いにしへの日常 99年10月〜12月

 

1999/12/31(金)
 いよいよ大晦日。床屋に行って大掃除にかまけていたらもうこんな時間になってしまいました。この一年を振り返る企画は来年に持ち越しです。残念。
 思えば、ふとしたひらめきからHPを開設して約1年。本当にいろいろなことがあったように思います。「日常のきれはし」には予想を超える反響がありましたし、掲示板も意外と書き込みがありました。TRPGの部屋も日記、リプレイ、対談など充実しましたし、チャットには連日様々な方がおいで下さいました。残念だったのは卒論と同時進行で充実するはずだった中国文学の部屋が1回も更新されなかったり、小説の部屋が過去に書いたものをUPしただけで終わったことでしょうか。
 それにしても、カウンターが9500以上になるとは思っても見ませんでした。こちらとしては、せいぜい2000くらいかなぁと思っていただけにうれしい誤算です。

 1900年代さようなら。
 2000年代こんにちは。

 今年一年間どうもありがとうございました。
 そして来年もよろしくお願いします。

 新しい年が、皆さんにとって良い年になりますように。

 

1999/12/27(月)
 一週間ぶりの更新です。怒濤のような一週間でした。
 まずは冬コミの準備。
 卒論にかかりきりだったのと、卒論提出の反動でぼんやりしてしまったことがあって作業は遅れ気味。結局前日は徹夜で商品を作っていました。コミケ当日も徹夜を感じさせないくらい目がさえていたのですが、最後の30分ほどはお客さんもほとんどなく、船をこいでしました。しかもその後フォイエルの人と飲みに行ったりして、なんと連続42時間半を記録。さすがに翌日、翌々日に多大な影響を与えたのでした。
 コミケの次の日はS.P.P.の年内最後の練習。クリスマスソングを歌ったりしてなかなか楽しかったです。
 そして今日から30日まで友人宅に泊まりがけで遊びに行きます。ところがこの企画、初日からの参加者はわずかに3人という状態。しかも初日に参加できない人のうち数人は地元でTRPGをしているというのはいったいどういうことなのでしょう。さらに「来れば良かったのに」とか言われてみるし。
 私は大人数で楽しむために友人宅へ行くつもりだったので、私を含めてわずか3人ではその辺で遊んでいるのと全く変わらない状況だと思うのです。このあたり、企画の甘さだなぁと思います。28日の朝まで用事がある人が数人いるのであれば、27日は普通に遊んで、泊まりがけで遊ぶのは27日〜30日でも良いのではないか、という発想は出てこなかったのでしょうか……。もちろん、自分が企画者ではなくとりまとめをしていたわけでもないので、このようなことをいうだけの資格がないことは重々承知しているのですが……。
 多人数をまとめる難しさはフォイエルで身にしみて分かりました。全員にとって都合の良い答えがないこと、多数のためにあえて少数の意見を採り上げられないことに対する苦しさ、そして少しでも多くの人に満足してもらえるように企画し運営することの難しさ。そのあたりをもう少し考えても良いのではないかなぁ、と思った一件でした。
 願わくば次回以降の企画が、全員の意見を全部採り上げようとして肥大し、結果としてうまくいかないということのありませんように……。

 

1999/12/20(月)
 今日は年内最後の研修がありました。いろいろと難しいこともありますが、辛いなりに興味を持てる部分もあって張り合いがいがあります。
 今日までに年賀状を出せば2000年1月1日の消印を押してもらえたらしいのですが、コミケ準備のためそんな暇はありませんでした。今年はなんとしても28日までには出したいところ。ちなみに昨年は1月1日に投函しました。もう今年じゃん(笑)
 コミケ準備はなかなか進んでいませんが、24日にはなんとか新刊が出せそうです。しかし、納会後だというのにフォイエルがあるというのは何とも。その時間を冬コミ準備に当てられればどんなに良いことでしょう。休んじゃおうかなぁ、と思いつつも律儀な私はきっと行ってしまうのでしょう。

 

