高校時代の思い出

 中学校に合唱部がなかったため本格的に合唱ができなかった(もちろん、3年次に音楽を選択していましたが)ため、高校に合格して最初に入学案内を見るときのポイントは「合唱部があるか」でした。
 「合唱部」という3文字を見つけたときのうれしさは、高校、大学に合格したときよりも上だったように思います。
 当時は、3年生が10人くらい、2年生が4人と、小さな部活だったのですが、私と同期の人たちが約10人も入部したおかげで、ある程度本格的な合唱活動をすることができました。
 高校1年の時に歌ったのが、混声合唱組曲「筑後川」 他にも、組曲やミュージカル曲の中からいいところをとってきたりした曲を歌ったりして、非常に楽しかったです。また、結構つぼを押さえた選曲だったので、このときにいろいろな歌を歌ったことが、今でも非常に役立っています。
 さて、あれは8月末の暑い日のことだったと思います。何しろその時の練習は冷房付きの音楽室ではなく、俗に「第2特教」とよばれる一般の教室だったのです。音が漏れると苦情がくるので、戸や窓は閉めたまま。まさにサウナに近い状態でした。合宿で先輩から世代交代の話を受けていた我々の学年は、練習後に次期役職について話をしていました。合唱部は終わった後にアメを一つもらえるシステムになっており、アメの入ったかご(工芸選択の先輩が作ったらしい)にはいつものように指揮棒がささっていました。
「これが指揮棒かぁ」
 先輩が使っているのは見ていても触るのは初めてなその指揮棒を、私は何の気なしにいじくってみました。それはありふれたグラスファイバーの指揮棒だったのですが、驚くほど軽く感じたのを覚えています。と、そこへ同学年の女の子の一言が。その一言が私を変えたと言っても過言ではありません。
「あ、ひこ、指揮者ね」
 私はただいじってみただけだったのですが、「だって、指揮棒持ってるんだもん」というその人の言葉に返す言葉もなく、ついでに言えば特に断る理由もなく、私は指揮者に決まったのでした。

   9月にある「記念祭」という名前の学園祭が終わると先輩は引退してしまい、本当に自分たちだけですべてを進めなければなりません。我々の学年の人数が多くてよかったと、つくづく思いました。
 まず最初の行事はクリスマスコンサート。12月25日の終業式の後に音楽室で行うもので、今回は普通の曲とクリスマスソングの2部構成にしてみました。普通の曲は同期の女の子が振り、私はクリスマスソングを担当。初めての指揮ということで、緊張して曲がとても早くなってしまいました。でも、この手作りコンサートをみんなの協力体制のもとにしっかりと成功させることができたので、前途に対する不安はありませんでした。
 1月に、第3学区の高校が集まって一つの合唱団を作り、それが各地区ごとに演奏するという、中央音楽会があり、初めて他の高校の合唱団体の人と接しました。人や学校によって合唱に対する姿勢が様々なのに驚きましたが、結局のところ歌という根底では同じなんだなぁとも感じたのでした。しかし、このときの指揮者がもう定年近いおばちゃん先生だったのですが、みんなには「ジーンズで」と言っておきながら、本人はコウモリのような舞台衣装で現れ、仲間内でかなり不評でした。8回くらいあった練習の中で何度か指揮を振ったのが記憶に残っています。

 年は変わって3月。卒業式で歌を歌い、追いコンで卒業生を送り出し、4月は入学式で歌を歌い、新入生に校歌と学友歌(というのがうちの高校にはあったんです)を指導し、5月頭には新入生向けにミニコンサートを開き、5月下旬の運動会(なぜか体育祭とは言わない)で校歌を歌い……。なかなかに激務の3ヶ月でした。
 忙しさにかまけたのか、あるいは我々の学年があまりに仲がよすぎたせいか、新入部員はわずかに3人(しかも全員女の子)しか獲得できませんでした。我々の学年の人数が多いので、合唱自体はできるのですが、男声4人という実状では、男声にかなりの負担がかかってしまいます。ところが、男声陣は見事に奮起してくれました。特にテノールの人は、実に伸びやかな声で女性に負けない声量を発揮していて、感動しました。ちなみに、その彼は大学で人数比の関係からベースになってしまい、しかもパートリーダーまでしたそうです。でも、彼は上の伸びやかな声が魅力だっただけに、個人的にはちょっと残念。

 7月。最大の危機が訪れました。それまでもワンマン的なやり方をしていた私に反発が出たことがあったのですが、今回はそういうレベルではなく、言うなれば部員同士の不信感、特に女声と男声の間に大きな溝ができてしまったのです。練習中に妙な雰囲気が流れたり、ハーモニーが全く整わなかったりしました。
 そんなある日、上で述べたテナーの彼が「部会を開こう」と言い出しました。部会を開いてしっかりと話し合わなければ解決はできない。それも、遅くなれば遅くなるほど記念祭までの時間が短くなってしまう。
 これを機に、事態は収束に向かいます。お互いにあった不信感は理解へと変わり、以後一致団結した練習が積み重ねられました。
 そして9月末。合唱部最大のイベント「記念祭公演」 クラス団体の合間をぬうように発声練習を行い、ばたばたしながらも演奏開始。はじめは堅さもあったのですが、終わる頃には見事な一体感を見せてくれました。
 曲が完全に終わりきる前にわき起こった拍手。音楽部門3位獲得。今でも忘れられない思い出です。


   ☆とりあえずここまで。暇ができたらまた続きを書きますね。

 

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