いにしへの日常 99年4月〜6月

 

1999/ 9/24(金)
 今日はお昼のパート練習のために大学へ。古本屋を巡って帰って来るつもりだったのですが、なにやら空模様が妖しかったのでそのまま帰宅しました。そろそろ周囲では「卒論が……」というささやきが聞こえ始め、私も少なからずどきどきしています。ほとんど進んでいないので、休み明けに先生の所へ行きにくく、それがさらに遅れる原因になってしまうという悪循環。いい加減何とかしなければ……。
 思い出した話。19日(日)にカラオケに行ったのですが、ふと見ると アーティスト名:合唱  という項目が! 「はぁ?」と思って曲名を見ると、「大空賛歌」「ともしびを高くかかげて」「未知という名の船に乗り」等の合唱曲が……。曲数はさほど多くなかったものの、存在していることに非常に驚きました。そこにいたのが合唱部面子だったので、思わず「ともしびを高くかかげて」を歌ったのですが、はたしてどれくらいの人がこの曲を歌った事やら。

 

1999/ 9/23(木)
 今日は東京ムジーク・フェラインの演奏会。オケと合わせての演奏会は初めてだったのでなんだかとても疲れました。
 ちょっと腹がたったのは、2ステージのベートーベン「交響曲第1番」の時。この曲はオーケストラのみなので合唱の人たちは楽屋で休憩……と思いきやなぜか始まる練習。合唱指導の方が第1ステージの反省などをちょこちょこと話して、そのまま休憩するなら良かったのです。1ステージのことをその後のステージに生かすことは大切ですから。ところが、そのままなぜか練習を始めてしまったのです。おかげで休む間もなく第3ステージ。確かに直前まで練習したい気もしましたが、それでも休憩する時間まで削られてしまってはその後のステージに対する集中力がとぎれてしまうと思うのです。休憩しながら楽譜を眺め、静かに気持ちを高めていくという行為が必要だったのでは……と思ってしまいました。もっとも、今こんなに疲れているのは演奏会後のレセプションが立食パーディーだったからかもしれません。ただでさえ立ちっぱなしの合唱団にとって、立食パーティーは結構つらいものでした。
 来年はS.P.P.と仕事とで参加できないと思いますが、そのうちまた参加してみたいと思いますが、先生のいる団体というのはちょっと苦手なのかもという思いもあります。フォイエルの先生方は内政不干渉で完全に学生の自主性に任せて下さいます。自分がこうしたいということよりも、学生がこうしたいというものを主に考えて下さるのです。もちろん、任された練習に関しては別ですが。ところが東京ムジーク・フェラインはそうではありません。どちらかというと先生のやりたいことが先にあって、それに団員がついていく感じなのです。そういう団体があることは別に否定も何もしませんが、完全に全てを自分たちで作り上げていくS.P.P.を知っているだけに、今年もちょっとギャップに苦しみました。基本的に、自分で目標の設定が出来ないのはあんまり好きではないんですよね。
 でも、姉と一緒に出来るというのは結構楽しいことだということが分かりましたし、オケ付きの曲というのは未知の分野なので好奇心はあります。また暇が出来たら参加してみようかな。しかし、いつの事やら……。

 

1999/ 9/21(火)
 なんだか妙に忙しかった週末。ネタはいろいろあったのに更新できませんでした。もう忘れたネタもあるような気がしてちょっと悔しいです。
 18日(土)だったと思います。朝日新聞の朝刊に連載されている中国ものの小説をふと眺めていました。普段はあまり読んでいない(どうしても新聞を読めない日とかがあるので、最初から読まないことにしていたんです)のですが、その日はたまたま見てました。そこにはAという人とその長兄のBという人が出てきていました。で、「Bの字(あざな)は伯」と書いてあったのです。これ、おそらく間違い。というか、中国文学に詳しくない人が書いたんじゃないかなぁと思います。なぜなら、中国の兄弟は一番上の人を「伯」と称するからです。だから、これは字ではなくて単なる呼称なのではないかと思うのです。原文を見てみないと何とも言えませんが。
 土曜日はフォイエルの練習がありました。で、指揮者とピアニストの先生の間に意見の食い違いがあり、団員がそれに巻き込まれた感じ。先生は確かに先生なのだけれど、あくまで伴奏者なのだから団員の目の前で指揮者をあげつらうようなことは控えていただきたいと思う私。おまけに、曲の解釈について自分の考えを指揮者に押しつけている気がして非常に気分が悪かったです。確かに音楽面で学生がかなうはずもないのだけれど、「そんな解釈じゃ弾けないわ」と堂々と言われてもねぇ。「だったら別なピアニストを捜します。今までありがとうございました」と言いたい気分ですね。思えば一年前、私もそのピアニストと組んでいたんですよね。ええ、あのときは苦労しましたとも……。
 19日(日)はお昼が東京ムジーク・フェラインという団体のオーケストラ合わせ。夜は高校の同窓会(同じ部活限定)でした。久しぶりに会う人が多くて懐かしいのに、何年経っても根本的なところはやっぱり変わってなくてうれしかったです。
 20日(月)は後期最初の授業。先生は最初の授業からとばしまくり。やっぱり90分の授業は長いですね。最後の30分の長かったことと言ったら……。夕方は副指揮者の指揮の練習におつきあい。「いまさら」という気も大いにしたのですが、少なくとも何もしないよりはましでしょう。後は、本人の努力次第。