1999/12/17(金)
 気がつけば、明日はフォイエルの後期納会。早いものでフォイエルでの納会もこれが最後です。この4年間は本当にいろいろなことがあったなぁ、と思ってみたり。まだ4年生練習という行事もありますし、追コンもあるんですけどね。それに、改選が終わっていなかったりするので、「これでフォイエルの一年も終わりだなぁ」という感じは全くありません。
 冬コミまではあと一週間。今回はいつもより余裕を持って準備するつもりだったのですが、卒論に時間を取られたのと、卒論提出後に気が抜けてしまって今日までほとんど何も手に着かなかったこともあって、これからスパートして頑張る感じになってしまいました。おまけに冬コミまでは妙に予定があるし……。お願いですからちゃんと新刊が出せますように……。祈ってないで作業しろ、って気もします(笑)
 そんな理由で、最近はHPの更新も滞っていました。友人からは「君のHPを見ていると、なんだか何もない日々をぼんやり過ごしている感じがする」と言われてしまいました。まぁ、事実なんですが(笑)

 

1999/12/12(日)
 実に二週間近く間があいてしまいました。
 10日までは当然卒業論文に忙殺されていたためです。これがまた大変で、余裕を持っていた割には提出締め切り日に提出という綱渡り状態。前日は「寝過ごしたらどうしよう(〆切は正午)」とよく眠れませんでした。
 そして昨日。  なんと、いきなりの体調不良でフォイエルの総会(私が山のように質問を出していました)はおろか、自分の練習だったS.P.P.すらお休みさせていただきました。フォイエルがお昼だったのでその間休んでいれば夜のS.P.P.までには何とか治るかと思ったのですが……。
 私がそう思ったのは、午前中に病院に行ったからです。私は意外に体が丈夫で、だるいということはたびたびあっても病院に行くほどの体調不良は滅多に起こりません。実際、前回病院に行ったのは昨年の2月。今回は実に1年10ヶ月ぶりの病院行きだったわけです。そういう私ですから、薬はあっさり効果を現します。昨年は「インフルエンザですね。2,3日したら熱が出てくるでしょう」と言われたにも関わらず、翌日には元気にフォイエルの総会(ああ、あの時も総会時期でした。しかも自分が技術委員長という要職にいました)に行っていたものです。
 そんな私ですから、夕方にS.P.P.の方に「今日は無理そうです」と連絡したときも「調子が良くなった行きます」と注をつけたのでした。だって、後1,2時間眠れば治ると思ったんだもん……。でも結果は変わらず。どこがどう悪いというわけではなかったのですが、どうにもふらふらしていました。這ってでも練習に行こうとも考えたのですが、行ったにもかかわらず何もできなかったらそれはそれで迷惑なので非常に残念ながら完全にお休みさせていただいたのでした……。しかも今回はここ数回に比べて参加人数が多かったらしく、二重に悔しかったです。
 健康って大切なんだな……、ということを身にしみて知った一日でした。

 ちなみに、最高体温は39度でしたとさ……。

 

