バトルロワイアル
監督:深作欣二 原作:高見広春(太田出版)
2001年 1月27日、友人と共に雪の池袋へ繰り出して見てきました。映画を見ること自体が2年ぶりくらいだったので、ややどきどきしながら上映を待ちます。上映開始前にパンフレットも購入したのですが、なるべく先の展開を知りたくなかったので目は通しませんでした。
R15指定
この映画の公開に際して、世の中ではR15指定を巡る論争が起こりました。そして映画を見て、それも納得できる内容だと思いました。。
世の中の論争はあまり良く知らないのですが、中学生が互いに殺し合うという話の展開自体はR15指定にする必要なしと判断します。15歳以下の人々が「見たからといって真似なんかしない」という主張はおおむね納得できますし、確かにその種の犯罪を増加させるような内容ではなかったと思います。
しかし最終的な結論としては、やはりR15指定にして正解であると私は判断しました。その理由は、映画における描写にあります。
私は昔から注射が大の苦手です。痛いか痛くないか、血が出る出ないという問題ではなく、自分が「刺される」という事に耐えられないのです。もちろん直視するなど論外です。それは幸いにして自分の周囲で暴力行為がほとんどなかったこと、テレビ、映画などでそのような場面をほとんど見たことがなかったことがあるかもしれません。
この映画は、人が殺し合う場面が赤裸々に描かれています。血しぶきでごまかしたり、表情をアップで見せることでごまかしたりしません。ナイフが刺さる、鎌で首をかき切る、その様子が観客に突きつけられます。免疫のない私は、殺戮の場面を直視できませんでした。おそらく映画全編2時間強のうち、20分くらいは直視していなかったのではないかと思われるほどです。
こういう衝撃的な場面を何も15歳までに見る必要はないのではないか、というのが私の考え。真似をするかしないかに関わらず、見慣れてしまう事による殺戮への抵抗感の喪失を恐れます。殺人事件を聞いたときに何を思うのか。あるいは友人が人を殺したとき何を思うのか。現在でさえテレビで殺人事件の悲報が流れても「またか」と思ってしまう人が多い中で、子供達までが現実感を持って捉えられないというのは可能な限り避けないといけないのではないかと思います。
いささか論が飛躍しているとは思いますが、上記のような理由に基づきR15指定は妥当だったと考えています。
内容
BR(バトルロワイアル)法という法律が施行された近未来の日本。全国中学3年生の中から厳選なる抽選の結果選ばれた1クラスが無人島に連れて行かれ、最後の1人になるまで殺し合う。最後の1人だけが島を出ることが出来、その後の生活の全てを保証される。これは生き残る価値のある大人を育成するための法律なのである。
昨日までのクラスメートと殺し合う。生きるためには殺さなければならない現実。誰もが生き残りたいと思っている以上、誰が自分を殺しても不思議ではないという現実。疑惑が疑惑を生み、猜疑心は自分以外の全ての者への殺戮となる。
城岩学園中学校3年B組の42人の希望と絶望を見事に描写した作品です。
まず、終盤以降と中盤までとの間に異質な部分を感じました。原作がどうなっているのかは分かりませんが、ややご都合主義というか話に救いを持たせる意図があったように思います。それを除けば、メッセージ性も強く展開も見事であったと言えるでしょう。
前半は実に展開が早く、観客を否応なしに巻き込むあたりはさすが深作欣二監督。まるで自分もその場にいるかのような臨場感がありました。もっとも、私の場合はそれ故に心臓に悪かったのですが。
後半はややテンポを落としつつ、今度はより内面の描写を密にしていきます。この前後半のバランスも見事と言えるでしょう。
役者・演技
芸能界に詳しくない私は、ビートたけしくらいしか役者の名前を知りませんでした。役者は基本的にオーディションで選ばれたとのこと。それぞれに役者の持ち味を活かしつつ、しかし単なる中学生という素人さも醸し出されていてよかったと思います。
自分はすでに通り過ぎてしまった時代ですが、ふとその当時のことを思い出したりもしました。舞台設定があまりに現実離れしているにも関わらず、意外なほどそこに現実味を感じたのも事実です。
いささかとりとめがなくなりましたが、バトルロワイヤルは見る価値のある映画だと思います。ただR15指定があるように、他人の意見に流されず自分でしっかりと考ることの出来ない人は見ない方が良いと思います。もっと言うなら、見てほしくないところです。
ちなみに私はあまりの描写に、90分程度経過するまで「見に来たのは失敗だったかもしれない」と思っていました。
原作も購入したので、機会があればそちらについての感想も書きたいと思います。
そういえば、R15指定に引っかかるか引っかからないかという世代ばかりが目に付いたのが印象的でした。あるいは15歳以下でも見に来ているのかもしれません。二十歳を超えているであろう人はほとんど見かけませんでした。