私と中国文学
勉強することになったいきさつ
私は、歴史が好きです。大学受験もその線で学校や学科を選びました。つまり、本来は史学科志望だったのです。ところが、願書提出期間も間近に控えた1月上旬、私はいろいろな大学のことが載っている本を見ていて発見してしまったのです。
國學院大學中国文学科
私は歴史が好きですが、特に中国の歴史が好きでした。大学でも中国の歴史を勉強したいと思っていたのです。そこへこの文字が目に入りました。
中国文学といえば、その中心は史書。つまり、文学の勉強でありながら歴史が勉強できる!
私は他の中国文学科について調べてみました。その結果、私が発見できたのは、早稲田大学、二松学舎大学、桜美林大学、でした。國學院大學は名前くらいなら知っていましたので、悪くなかろうと受験することにしました。
国立を含めて受けた大学は5つ。結果は、國學院大学以外全滅でした。
親は、何としても早稲田・慶応・東大等の有名校に行かせたかったようですが、私は行きたくないところは受けておらず、國學院大學で中国文学を勉強したいという熱意が芽生えていたので、何とか親を説き伏せて無事國學院大學に入学することができました。
さて、入学してみて、私は自分の判断が間違っていなかったことを悟りました。それどころか、想像していた以上に自分の求めていたものがあったのです。
中国文学と他国の文学で違うところは、文学を学ぶということは政治に参加しようという意思の表れであると理解される点だと思います。中国では、詩であれ文章であれ、それは政治的な意味合いを持つことが多いのです。むしろ、持たないことはまず無いといっても過言ではありません。
つまり、中国では「文学」と「文芸」が完全に別れており、一般的に中国文学といってみなさんが思い浮かべる「三国志演義」や「水滸伝」「封神演義」などは、長い歴史の中においてあくまで「文芸」であり、「文学」とは見なされませんでした。もっとも、最近は少し変化してきたようですが。
そして、中国において文学を学ぶということは、人間を学び、自己の人格を高めるということなのです。そのため、「論語」「孟子」「大學」「中庸」という四書(違っていたら笑いものですね……)を中心とした、人間としてのあり方を学ぶことが主になるのです。私自身はほんの一部しか触れられませんでしたが、それでもずいぶんと勉強になりました。
中国には「史書」と呼ばれる書物があります。言うなれば「歴史書」ですね。
驚くべきことに、中国では王朝ごとにまとめられた史書があるのです。
中国では、滅んでしまった前の王朝についての史書を、その次の王朝が書くということが行われてきました。このとき悪し様に書くのではなく、あくまで事実を書こうとします。つまり、新しい王朝が前の王朝のことをこれだけ詳しく調べられる力を持っているのだ、ということを天下に示そうとするのです。
現在「明史」まであって、「清史」は編纂すべき次の国(王朝ではないですね)「中華民国」が短命であったため(台湾を中華民国として認めるかどうかもあるのですが)、現在の中華人民共和国がその編纂事業を引き継いでいます。もちろん、「中華民国史」も編纂するはずです。
余談ですが、台湾の年号は「民国」です。つまり、中華民国成立を元年と数えています。我々こそが正当な中国であるいう主張のあらわれですね。
(もう少し続く予定です)
卒論
卒業論文は、『漢書』外戚伝で書くことにしました。外戚伝というのは皇后やその一族について書かれた伝記で、私は前漢王朝の盛衰と外戚の関係について調べようと思っています。
先日、「宋家の三姉妹」という映画を神保町の岩波ホールに見に行ったのですが、そのついでに内山書店という中国書籍のお店に行って『漢書』を全巻購入しました。値段は消費税を含めて約1万2千円。高いと見るか、安いと見るかは人それぞれでしょうが、中国文学科に在籍しているのに一冊も中国書籍を買わずに卒業してしまうのも寂しい、せめて卒論関係の本くらいは……と思って購入しました。
お店のお姉さんには「これ、全部読むんですか?」と言われ、卒論で使うことを説明すると「がんばって下さい」と励まされました(苦笑)
今のところ、論文3本と訳本(筑摩書房からそういう便利なものが発売されているのです)を読んだだけですが、これから就職活動の隙を見て進めていこうと思います。