1999/11/30(火)
 ほぼ一週間ぶりの更新ですね。ここのところ卒論にかかりきりだったもので……。
 今日は一週間ぶりに卒論の指導教官に会いにたまプラーザまで行って来ました。先週の木曜日に10時間も頑張って30枚以上書いたため、枚数はほぼ50枚にまで到達。とりあえず枚数の問題はクリアできることが確定しました。それにしても指導教官が論文を読む目は鋭いですね。一対一で見てもらうのですが、「つたない論文で申し訳ありません」と平謝りしたくなるようなまなざしで私の論文を見るのです。けれど決してきつい言い方はせず、「いいですよ」と相づちを打ちながら読んでくださるので本当にありがたいです。友人はなにやら書き直しになったという噂を耳にしますし、まだ全然見せに行っていないという人もいるようなので、私は指導教官に恵まれたなぁと思うことしきり。けれど、あまりの優しさに甘えてしまい、せっぱ詰まるまで手をつけなかったのはまずかったですが……。
 何はともあれ後10日。全力で頑張ります。
 その後新宿で友人から本を購入して、東京芸術大学オペラ研究会の第4回公演を見に行きました。「フィガロの結婚」をやるのですが、実はこの団体、第1回にもフィガロの結婚を取り上げ、その時はフィガロの役を高校の先輩がやっていました。ちなみに今回は、フィガロと結婚するスザンナという役を高校時代の同級生が演じるのを目的に見に行きました。
 ちょっとびっくりしたのは、「かわいい」という感じの印象を持っていたその人が、スザンナという役を通じてとても魅力的だったことです。魅力的と言うよりは蠱惑的かもしれません。在学中や高校の人たちで集まるときの印象とは結構違ったので、いったいどっちが本当なのかがよく分からなかったです。あるいは私が知っているのは本質ではないのかも知れません……。
 そしてもう一つびっくりしたのが、学芸大に行った高校の後輩がなぜか出演していたこと。これは本当に知らなかったので驚きました。
 オペラ自体は学生がやっているにしては毎回よいと思います。ただ、「フィガロの結婚」に関して言えば、第1回でやったときよりもちょっとレベルが下がった感じ。いまいち役になりきっていない(どことなくわざとらしい)人が多かったのが気になりました。観客の笑いを取ろうという意図が見える演出も多かったですし……。
 何はともあれ、良い息抜きになりました。これで明日からまた卒論をがんばれる気がします。

 

1999/11/24(水)
 雨の降りしきる今日の夕方に私は出かけました。行き先は卒論の指導教官の所。そう、卒論指導です。とりあえず序論だけは書いたのと、その後本論をどのように続けるべきかに悩んだので教官のもとを訪れたのですが、卒論提出〆切まで後二週間ちょっと。そろそろ「留年」の二文字が脳裏をよぎります。清書の手間を考えると、一週間ちょっとで何とか結論まで達したいところ。調べものが終わっているとはいえ、論を展開するのにはそれなりの時間が必要でしょうからかなり大変ですね。これでS.P.P.やフォイエルコールにも行こうというのはやはり間違っているのでしょうか。それに、日曜日に遊びに行こうと思っているし……。何とかここ2,3日でめどをつけたいところです。
 5時頃訪れるとまだ会議中だったので、図書館で時間をつぶすこと1時間。この間に本論の進め方を思いついたりして、無駄な時間ではなかったですね。教官のもとを訪れたのは夕方ももう6時を過ぎていました。7時間目(19:25〜)のある教官は静かに調べもの(授業の準備?)をしていらっしゃいましたが、快く相談に乗って下さいました。
 結果、とりあえず方向性が間違っていないことを確認。大切なのはとにかく書くこと。50枚ぎりぎりではなくできれば60枚くらい書いた方がよいことなどをうかがいました。何とか教授を納得させられる論文を仕上げたいところです。
 しかし、私みたいな学生は悩みの種なんだろうなぁ……(嘆息)
 訂正:昨日20枚以上と書いた序論部分ですが、よく見ると15枚程度でした。

 

