指揮者日記'99
9月12日(日) 18:00〜22:00 新宿文化センター
合宿明け初めての練習。前週の練習(合宿後初めての混声練習)でみんな結構音とかを忘れていたので不安があったのですが、そもそも合宿に来られなかった人とかが多かったので音取り中心になりました。とりあえず合宿で手の回らなかった「森のゴリラ」の音取り&合わせ。その後最も長い「傷をなめる獅子」の音取り&合わせ。
実は、練習中からどうもいまいちだと思ってました。ピアニストに「なんか、指揮が流れてない?」と聞かれた時も「あー、やっぱりそうか」と納得。後日確認してみたところ、脱力が全然出来ていないことに気が付きました。指揮をする上で腕の力を抜くことは非常に重要で、その上で効率的に力を入れるのが良い指揮に欠かせないのです。指揮は基本的に自由落下。自由落下運動はみんな見慣れているので、きちんと自由落下していればその先の指揮の予測が出来るというものです。それに、いつもいつも力を入れていると、とても振り続けることなんか出来ません。
音取り中心の練習だったので指揮をちょっとさぼっていたツケが回ってきたようです。次回の練習までには何とかしないと……。
それにも増してまずかったのが、私が曲に対して明確なビジョンを持ち得ていないと言うことです。以前から薄々気づいてはいたのですが、今回団員から曲の解釈について質問を受けたとき、それが表面化しました。本来ならば指揮者は質問に対して明確に答えられるはずです。たとえ今まで考えてもみなかったような指摘であっても。しかし、私は考え込んでしまったあげくに、指揮者としての解釈を示すことが出来ませんでした。もっともっと曲について深く考えなければならないことを痛感。
今回のことを私が深刻に受け止める理由は、それだけではありません。ふとした疑問を投げかけるのは団員にとって普通のことです。そして、指揮者は当然それに答えるものです。ところが、指揮者が質問に対して考え込んでしまうようでは「でもまた考え込まれるのも困るしなぁ」と質問自体をやめてしまうかもしれません。そうすると指揮者と歌い手との間に深い溝が出来て、おそらく歌っていても楽しくはないと思うのです。歌はやはり楽しく歌うもの。曲に対する認識が甘いというのは非常に致命的です。
曲に対する認識が甘いため、練習も単調でつまらないものになってしまいます。事実、今回は練習しながらも「これはつまらない練習だなぁ」と思いました。指揮者自身が「つまらない」と思えるような練習は、きっと歌っていて楽しくないと思います。
「これで大丈夫」とか思わずに、常に自己反省を繰り返しながら、演奏会後に「篠原の指揮は良かった」とか「楽しかった」と言ってもらえるような練習を提供できるようにさらなる努力を積み重ねていきたいと思いました。