 

1999/ 9/17(金)
 なんとなくまったりとした一日。朝8時に起きたのは良いけれど、お昼に2時間ほどお昼寝。床にごろん、だったのでちょっと腰が痛くなりました。
 夕方、何気なくテレビのチャンネルを回していると(今こういう表現はしないのかな)、教育で「コレクターユイ」とかいうアニメをやっていました。とりあえず見たこともなかったのでぼんやり眺めていると、次回予告の最後に主人公が一言。

「見ないとゴミ箱ぽいぽいのぽいよ」

 今まで聞いた中で印象に残っているのは、魔神英雄伝ワタルの「はっきり言って、おもしろかっこいいぜ!」、新世紀エヴァンゲリオンの「来週もサービスサービス☆」等ですが、聞いたときの衝撃では負けますね。ぽいぽいのぽいかぁ……。
 そう言えばこのアニメ、電脳世界が重要なポイントらしく、「ダウンロード」「デリート」等の言葉が頻繁に出てきます。これ、普通のお子さまに分かるのかな。
 もう一つ衝撃の言葉。今日は親がいないので私が生協の商品を受け取ったのですが、そこに小松菜が。で、商品名が袋に書いてありました。

かきくけこまつな

 そりゃ、確かに昨今の商品名は呆然としてしまうものが多いです。やたらと長かったり。でも、シンプルなくせに強烈な自己主張。そしてあまりのくだらなさに、思わずその小松菜を取り落としてしまいました。うーん、どんな人がこの名前を考えたんだろう……。
 上記の通り、衝撃が多い1日でした。まだ18:30なので、これからまだ衝撃があったらどうしよう……。

 

1999/ 9/16(木)
 今日は久しぶりに何もない一日。夕方までネットサーフィンをしたりメールを出したりしてのんびり過ごしました。で、夕方から部屋の片づけ。私の部屋の片づけというのは、散乱しているものを片づけて掃除機をかける……ようなものではありません。本棚の位置を変え、机の位置を変え、本の収納場所を変え、本の整理をする……これが私の片づけです。そのため3,4時間で終わるようなことはまずなく、一日がかりになってしまうことがほとんどです。今日は夕方から始めたため、未だに終わっていません。今日、ちゃんと布団で寝られるかなぁ。
 昨日、気になっていたマクドナルドの「牛なべパン」を食べました。なるほど、牛鍋が挟んであるパンです。とりあえずおいしかったかな。ネギが多いのにちょっと閉口しましたが。マクドナルドもついに「〜バーガー」とか「〜マック」をやめたなぁと思っていたのですが、おそらくハンバーグが入っていないからだと思われます。そういえばチキン・タツタも上記の名称が入っていない代わりにハンバーグが入っていません。なるほど、そういう法則があったのかと妙に納得。
 昨日はサークルもあったのですが、23日に演奏会のある「東京ムジークフェライン」という合唱&管弦楽の団体がオケ合わせ(オーケストラと合唱との合わせ練習)だったのでそちらへ行きました。オーケストラは何度も聴いたことがあったのですが、一緒に歌うのは初めてで結構緊張。前々から指摘されていたにもかかわらず、オケにひかれてついつい無理をして声を出してしまいました。後1回オケ合わせがあるので、その時にはもう少し落ち着いて歌えるといいのですが。
 明日も何もない一日の予定。来週から学校が始まるだけに、ゆっくりしたいものです。

 