1999/11/22(月)
 今日は大学が学園祭のためお休み。お昼頃のこのこ起き出して、卒論をすることにしました。とりあえずパソコンを立ち上げてインターネット&メール確認。その後卒論をする予定(一太郎で卒論の下書きをしています)でした。
 ところが、ところが……
予期せぬ停電!
 そう、埼玉県狭山市に自衛隊機が墜落し、送電線を切断してしまった影響をもろに喰らってしまったのです。ちょうどパソコンを起動してネットに接続したところでぷっつり。つくづく「卒論をやっている最中じゃなくて良かった……」と感じました。せっかく書いたものが保存する前に消えてしまったら悔やんでも悔やみきれません。まぁ、最近は自動バックアップでなんとかなるという気もしますが。
 停電していたのは15分程度でしたが、電気が止まると最近は電話もかけられません。うちには昔使っていた伝記を使わない電話があったのでそれにつなぎ変えたところ、「おかけになった地域は現在電話が使えません」というNTTのメッセージ。どうやらどこかの交換機が停電の影響を受けたようです。ベランダから外を見ると、信号機も消えていました。現代という時代は、本当に電気がなくなると痛いですね。
 さて、肝心の卒論の進み具合ですが、とりあえず序論を書き終えました。序論・本論・結論の3章構造にする予定なのですが、何とびっくり序論だけで原稿用紙換算20枚以上。いったい私は卒論を何枚書くつもりなのでしょうか。ちなみに規定枚数は50枚以上となっております。
 水曜日に卒論の指導教官に見せに行く予定なのですが、何を言われるかとても不安。「これはちょっと……」と言われたらどうしましょう。それを考えるとおちおち夜も眠れません。清書は手書きにするつもりなので、その時間も計算しなければなりませんし……。ちなみに、提出〆切は12月10日正午。かなり厳しい日程ですね。
 どうか卒業できますように(拝)

 

1999/11/19(金)
 今日は部屋の大整理を行いました。以前から本が多い部屋だとは思っていたのですが、それにしても多すぎると実感したからです。減らした量はカラーボックス(3段)1つ分。まだ捨てていないので部屋の広さとしては変わりませんが、これがなくなったら相当広くなるに違いありません。また、これに伴ってCDラックやビデオテープのラックを買うことにしました。これでぐっと整理されること間違いなし。私の狭い部屋ももう少し過ごしやすくなって、4〜5人のお客さんが来ても何とか収容できるようになるはずです。
 先日フォイエルの4年生としみじみと会話をしました。今の時期、フォイエルは役員選挙が延々と行われます。何しろ役職の数が結構多い上に、その一人一人について立ち会い演説会のようなことを行うからです。見事当選した暁には「祝勝会」と称して飲みに行きます。当然当選者は無料。こういう場ではやはり4年がしみじみとしてしまうことを実感してしまいました。なにしろ、自分たちが3年生の時に頑張って獲得した(というと何ですが)新入生が、今や指揮者や団長といったポストを占めるのですから。時のたつのは本当に早いものですね。
 その4年生と話をした中で出たのが、「今からでも役職をやりたい」ということです。昨年の今の時期は「やっとやり終える」という感じが強かったのですが、今は「自分もやりたい」という気持ちでいっぱいです。それはおそらく、役職をやることによってさらなる高みが見えてきたからだと思います。頑張って頑張って頑張った末に上った山の頂上だったのに、そこに立ってみると向こうにさらに高い山が見えたような感じです。自分のやってきたことに誇りを感じれば感じるほど、その山に登りたくなるんですよね。もちろん、これはかなわないことなのですが。
 大学4年ですらそうなのですから、会社を退職するときはもっともっと感慨深いんだろうなぁ、と話をしていたのですが、取り合える来年は社会人1年生。きっと大学1年生より辛いに違いないという結論に達したのでした。
 お後がよろしいようで……。

 

1999/11/14(日)
 この週末は大阪に行って来ました。父方の祖母が今年卒寿を迎えるので、親族一同が集まってそれをお祝いしたのです。父は7人兄弟で祖父はすでになくなっているのですが、そこに集まったのは総勢31人! 何ともびっくりです。父の兄弟とその配偶者、その子供(私の従兄弟たち)、さらにはその配偶者や子供たち。残念ながら来られなかった方もいたのですが、それでも30人以上が集まるあたり、親戚の多さを感じさせられました。本当に驚きです。私は父方の親戚とのおつきあいがあまりなく、ほとんどの人が十数年ぶり、中には初めて会う従兄弟などもいたのですが、やはり親戚ということで少し話をしたらそれなりにうち解けた気がします。しかし、自分が結婚するときにこれだけ多くの人を招くのはなかなか大変ですね……(苦笑)

 

