人間を生み出すに至るのかと思われた。

 「夫婦別姓」というものに疑問を持ち始めたのは、この投書がきっかけだった。

 別姓を推進しようとする人の第一声は、たいてい、こうだ。

 

 「全員が別姓にせよとは言っていない。個人の自由に任せ、希望した人だけが別姓にきるようにすべきと言っているだけだ」

 

 夫婦別姓の問題は、本当にこんな単純なものなのだろうか。

 先の投書を読んだとき、これは、別姓にしたいという人個人の問題ではなく、私たちの人間社会全体に影響を及ぼす問題ではないのか、と思われた。

 

 

 

こんなにある、夫婦同姓だと困るとされる理由

 

 別姓推進派は「夫婦同姓だと困る理由」として、次のようなものを挙げている。

 

1.結婚によって姓が変わると、各種の名義変更の手続きが煩わしい。

 2.仕事をする女性の場合、業績の連続性が絶たれてしまう。

 3.改姓するのはほとんどの場合、女性の側であり、女性差別だ。

 4.夫婦同姓は戦前の家制度の名残りだ。

 5.改姓を強制することは人格権の侵害だ。

 6.一人っ子同士の結婚では、必ずどちらかの家名が断絶してしまう。

 

 では、これらの理由がどの程度納得できるものであるかを一つずつ検討してみよう。

 

 

 

名義変更の手続きが面倒というのが民法改正の理由になりうるか

 

 1.結婚によって姓が変わると、各種の名義変更の手続きが煩わしい。

 

 確かにそうだろう。名義変更という面倒な手続きがある方がいいかない方がいいかということならば、ない方がいいに決まっている。しかし、たかだか「面倒」というだけのことだ。世の中に、手続きの面倒なことは山のようにある。結婚による改姓手続きだけが際だって煩雑になっているわけではない。むしろ、結婚による改姓は一般によくあることだから、「結婚で姓が変わった」と言えば、簡単に納得してもらえるし、手続きもスムーズにいく。しかも、個人にとっては一回限りのものであり、特に忙しい人は、知人に手続きを代行してもらえばいいことである。これが「耐え難い苦痛」であるとは思われない。これでもまだ手続きが煩雑すぎる場合があるというのなら、名義変更のシステムの方を簡略化できるように工夫すべきだ。どうして、単なる手続きの方を手つかずにしておいて、いきなり民法を変えなければいけないのか。

 このようなことが、民法改正の理由に挙げられているということ自体が不思議だ。

 

 実際、名義変更の手続きが面倒だから別姓にしたいという人がどれだけいるのだろうか。つまり、夫婦が同じ姓であることよりも、名義変更をしなくてすむ方にメリットを感じるような人がどれだけいるのだろうか。だいたい、このような面倒くさがり屋は、結婚という遥かに面倒くさいことなど、初めからしないものだ。

 

 名義変更の問題は、改姓に伴う嫌なことを細大漏らさず拾い出したら、こういうこともあったという程度だろう。現状の不都合を強調するために、無理やり捻り出したという感じがする。

 

 

 

家族の姓のあり方を仕事の都合に合わせようとする不思議

 

 2.仕事をする女性の場合、業績の連続性が絶たれてしまう。

 

 夫婦同姓だと困る理由の中では、これが一番分かりやすい。それだけに、別姓推進派もここに力点を置いているようだ。

 

 女性の社会進出が進んでいる現在、姓が変わると仕事がやりにくくなる人がいると言われると、私たちも何となく納得しそうになる。だが、少し待っていただきたい。本当に夫婦別姓を選べるようにすることで問題は解決するのだろうか。

 

 確かに、姓を変えることで、積み重ねてきた業績の連続性が分かりにくくなったり、仕事上のネットワークが保ちにくくなったりということがあるかもしれない。しかし、所詮「あるかもしれない」という程度だ。それが心配なら、問題が起きる前に、姓が変わったことを関係者に周知徹底させればいいではないか。

 

 これは、姓が変わったときだけに限らない。担当部署が変わったとか、肩書きが変わったとか、勤務先が変わったとか、住所や電話番号が変わったとか、そのたびに関係者に連絡する必要がある。こんなことは日常茶飯事だ。例えば、金融業界では、社員の不正防止や仕事のマンネリと顧客とのなれ合いを避けるために、数年ごとに配置転換が行われる。そのたびに関係者に異動の連絡をしている。

 

