南蛮のみち:司馬遼太郎:朝日文芸文庫 


このテーマについての発言をどうぞ。
氏名
E-mail URL


記事一覧に戻る  ヘルプ
お名前: みやざき やすし(そあら)    URL
著者:司馬遼太郎
挿画:須田剋太
発行:1988年10月20日
発行所:朝日新聞社
定価:本体560円
ISBN4-02-260519-7

本稿は週刊朝日に1983年1月から8月にかけて連載されたものです。
また、司馬遼太郎氏のライフワークとも言うべき「街道をゆく」
22巻にあたります。

本稿の話題は欧州大陸・フランスとスペイン国境であるピレネー
の山並みに住むバスク人についてです。その中でも日本で一番有
名であろうフランシスコ・ザヴィエルについて触れています。

バスク人という人種の方々には未だお会いしたことはありません。
しかし、ふとどこかで傍を通りすぎているかもしれません。欧州の
一山脈だけでなく世界中(特に南米)に散らばっている、と。日本に
ももちろんいらっしゃるでしょう。今ぱらぱらとページをめくって
みましたが、ちょっと見つけられませんが、神父として住んでらっ
しゃる方もいます。そういう方々にお会いする機会があったら、ぜ
ひ彼らの故郷であるバスクの地について、人について聞いてみたい
と、この本を読んで強く思いました。

確か私の生まれたところである長崎はローマ・カトリック教会の司
教区じゃなかったかな、と記憶しています。ここで挙げているザヴィ
エルとは深い縁はありませんが、所属する、そして創立の一員であっ
たイエズス会士とは縁があったようです。そんな縁(縁どころの話
では本来ないのですが)で、未だ司教区としての地となっているの
でしょう(もちろんこのことは、私のあやふやな記憶に基づいてい
ます。あんまり当てにしないでくださいね(^^;)

考えさせられたのは、本書の中の一文に次のようなものがあったこと
です。バスク人の神父、故S・カンドウの言葉----

わたしはバスクに生まれたことを、宣教師としてお召しを受けたこと
を、日本に派遣されたことを噛みに感謝したい。わたしは祖国を愛す
るがゆえに、祖国の恥になるようなことをしたくない。また、日本お
よび日本人から受けたあらゆる親切に対し、日本と交わって学んだす
べてのことに対して感謝するとともにわたしの有する最良のものを日
本に与えたいと望んでいる(「人類社会の二大潮流」)。

ここまで「日本」という国を愛してくれた人がいた、ということに驚
き、そして、果たして今の日本人はこうしたありとあらゆる「日本人」
らしい親切をできるだろうか、と疑問を思わざるを得ません。そのこ
とに寂しい思いがします。もちろん、皆が皆そうした親切を持ち合わ
せていないとは言いません。しかし、カンドウ神父が生きた時代に比
べて希薄になっているのではないかと、私なりに思うわけです。そし
て、自分もかつての日本人が行ってきた「親切」ができるとは全くと
いってもいいほど、言えません。言えるわけがありません。それでも
私は今の日本人が好きです。ときどきどうしようもない人もいるには
いますが、なかなかどうして、そんなヘボい人ばかりじゃないでしょ
う。素晴らしい人も沢山沢山いるはずです。カンドウ神父が生きた時
代・ザヴィエルが生きた時代だけでなく、今の時代でも。そう信じて
止みません。

なんだか脱線してしまいました。そろそろ締めましょう。

この「街道を行く」のシリーズの一部分しかまだ読んでいませんが、
私は歴史、そして著者が原稿を書いていたその時の時代を合わせなが
ら、日本人の本質というものを浮かび上がらせようとしたものではな
いかと思います。今も昔も変わらない本質というものを。それがある
からこそ、著者は一貫した視点で書き続けられたのだ、そう思います。

以上、まとまりのない文章でしたが、これくらいで。