1999/11/ 9(火)
 今日は授業もサークルもないのに学校へ。なぜというならば、来年度の役職に立候補する人たちが立候補にあたって心構えなどを聞きたいと言ってきたからです。実は私、サークルの中ではご意見番のような立場になりつつあって、これまでも様々な人に意見を聞かれたりしました。何となくえらくなった気分がするのはよいのですが、やはり話をしていると自分でやりたくなってしまいますね。もう4年で後は卒団するだけというのが非常に残念。後5年くらい指揮者をやっていたい気分です。
 昨日は会社の研修。研修も2回目にしていよいよその雰囲気を増し、終わったことにはちょっと頭痛が……。でも、いろいろと興味深いことが聞けたので良かったです。そして終わった後はいつもの通り飲みに行きました。しかもその後にボウリングに行き、3ゲームもやってしまったので最後の方はかなり辛かったです。私は3ゲーム目に165という自己2位の記録を出せたので良かったかな。しかし、腕っ節の力のない私は、いつも使うのが10のボール。あれって重さの単位は何なんだろう……。しかも、後半はばてたので9のボールを使っていました。ここまで軽くなると、指のサイズが合うものがなかなかなくて苦労します。もう少し、筋肉つけた方が良いのかなぁ……。

 

1999/11/ 4(木)
 演奏会の後は当然のように打ち上げ。朝まで行ったので帰ってきたのは今日の6時頃でした。とりあえず疲れていたので寝たのですが、何度か覚醒と睡眠を繰り返した結果、本格的に起きたのはなんと19時。連続ではありませんが12時間以上眠っていた訳です。それだけ疲れていたということでしょうか。
 3日は朝9時過ぎに現地集合。ところがその後の団員の誘導が非常になっていない。いざリハーサルが始まってもちぐはぐ。おまけにホールの人はなんだか怒っているようだし。これほど時間通りに進まないリハーサルも初めてですし、こんなに直前までごたごたやっているのも初めてでした。いったい今年の役員は何をやっているのだ、と憤慨しながらもリハーサルはとりあえず終了。
 本場はまぁまぁ。相変わらずドイツ語の曲の歌詞がいまいちだったり、学指揮ステージで指揮とピアノが合っていなかったりしましたが、とりあえずのレベルには何とか達していた感じでした。個人的には、去年よりは低かったと思ったのですが……。
 打ち上げは己らが楽しむことに終始した感じ。もっと先生方やOB・OGの方々と交流すればよいのにと思いました。3次会(朝まで)は、私一人がOBの方々とお話ししていました。
 何にせよ、全てが後手に回った一年であったように感じました。本来は役員が真っ先に問題に気づいてそれを是正しないといけないのですが、気づくタイミングが遅くていつも事前に芽を摘むことが出来ていませんでした。「天下の憂いに先んじて憂い、天下の楽しみに遅れて楽しむ」という事を去年の引継ぎ時に言ったのですが、はたしてどれだけ覚えている事やら……。4年としては、いろいろなことに気がついても言うことしかできないのがとても歯がゆかったです。自分がやればもっと効果的に事を運べるのに、と思うことしきり。まぁ、とりあえず演奏会が崩壊しなかったのが救いです。

 これでやっと卒論に集中できるぞー。

 

1999/11/ 2(火)
 いよいよ定期演奏会前日。正直言って直前まで全く楽しみではなかったのですが、ようやく楽しみになってきました。最後の最後に練習の雰囲気が良くなったことがその原因です。最後の練習でも駄目だったらどうしようかと思っていたのですが、さすがに大丈夫だったようです。まぁ、最後の練習にならないとそういう雰囲気にならないというのも問題だとは思いますが。あとは、さすがに自分の学生最後の演奏会かと思うと、これまでの様々な苦労が思い起こされたからです。なにはともあれ、良い演奏会になると良いのですが。

 