 よく改姓による職場での不都合として、外部からの電話が入ったときの混乱を挙げるものがある。「○○さんはいらっしゃいますか」と旧姓で問い合わせがあったときに、取り次ぎが「そのようなものは当社にはおりません」と答えて切ってしまい、先方に迷惑をかけてしまった、とかいうパターンだ。こんなことが、別姓でなければならないことの実例として取り上げられているのだから呆れる。

 

 このような少しばかりの混乱は、改姓の時に限らず、職場の配置転換があったときには付き物だ。そのときに不必要な混乱を来さないために、普通は関係者への連絡を徹底するのである。これなど仕事の基本だし、最低限できて当たり前のことだ。

 姓が変わったために業務に重大な支障を生じたとすれば、それは民法に問題があるのではなく、本人の資質に問題があるということだろう。

 

 しかも、結婚は一生に何度もあることではないし、結婚で姓が変わることは特異なことではないのだから、関係者に周知させるのに特別の苦労が必要だとも思えない。

 

 また、結婚による改姓で確実に何らかの支障が起きると想定できる職種の人でも、仕事上は通称を使い続けることで問題は解決する。現実に通称の使用を認める職場はどんどん増えている。中には、まだ認めていない職場もあるだろう。だが、それは職場の問題であって民法の問題ではない。どうして、仕事の都合を絶対視して、家族の姓のあり方をそれに合わせなければいけないのか。

 

 この場合、職場の変革の方を求めるべきであって、民法を変えて問題を解決しようというのはお門違いというものである。  

 

 

 

夫婦別姓では働く女性は救われない

 

 「女性の社会進出が進んできた現在、夫婦別姓は時の流れだ」という主張は、まやかしである。夫婦別姓では、働く女性は救われない。

 

 働く女性のための夫婦別姓は、一見、女性の権利を保護しているように見えるが、実体は「働く女性は家族の姓がバラバラになるというデメリットを我慢せよ」と言っているのと同じなのである。

 

 働く女性がみんな、「姓は個人の持ち物で、生涯変わらない方がいい」と考えているのなら問題はない。しかし、各種の意識調査を見ても、姓にそこまでこだわる人はごく少数である。

 

 ということは、多くの働く女性は、「姓が変わることで仕事に支障を来すようなことをしたくないが、家族の姓は統一されている方がいい」と考えているということだ。法律で夫婦別姓を認めただけでは、このように考えている女性を救うことはできない。「仕事か家族かどちらかを犠牲にせよ」と究極の選択を迫っているようなものだ。

 

 本当に、働く女性のためを考えるのであったら、民法改正を主張する前に、夫婦同姓でも仕事に支障を来さないようなシステム作りを進めなくてはならないはずだ。

 

 少数者の権利を守るのも結構だ。だが、「夫婦同姓の方がいいが、仕事への影響も最小限にとどめたい」と考える女性の方が遥かに多いのではないか。その人達の思いが取り上げられることはない。一口に「働く女性」といっても一様ではない。改姓で不都合を感じる働く女性全員を救済しようとするのなら、職場での通称使用の方を優先して推進すべきではないか。

もともと、通称使用などどうでもよく、夫婦別姓を推進することしか関心がないのであったら、「選択的夫婦別姓は、働く女性を救う」というのではなく、「働く女性のうち、家族の姓はバラバラでもかまわないと考える人だけを救うことができる」と正確に言ってもらいたい。

 

 民法を改正しさえすれば、すべての女性は救われるかのような論調は大間違いである。

 

 

 

民法そのものに差別的な内容はない

 

 3.改姓するのはほとんどの場合、女性の側であり、女性差別だ。

 

 これは、夫婦別姓を進める理由の根幹的なものである。現状は女性差別であり、その女性差別を解消するために民法を改正しなければならないというわけだ。ここで、夫婦別姓の問題は、夫婦の問題ではなく、女性の問題として扱おうとしていることに注意しておきたい。女権拡張の運動家が夫婦別姓に積極的なのもこのためだ。

 

 「親が、姓とのバランスを考えて名前を付けてくれたのに、それを無理矢理改姓させられるのはイヤ」という意見もある。親の命名を絶対視する理由は何なのだろうか。親から受け継いだ姓と、親が勝手に付けた名前を絶対視して、自分が自分の意思で結婚相手として選んだパートナーと同じ姓になることを拒絶する気持ちが理解できない。

 

 また、「無理矢理改姓させられる」という表現も引っかかる。約九八%の夫婦が夫の姓を名乗っているのは、女性が無理矢理改姓させられた結果だというわけである。中には、朝鮮半島の植民地時代に行われたといわれる「創氏改名」と関連させて、同じような暴挙だとする意見も見られる。