1999/ 9/13(月)
 昨日はS.P.P.の単声練習。つまり、私が指揮をする練習でした。ところがこれがさんざん。まず第一に、元々上手くない指揮がいつにもまして下手だったこと。振りながら「おかしいなぁ、おかしいなぁ」と思っていたのですが、最後まで修正できませんでした。今日あらためて基礎を確認しながら振ってみたら、基礎自体が非常に退化している事が判明。そういえばこの夏休みは忙しさにかまけて、指揮の練習をほとんどしなかったのでした。やっぱり、「継続は力なり」なんだなぁと実感。
 もう一つは練習が単調でつまらなかったこと。しかも団員の人が曲の解釈について質問して下さったのに、私ときたら曲に対するイメージが未だに漠然としていて上手く答えられない有様。その人が「質問するたびに前で悩まれると困るなぁ。質問するのはもうやめよう」とか思わずに、今後もどんどんいろいろな質問や指摘をして下さると良いのですが。そのためには、指揮者である私がまず曲に対するイメージをしっかりと作って、さらに楽譜をしっかりと読み込む必要があると思います。今まではおととりが主だったのであまり目立たなかったのですが、力不足がまざまざと出てしまった練習でした。指揮者日記は、暇が出来たら書こうと思います。今週はちょっと忙しいので……。
 今日は代々木オリンピックセンターでフォイエルの練習。常任指揮者の先生の練習でした。私は「蔵王」という曲のソロ候補なのですが、今日は相方が休みと言うことで本当にソロで練習していました。が、やはり難しいです。一人で歌っているかと思うと妙に力んでしまい、上手く歌えないんです。本番が2人でソリになるのか、あるいはどちらか片方が一人でやるのか、それはまだ未定ですが、私個人としては自分が一人でソロをやってみたいので、なおいっそう精進したいと思います。
 最近、いろいろ反省することがたくさんあって新鮮です。社会人になる前に自分のいろいろなことを知っておかなければ……。

 

1999/ 9/ 9(木)
 今日は友人宅でTRPG。ここのところ妙に忙しかったので、ちょっと一服できました。
 その時友人に聞いた話によると、その友人はレポートがもうどうしてもだめだったので「カレーの作り方」を書いて提出したところBだったそうな。ちなみにしっかりやっていた人はCだったそうです。さらに、友人はこの授業にはほとんど出席していなかったそうな。噂にはいろいろと聞いたことがあったけれど、本当に聞いたのは初めてです。うーん、レポート提出の有無と暑さしか見てないのかな。カレーの作り方がそんなに暑いとも思えないけれど……。

 

1999/ 9/ 8(水)
☆祝 5000hit☆
 開設から7ヶ月ちょっとで5000hitを突破しました。自分でもびっくりのペースです。最初は見てくれる人がいるだけでありがたいと思っていたのですが……。これからもどうぞご贔屓によろしくお願いしますm(__)m
 よく考えてみると、9月に入って一週間経っているのにここを更新するのは最初なんですね。合宿で更新しない癖がついていたようです。毎日遊びに来て下さっている方々、どうもすみませんでした。「毎日見に来てるんだから更新してよー」というご要望と、「いろいろ事情があるんだろうから無理して更新しなくて良いよ」という両方のご意見をいただいたのですが、やっぱり来て下さる方々がいらっしゃるのだから多少無理をしてでも更新したいなぁと思います。
 9月23日に、東京ムジーク・フェラインという団体の演奏会があります。この団体、オーケストラ付き合唱を行っていて、当然「オーケストラ」パートと「合唱」パートに分かれます。で、私はこれに参加しているのです。姉が昨年の演奏会にチェロ奏者として参加していたのですが、「せっかくだから一緒の舞台に乗ってみない?」と誘われたので今年参加することにしました(この話、以前にもしたかな?)。演奏会間近なのでフォイエルよりもそちらを優先せざるを得ないのは仕方ないのですが、実際にフォイエルを休んでみるとなんだか良心が痛みますね。まぁ、ソロ候補の先生の曲の練習に当たっていないのが唯一の救いでしょうか。

 とりあえず今日中に更新できて良かった……。

 

1999/ 8/31(火)
 30、31と1泊2日で、会社の研修合宿に行ってきました。八王子にある研修所まで行って来たのですが、なかなか楽しかったです。
 やっていたのは自己紹介を主としたコミュニケーションと、3つの班に分かれて行ったいくつかのゲームです。このゲームの方は、グループの団結の大切さや、情報の扱いの難しさ等を実感できるものでした。私の班はなかなかに個性派揃いだったのですが、役割分担なども自然に行え、他班と比べても非常にレベルの高いことが出来たのではないかなぁと思います。ゲームではかなりの成績を修めましたし、その後の感想発表ではしっかりとした話し合いの元で発表が出来ました。
 この発表で、実は私には「プレゼンテーション能力」が備わっているらしいことが発覚しました。最後に私の長所と「何となく気になったこと」を描いてもらう時間があったのですが、長所として次のようなことを言われました。