1999/10/28(木)
 今日は日本橋の三越へスーツを作りに行きました。まだ大学生の分際で、私の持っているスーツ3着は全てイージーオーダー。礼服も入れると4着がイージーオーダーなのです。何とリッチな私! というのは本当のことではありません。
 実は私、普通に売っている吊しのスーツは全然体に合わないんです。肩幅にあったものを選ぶと胴回りがぶかぶか。胴回りを考えると肩がきつきつ。今日も売場で採寸してくれた人に「特殊な体型ですね」と言われてしまいました。でも、昨年作ったリクルートスーツのウエストがきつめになったあたり、だいぶん普通な体型になってきたのかな。普通な体型になって吊しのスーツで間に合うようになると経済的だけど、多分その時期は短くて、あっという間に今度はウエストが太くて困るようになるんだろうなぁ(苦笑)

 

1999/10/27(水)
 さすがに卒論がやばいということで、指導教官に会いに行きました。とりあえずまだ報告するような状態にないので、今度の月曜日までにある程度ものにするという約束を指導教官と交わし(というか自分で宣言し)ました。
 この指導教官、物腰の柔らかいとても優しい人です。今日もほとんど進んでいない私に多逸して笑顔で接してくれ、私は「ああ、頑張らねば」と思いました。でも、あまりにやさしいのでついつい甘えてしまったり、あるいはそれでも笑顔で接して下さるのが本当に申し訳なくて会いにも行けないという一面もあるのですが……。
 そんな人ですが、怒ることもあります。私が一回だけ遭遇したその場面は、みんなが授業にあまりに遅れてきたときでした。バラバラと現れ、悪びれもせずに席に着く学生。それが10人を越すとあってはさすがに怒るでしょう(もちろん私は最初から授業に出ていた人です)。しかし、怒り方がまた違います。「私に対して失礼だ」とかそういうことは一切言いません。問題にするのは「あなた達が困るのですよ」ということ。学生の立場に立って下さる、本当に良い方です。そんな人に卒論を始動してもらえて本当に良かったなと思う今日この頃。でも、甘えすぎている気も……。

 

1999/10/26(火)
 昨日は会社の研修がありました。とは言っても初めての研修と言うことで、お互いの知識をチェックして足りないところを互いに教えあったり、簡単な操作方法を学んだりしただけでした。
 内定式の時同様、楽しかったのはむしろその後。前回は男性陣だけということでビリヤードの後に飲みに行ったのですが、今回は女性陣もいる上にちょうど良い時間だったのでいきなり飲みに行きました。いろいろ話をしていて、会うたびに新たな発見があるので本当に楽しいなぁと思いました。まだ5回くらいしか会っていないとは思えないくらいです。会社の先輩もこんな感じだと良いな。
 突然ですが、このHPは監視されている!
 とは言っても、URLをお教えした会社の人がここをごらんになって、しかもプリントアウトして周囲の人に見せていたらしい、というだけなのですが。うーん、読まれて困ることはないと思うのだけれど、やっぱり記事を書くときに少し意識してしまいますね(苦笑)

 

1999/10/25(月)
 あっはっは(笑)
 今日は会社の研修がお昼からあるので、スーツ姿で2時間目の授業を受ける予定でした。が、最寄りの駅まで行く途中(もう80%ほど進んでから)で気がつきました。
 何で自分はスニーカーを履いているのだろう!
 いやー、さすがにまずいと思って帰ってきたのですが、遅刻厳禁な先生の授業だったので行くのをあきらめました。先週も靖国神社秋季例大祭で休んでいるので、来週出てちゃんとついていけるかが不安だなぁ……。
 しかし、以前にもこんな事があったかと思うと、自分ってなんて進歩のない人間なんだろうと考えちゃいますね。

 

1999/10/23(土)
 先日の靖国神社の話の続き。「鎮魂頌」という曲ですが、何とびっくり、初演は二期会合唱団、そして指揮は團伊玖磨というそうそうたる顔ぶれだったそうです。しかもこの曲は著作権などが全て靖国神社に寄付されているという話。通りで神社らしからぬ(失礼)良い歌だと思いました。
 いい加減に卒論をやらないことには卒業できない、ということに思い至るようになりました。日曜は遊びに行こうかと思ったのですが、一日卒論に当てたいと思います。ちゃんと12月10日までに書き上げて提出できるのか、甚だ不安……。