 

 だが、現在、特定の人に改姓を強制するようなシステムは存在しない。夫婦同姓にしても、夫婦が合意の上で、どちらかの姓を選んで夫婦の姓にするということになっているだけだ。夫婦の合意を無視して、改姓が強制されることは絶対にない。

 

 ということは、結婚したということは、女性の側もどちらの姓を名乗るかということに合意したということだ。合意できなければ、結婚には至らない。何が何でも結婚しなければならないわけではない。結婚までも強制されたというのでは、余りにも主体性がなさ過ぎはしないか。

 

 

 

説明の付かないことは何者かの陰謀のせいにしてしまう

 

 それに、結婚によって、姓が変わること、男性と同じ姓になることを望む女性も存在する。

 

 総理府が一九九六年六月に実施した全国世論調査によると、結婚で姓が変わることについて、「新たな人生が始まるような喜びを感じる」が、四三・四%、「相手と一体となった喜びを感じる」が、二五・一%だった。まるで、九八%もの女性が意志に反して無理矢理改姓させられているような言い分は、まやかしである。

 

 別の世論調査を見てみよう。一九九一年五月に読売新聞が行った全国調査だ。未婚者に「結婚したら夫婦でどの姓を名乗りたいか」という質問したところ、次のような回答をている。

 

 夫婦同姓  九二%

 夫婦別姓   四%

 

 男女でほとんど差はなかったという。いろんな世論調査で同じような質問がされているが、全て傾向は同じだ。調査対象に偏りがない限り、別姓希望者が一割を超えることはない。また、年月の経過によって、増えたり減ったりという動向も見られない。

 

 これが未婚者の意識なのである。

 

 ところが、別姓推進派は、この結果がお気に召さない。九割もの女性が「夫婦は同じ姓の方がいい」と思っているとは考えたくないのだ。だから、「多くの女性が同姓を希望しており、別姓希望はごく僅か」という調査結果を目の前にしても、少しもひるむところがない。「多くの女性が夫婦同姓を希望してしまうのは、同姓が当たり前だと思い込まされているだけだ」と言う。

つまり、何者かの不当な圧力のために、同姓がいいと勘違いしたり、同姓しか無理だと思い込んだりしているだけだと言いたいのである。その「何者かの不当な圧力」を粉砕するために民法を改正せよということだ。

 

 別姓推進派にとって、実際に人々がどういう意識を持っているかということはどうでもいいらしい。普通の感覚の人間だったら、自分の考えと全く違う調査結果が出たら、「もしかしたら自分はとんでもない勘違いをしているのかもしれない」と信念もふらつくというものだ。ところが、自分たちの考えることが一番正しく、その考えにそぐわない現実があるとしたら、その現実の方が間違っていると言い張るのである。

 

 もうこうなると、何でもありだ。思い通りの意識調査が出たら、自説の強化資料として最大限に取り上げ、思わしくない意識調査は、何者かの陰謀によって「思い込まされているだけ」ということで片づけようとする。これなら、何も怖いものはない。言いたい放題、やりたい放題だ。

 

 このような発想の別姓推進派にとって、九八%の女性が結婚で改姓しているという現実は、そのまま「九八%もの女性が改姓を強制されている」ということになってしまうのである。

 

 とりあえず、姓に関しては現状に女性差別の疑いがあるとしよう。それでも、これは民法の問題ではないのだ。現在、結婚した夫婦のうち、約九八%が夫の姓を名乗っている。改姓するのはほとんどの場合女性だというのはその通りだ。だが、民法が、女性に改姓を強要するようにできているわけではない。民法では夫または妻の姓を名乗るということになっているにすぎない。至って公平中立である。そして、それぞれの夫婦がどちらかを選択した結果、九八%が夫の姓を名乗っているのだ。

 

 「女性ばかりが改姓している」という男女のアンバランスを不愉快に感じる人もあるだろう。ならば、これは民法に問題があるのではなく、国民の意識に問題があるということである。ということは、法律をいくらいじっても仕方がないではないか。

 

 この点は考えようによっては、恐ろしいことである。別姓推進派の目的は、国民の意識を変えなければ達成されないからだ。九八%が夫の姓を名乗っているということを問題にするということは、このアンバランスを解消することが実質的男女平等だと思っているということである。別姓になりたいという人だけが別姓になっただけではアンバランスは解消しない。ということは、別姓希望者をもっともっと増やさなければ、別姓推進派の理想社会は訪れないことになる。

(続きは、Kindle版電子書籍でお読みいただけます)

 




 





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