長所:
・文章化にすぐれている
・アドリブのきく所
・スマートなしゃべり方
・話が上手(プレゼンテーションが素敵)
・物事を理論的に考えている
・はきはきと話す
・人前でもあまり上がらずに発表できる点
・何事にも真剣に取り組む点
・物事を上手くまとめることが出来る
・言葉がはっきりしていて、語尾もよく聞こえ、見事なプレゼンが出来る

 ここまで言われると、うれしいより先に恥ずかしいですね(笑)
 プレゼンテーション能力は自分でも全く気づいていなかった力なので、今後上手く育てていければいいなぁと思います。

 夜は1時半まで話をしたりと、いろいろな人とお話が出来たと思います。この会社にして良かったなぁとつくづく思いました。これからもずっとそう思い続けることが出来るように、自分としてもがんばりたいと思います。
 でも、結構趣味が偏っているので「話しにくい」と言われてしまったのが残念でした。入社までにはもう少し話の幅を広げないと……。

 

1999/ 8/28(土)
 26日に、長い長い(7泊8日)合宿から帰って参りました。例年であれば一日6時間であるはずの練習時間がなぜか異様に長く、8時間練習だった日が2日もあって非常に疲労しました。昨年はコンクールなどのおかげで練習時間が明らかに不足していたため合宿の練習時間を若干増やしたのですが、演奏会以外何もないはずの今年は6時間に戻るどころか増えていて非常に疑問に感じました。はっきり言って体力的に辛いぞ! 今年の技術委員会が何を考えているのかよく分かりませんし、それを認めてしまった運営役員会にもちょっと不満を感じました。
 私も今年は4年生。実は4年生は合宿の度に先生の所へ挨拶にうかがいます。それも夜。すると飲み会が始まり、寝るのは3時頃。これを各先生ごとに行うので、7泊のうち3日はご挨拶を行っていました。ちなみに、女声ヴォイストレーナーの先生の所を辞したのは4時40分、常任指揮者の所を辞したのは3時、そして男声ヴォイストレーナーの所を辞したのは5時頃でした。女声ヴォイストレーナーの所を辞すのが遅かったのは、その先生が非常にお酒が強いことと、今年から来ていただいている先生なので勝手が分かっていなかったことが理由であげられると思います。常任指揮者の所を辞すのが他の先生方に比べて早かったのは、運営役員会や技術委員会、演奏会実行委員会の挨拶が前日に終わっていたためです。
 問題だったのは男声ヴォイストレーナーの先生。実は、この先生の所へ挨拶にうかがったのはすでに夜も更けた3時30分過ぎ。これは、今年の3会(運営役員会、技術委員会、演奏会実行委員会)が先生方(男声ヴォイストレーナーとピアニストの先生。ちなみに、ピアニストの先生は4年生がご挨拶にうかがう前にお休みになられていました)にこっぴどく怒られていたからです。「日常のきれはし」でもたびたび取り上げていますが、今年のフォイエル・コールはどうも意識が低く、役員には様々なミスが目立ち、練習中はざわざわしています。このことに、さすがの先生方も我慢しかねたようです。特にピアニストの先生(女性)は普段からものをはっきりとおっしゃる方なので、遠回しに注意するとか学生のやり方を見守るという事が出来なかったようでした。これを機にフォイエル・コール全体が良い方向に向かってくれればいいのですが、どうも私や先生方の意図とは違う方向に向かいそうで不安です。
 打ち上げは例年通りちびちび飲んでいました。ソードワールドRPGを持っては行きましたが結局やらずじまい。代わりに「カタン」というボードゲーム(?)をやっていました。途中学生副指揮者の人から相談があるといわれて話を聞いてみると、これが他人の話。うーん、他人の心配をしている暇があるなら自分の心配をしたらいかがでしょうか、と言いたくなってしまいました。
 最後の合宿と言うことで若干は感慨深かったですが、結局は例年通り「疲れた」という一言で片づいてしまいそうです(苦笑)

 

1999/ 8/16(月)
 8日ぶりの日常のきれはしです。13日を迎えるまではコミケの準備に追われ、14日からは混声合唱団S.P.P.の合宿のために更新できませんでした。