 

1999/10/19(火)
 なにやら「シャンプーは泡立ててから髪につける」にいろいろな反応があるようで。私は新発見、目から鱗だと思うんだけどなぁ……。ちなみに、洗顔フォームはきちんと泡立ててから使ってます。いや、あれは顔につけてから泡立てられないし、第一ちゃんと書いてあります。シャンプーは「泡立ててから髪につける」なんてどこにも一言も書いていないので……。うちのシャンプーだけかな?
 さて、18、19、20日は、フォイエル・コール混声合唱団が靖国神社秋季例大祭に賛助する日。本来ならば18日だけなのですが、今年は靖国神社が出来てから130年の節目にあたるそうで、その記念式典が19、20日にあるのです。18日は式典中に折口信夫詞、信時潔曲による「鎮魂頌」を歌い、お昼を食べた後に能楽堂というところで合唱の奉納。これは唱歌を中心に10曲位を歌うものです。式典中はあまりの晴天に暑くて暑くて仕方ありませんでした。130周年という事で例大祭もいつも以上の人出だったと同時に、御神酒をいただく杯が130周年記念の特別製だったのにびっくり。しかも、「そのまま袋(用意されてました)に入れてお持ち帰り下さい」と張り紙がしてあるのに二度びっくり。例大祭の賛助は春季も含めると実に7回目なのですが、なかなか貴重な経験をさせてもらいました。で、月曜日なので夜には常任指揮者の普通な練習があったり……。
 今日は午前中の記念式典のみ。前日も歌った「鎮魂頌」と、主婦の友社が奉納したという「靖国神社の歌(斉唱)」を歌いました。今日は昨日とうって変わって寒く、なかなか二辛かったです。いつも以上に早く出番が来て、11時頃には式典会場から退場。予定ではそこでお弁当(支給)を食べて解散になるはずだったのですが、人が多かったため我々に支給されるはずのお弁当が参拝客に配られてしまい、代わりのお弁当が来るまで1時間ほど暇になってしまいました。そこで神社の方が、境内にある「遊就館」という展示場に無料で招待して下さり、靖国神社に関係のある様々な品物を興味深く拝見しました。やはり太平洋戦争の比率が高く、遺書や遺品などが多数展示されていました。
 帰ってきてからメールゲームの処理をしていたのですが、最近チャットをしていて寝るのが1時頃なのに靖国神社に行くため朝7時に起き、さらに昨日は疲れている体で練習という強行軍だったため途中でダウン。あまりに辛かったのでちょっと横になったとたん眠りに落ち、そのまま3時間くらい寝ていました。メールゲーム参加者の皆様、処理が遅れて申し訳ありませんでした。明日も朝は7時起き。今日こそ少しは早く寝よう、と昨日も思った覚えがあるなぁ……。

 

1999/10/13(水)
 私はポケットベルを持っていますが、最近ベル解約を何とかくい止めようとするのかいろいろな情報サービスのお試し版が入ってきます。大抵は全然興味のないものなのですが、この間非常に有益な情報を得ました。それは、
「シャンプーは泡立ててから髪につける」
というものです。実は私、生まれてこの方シャンプーはつけてから泡立ててました。うーむ、目から鱗。確かにやってみるとその方がいい感じです。
 そういえば今日、サークルの帰りに電車の中で女性3人(1人は同期)に「ひこさん、髪型を変えたらどうですか?」と言われてました。私自身は面倒くさいのが嫌なので、まずどんな髪型にするかを考えるのが嫌、大抵の髪型はセットするのに手間がかかるから変えたくない、と断り続けたのですが……。そんなに似合ってないかな? っていうか、どうも野暮ったいイメージを持つみたいなんですよね。社会人になることだしここらで……、という気がないわけではないのですが、やっぱり面倒くささが先立ってしまうのでした。

 

1999/10/11(月)
 私は比較的夢を見ます。もちろんその全てを覚えているわけでもなく、朝目覚めて覚えていたとしても数日後には忘れてしまうものがほとんどですが。そんな私がここ数年比較的見る夢が、「歯が砕ける夢」です。
 折れる、欠ける、砕ける。主にこの3つですが、一番多いのは砕けるかな? こういう夢を多く見るというのはいったいどういうことなのでしょう。どなたかご存じの方、教えて下さい。ちなみにそれまでよく見ていた夢というのは「追われる夢」「落ちる夢」だったりします。結構よくないっぽい夢ばっかり見てるんだなぁ……(苦笑)
 夢で鮮烈に覚えているのは、「道を聞いた夢」です。高校時代、合唱部は文化祭前の練習場所として外部の地域区民センターを使うことになりました。けれど、そこへの行き方を失念してしまった私。夢の中で当時の部長さんに道を聞いたのです。
「ねぇねぇ、あそこってどうやって行くんだっけ?」
 朝起きて、「はて?」と思ったのですが、とりあえずその通りの道で行くことにします。すると、ちゃんと着いてしまったんです。ええ。おそらく前日とかに同じ事を部長さんに聞いたのでしょうが、私の認識では「夢の中で道を聞いた」と思ったんですね。
 しかし、あのころの合唱部は熱心だったなぁ……。

 

1999/10/ 6(水)
 7月から9月の記事は記憶の小箱の方に移しましたので、読み忘れのある方はそちらの方にお願いします。
 今日はサークルの日。ついでに「卒業アルバム集団写真」を申し込んできました。うちの卒業アルバムは何と9800円。それでいてどうせ自分に関わりのある部分はほとんどないであろうから、うちのサークルの4年はほとんどが「買わない」と言っています。けれど私はせっかくだから買おうと思うし、他にも買う人がいないわけではないので「とりあえず記念に」撮ることにしました。撮影は土曜日。みんなちゃんと時間通りに集まるのかな……。
 会社の同期からのメールで、面白いホームページに行ってきました。何とびっくり、自分の価格を鑑定してくれるというもの。私の結果は以下の通り。

しのっちさんの価値は3614万9120円です
(階級は「給食当番級」です)
なお、この階級は42階級のうち27位です
内訳  値段    割合(%)
心  1920万7590円(53.1%)
才能  0円(0%)
境遇  0円(0%)
人徳 896万9730円(24.8%)
運  797万1800円(22.1%)
合計: 3614万9120円

 うーむ、なんだかだめだめですね(苦笑)

また、一日三食、ずっと肉まん(88円)を食べるとすると136928日間(375年と53日)生きていられそうです

また、普通の生活をすれば18074 日間(49年と189日)生きていられそうです

 とのことでした。
 やってみたい方は以下のアドレスにアクセスしてみて下さい。
http://www2.aisnet.ne.jp/~e-utopia/joy/nedan/

 

1999/10/ 1(金)
 いよいよ今日から10月。今日は会社の内定式でした。内定式と言っても、集まって内定証をもらって社長のお話(約5分)を聞くだけ。その後昼食会があって、その後はちょっとした適性試験をしたり研修の日程について話をしたりで16時前に解散になりました。
 同期の人たちとどこかに行こうと話をしていたのですが、すぐ飲み屋に行くにはちょっと早い時間。そこで行ったのがビリヤード。今まで2回ほどしかやったことがなかったのですが、まぁ楽しかったですね。1時間1人660円は高いとやり込んでいる人は言っていましたが。そしてその後飲み屋へ。18時前に入って出たのは21時。15人中8人しかおらず、しかも男だけだった割には(だったから?)話がとても盛り上がり、この調子なら一晩中でも話していられたかなぁと思いました。麻雀をする人とかも多いようなので、今度麻雀もやってみたい感じ。でも、お金を賭けると一人で負けそうなのでそれは勘弁です。
 何はともあれ、会社の役員の人はとても感じがいいし、同期の人とは上手くやっていけそうなのでほっとしています。今後も変わることなく楽しいと良いな。

 

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