 コミケ当日。睡眠時間3時間。作業が終わらなかったり、サークル入場をするために早く行かなければならなかったりで熟睡などする暇もなく家を出ました。
 いきなり近場の電車の中で段ボールを積んだカートを引っ張っている女性発見。うーむ、同業者だ……。途中で乗り換えるとさらに人数増加。2回目の乗り換え後はそういう人たちしかいないのではないかと思えるほどでした。
 私は東ホールだったので東館入り口から入ろうかと思って歩き出したのですが、途中で飲み物を調達したかったのと、西館の正面階段を上ったところから振り返って人の波を眺めてみたかったという二つの理由で西館からサークル入場することにしました。すでに並んでいる人の横をすり抜けていくのは気持ちいい反面、ちょっと視線が怖かったです。
 ブースに到着。自分のサークルがどんな場所にあるのかよく調べていなかったので、会場見取り図で「プ-07」を探す。そして気づく衝撃の事実。
角じゃん!
 角は通路の交わるところにあるので人通りが多く、一般的に他の所に比べて売れ行きも好調です。今まで「プ-07」ということしか念頭になかったので、本当にびっくりしました。どのくらいびっくりしたかというと、他のサークル参加の2人がやってくるまで、信じられないあまりスペースを遠巻きにして眺めていることしか出来なかったくらいです(苦笑)
 最初のうちはあまり人も来なかったもののお昼頃から徐々に人が来て下さり、結果的には予想を上回る売り上げを上げることが出来ました。これも、来て下さった皆様のおかげです。ありがとうございました。

 翌日からはS.P.P.の合宿。疲れた体にむち打って参加しました。一応電車で行こうとは思っていたのですが時間など調べている暇もなかったので、コミケから帰ってきてから急遽時刻表とにらめっこ。そう言えばメールで同行者を募集していた人がいたなぁと思って電話をし、8時に東京駅で待ち合わせることにしました。
 で、当日。起きたら起床予定時刻を50分も過ぎている! あわてて家を出てみると、無情にも雨。最寄り駅に着いてみると「雨で電車が遅れております」とのアナウンス。踏んだり蹴ったりとはこのことですね。結局少し遅刻してしまいました……。
 合宿自体はほぼ滞りなく行われたのではないかと思います。私の練習については「指揮者日記」の方をご覧下さい。ただ、コミケ当日まで睡眠時間が余り取れなかったために体力が不足していて、非常に辛かったです。体調不良が慢性的に続き、気分も沈みがち。不機嫌そうな様子で周りの人には迷惑をかけてしまいました。でも、自分の練習が近づいてくると気分が高揚してくるから不思議です(苦笑)

 久しぶりのメール確認をしよう等と思いつつパソコンに向かっていたら、母親がテレビで映画を見始めました。ちらちらと横目で眺めていたら、どうやら「レナードの朝」のようです。この映画を私は大学の英語の時間に見ました。お話としておもしろいところがあるわけではないのだけれど、実話に基づいていると言うこと、無駄のないストーリー展開が非常に見事で、深い感動を覚えました。その感動が忘れられなくて、又観てみました。しかし、何度観ても切ないお話です……。

 

1999/ 8/ 8(日)
 いよいよコミックマーケットまであと5日。サークルらむじぇっとの方も急ピッチで作業中です。この時期に急ピッチで作業中というのもちょっと遅い気もしますが(笑)
 らむじぇっとは前回に引き続き(というかずっと)近未来刑事物ルール&リプレイを発行します。前回(去年の冬)から第2部が始まり、それに伴って本として発行していたものをフロッピーディスクで発行しました。今回もそれを引き継いでいますが、前回「神での発行はないのですか?」と数人のお客様から聞かれた反省を生かし、紙版を若干部数(5部)発行することにしました。今は、前回発行分のものを印刷している最中です。火曜日には今回発行分のすべての原稿が集まる予定なので、水曜、木曜でがんばって印刷などを行います。うーむ、間に合うかな……。

 14日から混声合唱団S.P.P.の合宿もあるのに、何もやってないや(苦笑)

 

1999/ 8/ 5(木)
 今日は久しぶりに一日のんびりしました。
 長野への旅行はまぁまぁでした。一番印象に残っているのは、花火をしたときのこと。さすがに山の中ということもあってあたりは真っ暗。そこで花火を始めたら、いきなり虫が体にアタックし出したのです。街灯の下に集うのは知っていましたが、まさか花火につられてやってくるとは思いもしませんでした。しかも、なぜ人間にアタックするかなぁ……。
 ただ、いまいちまとまりがなかったのが残念と言えば残念です。「何をするのか」が明確でなかったため、何となくだらだら過ごしただけで終わってしまったような気がします。せっかく長野まで行ったのだから、もう少し何か出来たら良かったなぁと思いました。

 

1999/ 8/ 1(日)
 遂に8月! 太陽暦の7の月には何も起こりませんでしたね。ちまたでは太陰暦だとかユリウス暦だとかなんとかいろいろな話があふれていますが、はたしてどうなることでしょう。
 この土日はムジーク・フェラインの合宿でした。朝9時10分に新宿発の高速バスで河口湖に向かったのですが、見事に渋滞にはまって到着まで4時間もかかってしまいました。予定では2時間で着くはずだったのですが……。それでも2番乗りだったのにはさらにびっくりでした。でも、一番が伴奏の先生であったことを考えるとまことに申し訳ない限りです。いきなり大変な始まりでしたが、合宿自体は本番で指揮をする先生もいらっしゃって練習を指導して下さったり、夜はみんなでわいわい騒いだりして楽しいものでした。
 で、寝不足です(苦笑) さらに明日から長野へ友人と遊びに行くので朝5時集合です。はー、もう寝よう……(今8時)

 コミケ用の原稿が全然出来てなくて困っていたり……。まぁ、なんだかんだ言って間に合うのでしょうが、イラストがなさそうなんだよなぁ。文章ばかりのものはやっぱり読むのも苦痛だろうし……。と思えば思うほど焦ってきます。とりあえず原稿をあげることを第一に考えよう……。

 

1999/ 7/28(水)
 東京芸術大学公開講座(指揮法)終了。なんだか疲れた3日間でした。
 今日は朝から昨日までの復習。お昼前からは芸大の器楽科の人たちが10人ちょっと来てくれて、私たちのつたない指揮に合わせって「Eine Kleine Nacht Musik」の演奏をしてくれました。楽章ごとに希望者を募り、その人が時折先生に指示されながら指揮をすると言うものでしたが、私はもっとも有名な第一楽章をする事にしました。指揮自体にすごく不安があったわけでもないし、人前に出るから頭が真っ白になったわけでもないのですが、足がふるえたのには参りました。それが手にも伝わるものだから指揮棒も小刻みに揺れてしまい、あんまり良い指揮が出来なかったように思います。曲を楽しむ暇もなく、がんばった印象しか残っていません。で、コンサートミストレスの人に先生が「どう?」と私の指揮に対する感想を聞いたのですが、その返事が「マニアっぽいですね」でした。うーむ、私の指揮のどこがマニアっぽかったのだろう……。その人によると「曲とかすごく研究してそう……」との事でしたが。でも「見やすかった」と言われたのでちょっとうれしかったり。
 全体的に高年齢だったのですが、私は初日からとても疑問に思っていました。「この人たちはいったい何を目的にここに来ているのだろう」ということを。この3日間で考えるに、どうやら特に目的があるわけではないようです。つまり、どこかのカルチャースクール等と同列に考えているようでした。まぁ、それはそれで別によいのですが、なんだか自分の期待した講座とはそのあたりで微妙に異なっていたような気がします。ちなみに、私がやっかいだと思ったのは次のお二方。いずれも席がすぐそばだったので非常に気になりました。
1.やたらと理屈をこね、しかも今回が4回目だか5回目の人。
 この人は、他の人が一生懸命やっているのを見ながら「そこはこうだ」とか「こうだな、うん」とか理屈をこねてぶつぶつ独り言めいて言っているのです。他人のことだから口に出して言うこともないだろうにと思って何となく憤然としていたら、結局その人もご自身がぶつぶつ言っていた人たちと同じようなレベルの指揮しか出来ていませんでした。だったらなおさら言わないで欲しかったなぁ……。おまけに、謝恩会みたいなのを企画するまでは良いけれど、最後の先生の挨拶が終わったあとに長々と芸大の良さについて語ったりしたんですよね。そんな話は別にあなたがしなくても良いだろうに……、と思いながら聞いていたのですが、どうも客観性に欠けていたような気がしました。んー、あれはどう考えても蛇足でしたね。
2.自分のことを一般法則にしたがる人。
 自分が「こうだ」と思ったことを「これはこうみたいですねぇ」とか話しかけて来るんです。しかも、たいてい違うし……。さらに、先生が言ったことを「ここはこうですね」と教えて下さるんですが、そんなのちゃんと聞いていればちゃんと分かりますって。そんなに聞いていない(あるいは出来ていない)ように見えたのかなぁ。そんなはずはないと思うのだけれど。この人も、自分が前に出て振るとその辺の人程度しか出来ていないんですよねぇ。
 この辺、そう言うものなのでしょうか。私とはちょっと年齢が離れているのでよく分からないのですが、これがごく普通なのだとしたら人間社会というのは非常に複雑なのですね。もう十分分かっていたつもりだったのだけれど、まだまだ奥が深いようで……。
 とにもかくにも、いろいろな意味で興味深い3日だったことは確かですね。この経験が今年の指揮にどれだけ役に立つのか、その辺はやってみないと分からなのが不安と言えば不安です。

 

1999/ 7/26(月)
 今日は東京芸術大学の公開講座(指揮法)を受講しに上野まで行って来ました。この講座は高校生以上の一般市民が対象で、朝9時から夕方4時まで3日間行われます。初日の今日は、まず部屋(第2ホール)へ入ってびっくり。全体の8割以上がおそらく50才以上という人数構成。芸大の友人と「この講座を受けに来る人がみんな指揮者の卵とかで、専門用語の飛び交う高度な授業だったらどうしよう……」と話をしていたのですが、逆に「音楽について多少の素養があるけれど、独特の雰囲気を醸し出していてどうしよう……」と悩んでしまいました。やはり授業を受ける姿勢が今の大学生とは全然違うんですよね。冗談に対して笑うタイミングとかも違って、なかなかに疲れてしまいました。授業の内容自体は結構おもしろく、「そうだったのか!」という新発見はなかったものの今まで漠然と感じていたことに裏付けを与えてくれて、非常に有意義だったと思います。成績優秀者には最終日に弦楽合奏を指揮できる特典付きなので、それ目指してがんばりたいです。一応、高校・大学で指揮をしていた意地もあるし。

 引っ越していく家庭教師先に鹿児島のおみやげと手紙を持っていく。玄関先でお話をしながら、ちょっと切なくなりました。

 言い忘れていた鹿児島話。
・鹿児島市には、その名も「桜島爆発対策特別委員会」がある。主な仕事は「防災対策、防災訓練」だそうな。
・インターハイに出ることになった人は、その高校がある土地で横断幕が掲げられるばかりでなく、その出身地にまで横断幕が掲げられている。
・鹿屋の航空自衛隊の基地近くの公園で、上空を行き交う4発プロペラ機を多数目撃。どうやら、基地の滑走路を使ってタッチ&ゴーをしているように思われた。
・帰りの飛行機で見かけたスチュワーデスさんが、朝の連続ドラマ「すずらん」に出ている萌にそっくりだった(と思った)。

 

1999/ 7/25(日)
 昨日、鹿児島から帰ってきました。羽田到着が17:30で、それから合唱団の前期打ち上げに直行。しかも2次会まで出て、帰ってきたらもう1時半頃でした。おかげで今日はずいぶんと疲れていましたが、ムジーク・フェラインの練習があるのでお昼にせっせと出かけました。この団体、オーケストラと合唱をどちらも自前でやっているあたりすごいと思うのですが、どうもあまりおもしろくありません。やっている曲が外国語の曲ばかりで、日本語の曲中心にやってきた私には辛いというのもあるのでしょうが、それ以上に個人のつながりが希薄なところに原因があるのではないかと思います。S.P.P.では有無を言わせずに巻き込んでしまうくらいの勢いがありますが、ムジーク・フェラインは何となく遠巻きにして眺めている感じがあるのです。この辺、今後どうなっていくかの鍵でしょうね。案外、「先生」がいるかどうかの違いなのかもしれません。その辺、S.P.P.には「先生」がいないのでみんな気楽にやっています。
 明日から3日間、芸大の公開講座に行きます。もちろん指揮法講座。でも、朝早いのだけが心配だなぁ……。

 

1999/ 7/19(月)
 ようやくフォイエル・コールの総会が終了。例年ならば2回ほどで終わるのが、何とびっくり6回もかかってしまいました。後期はすんなり終わって欲しいものです。
 お昼間は中国語研究会(会話の勉強をしています)の集まりがありました。昨年まで私ともう一人(4年)しかいなかったのですが、今年は1,2年生が大勢入ってくれたおかげでこのような集まりを開くこともでき、とってもうれしいです。
 明日から鹿児島に帰省します。そのため、インターネットは出来ますがHPの更新は出来ません。あらかじめご了承下さい。

 

1999/ 7/16(金)
 今日は銀座のYAMAHAに楽譜を買いに行きました。そして18時からは最後の家庭教師。なぜかというと、家庭教師先の家が転勤になってしまったからなのです。
 思えば3年前の9月。入学祝いもそろそろ底をついていた私が「バイトを探さないとなぁ」と思っていた所、私の家の斜め上に引っ越してきたのがその家族でした。親同士の話から家庭教師をするようになって、当初はいろいろと苦労しました。男の子二人の兄弟を一緒に教える難しさ、信頼関係を築く難しさ、そして物事を教えるという難しさ。この家庭教師は、自分にいろいろなことを教えてくれた気がします。それに比べれば、私が兄弟に教えられたことなどほんの少しです。大学2年、3年の時期は非常に忙しく、時には疲れて家庭教師に行くのが嫌なこともありました。疲れが機嫌の悪さにつながってしまったこともあります。するとやはり相手の機嫌も悪くなってしまいます。子供というものは相手の感情を素直に反映するものだと悟ったとき、私は少し大きくなった気がしました。
 当時小学校3年生と5年生だった兄弟も、今では小学校6年生と中学校2年生です。出会いから3年。振り返ってみると本当にあっという間だったこの3年間に、人生において忘れることは出来ないであろう様々な事がありました。大学生として世間にまた一歩近づき、それと同時に子供の素直さや夢を忘れつつあった自分には、かけがえのない週2回だったと思います。
 まだ「別れる」という実感は全然ありませんが、「もう別れるのだな」と思うと一抹の寂しさを感じてしまいます。今になって自分でも驚くほど、この家庭教師が自分の中で大きな位置を占めていたことに気づかされました。私としては勉強にとどまらないいろいろなことを(むしろそちらが主だったのではないかと思うほど)教えてきたつもりですが、私の教えてきたその枠をさらに飛び越えて行って欲しいと思います。
 3年間、勉強を教える人としてはいまいちな人を相手にお疲れさまでした。これからの人生はまだまだ長くきっといろいろなことがあるでしょうが、もし良ければ時々私のことなども思い出してくれるとうれしいな。引っ越しても元気でがんばって下さい。

Good-bye. ではなく See you again. ……

 

1999/ 7/ 8(木)
 今日は珍しく友人がうちに遊びに来ました。私の部屋は非常に狭く、普段は人が集うのに適当でないと言う理由であまり誰も来ないのです。途中から場所を別な友人の家に移して麻雀。それが一段落したのがだいたい18時頃。で、今日のメインはそこからでした。
 今私は友人たちと「RPGツクール95」というソフトを使ってゲームを作っています。まだ全然出来てはいないのですが、その企画についての話し合いが始まりました。いろいろと設定についての考えの違いなどがあり、その辺を整理していくうちに議論は白熱。何とその友人の家を出たのは22時頃でした。
 何が問題になったかというと、「獣人」の扱いです。このゲームでは獣人(猫人間や犬人間など)も主人公キャラとして使うことに仮決定していたのですが、それでは主人公に感情移入できないのではないかという意見が出たのです。私はシナリオ面でカバーできると考えていたのですが、人によっては「自分が人間である以上、人間以外に感情移入するのは非常に厳しい」「獣人が出てくると、それだけで拒否反応を示す人がいる」という考えを持っており、その辺の調整をつけるのに一苦労しました。結論としては「獣人は出すが、その姿を人間に近づける」事になりました。
 私としては獣人というだけでいきなり拒絶反応を示す人はそう多くないと思うのですが、やはり世の中そういうものなのでしょうか……。

 

1999/ 7/ 4(日)
 今日は友人宅でトーキョーN◎VAをプレイした後、合唱団へ。プレイが若干長引いたので遅刻してしまいました。帰ってきたらちょうどテレビでウィンブルドン女子決勝(グラフ対ダベンポート)をやっていたので見ていましたが、昨日見たウィンブルドン女子準決勝(グラフ対ルチッチ)の試合の方が見応えがあったように思いました。ルチッチはまだ二十歳前。にもかかわらず時折目を見張るようなすばらしいショットを見せてくれます。一方グラフはもう30才。ルチッチのような若さは望むべくもありませんが、経験に裏付けられた確実なショットと、調子の悪いところ(この日はサーブでしたが)を試合を行いながら調整できる巧みさが見事でした。この両者の戦いは、相手のサービスゲームをブレイクし合う壮絶なもの。随所にスーパーショットが飛び出して、思わず息をするのを忘れてしまうほどでした。自分も軟式とは言え中学時代にテニスをしていたので、なおのことそのすごさがよく分かります。あまりのすばらしさに、見終わった後無性にテニスがやりたくなりました。もっとも、今では筋肉も衰えてまともには出来ないでしょうが……。

 

1999/ 7/ 1(木)
 早いものでもう7月です。「日常のきれはし」も半年続いたわけですね。今日からまたページを新たにしてお届けしていきたいと思います。昔の記事は記憶の小箱の方にありますので、読み忘れのある方はそちらの方にお願いします。
 今日は会社の懇親会に行って来ました。いろいろ説明を受けたり書類を提出した後に、役員の方との昼食会があり、楽しい時間を過ごすことが出来ました。今年は300人以上の人が説明会にやってきたらしく、採用が15人であることを考えると実に20倍以上だったわけです。そう考えると、よく自分が受かったものだとびっくり。まぁ、ここで止まることなくたゆまぬ努力を続けていきたいと思います。
 最近なんだかお疲れ目なのが気になるところ……。

 

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