ショートストーリー 〜雷〜 |
「今度はあの人にしよっと」 私は目を細めて笑った。標的にしたのは強そうな背の高い男。 「いてっ!」 ドアノブを握った男は反射的に手を引く。そして気を取り直してもう一度ドアノブに手をのばし…… 「いてっ!」 男は何度もノブを握ろうとがんばってるけど、私は静電気を起こしてそれを妨げる。何故って、楽しいから。一年中やることのない私にとって、これはちょうどいい暇つぶし。都合のいいことに、私の姿は人間には見えないし、声もその耳に届くことはない。 私は男を解放してあげると、、辺りを歩くことにした。この辺りも「開発」とかいうもののせいでかなり変わってきている。あそこはこの前までお風呂屋さんだった。こっちはこの前まで小さな古めかしい家だった。こんなことは数え上げればきりがない。 「お姉ちゃん!」 昔と今の違いをあれこれ考えていた私の耳に、元気な男の子の声が飛び込んで来た。 6才くらいのその男の子は私がよく会う子だ。私のことを「お姉ちゃん」と呼んで、まとわりついてくる。 あ、さっき言った「人間に見えない」っていうのには例外がある。それは邪気のない、子どもやお年寄り。 「ねえねえ、遊んで!」 この子の名前はなんていったかな? アツシ? タカシ? リュウ君。そうだ、リュウジ君だ。 「こんにちはリュウジ君。今日はいじめられてない?」 「うん、大丈夫」 私がこの子に初めて会ったとき、この子は4,5人に石を投げられていた。見るに見かねた私が静電気で追い払うと、男の子はじっと私の方を見た。 私は正直言って驚いた。何故なら、初めて私のことを“見た”人だったから。 以来、この子は私の友達になった。ううん、そうじゃない。私がこの子の友達になったのだ。 「お姉ちゃん、パチパチやって、パチパチ」 「ん、じゃあ公園に行こう。あそこでパチパチやってあげる」 道端だと人目がありすぎる。私はそう思って、いつもの公園へ行くことにした。公園の奥、小さな古いシーソーが私たちの指定席。 「はーい、パチパチのはじまりはじまりー」 シーソーにちょこんと座ったリュウジ君を前に、私はまず両方の手のひらの間で火花を飛ばす。これだけでリュウジ君は喜んでくれるけど、これはまだ序の口。次は手をおわん状にする。その中で乱舞を始める静電気たち。ときどき元気なのが、手の中から飛び出して空中に消えていく。 「いくよ、花火」 とたんに小さな観客は真剣な顔つきになって私の手を見つめる。一瞬たりとも見逃すものか、という気迫のせいか、瞬きすらしていないのかと思わせる。 私はそれを放り投げた。高く昇って行く青白い球。そしてそれは途中で小さくはじけて消える。 「次、バンバン!」 「ようし、いくぞぉ!」 私はリクエストに答えるべく、人差指を彼の方に向けた。とたんに、指先から小さな青白い光が飛び出す。私はリュウジ君が歓声を上げながら逃げ回るのを、少しねらいを外しながら撃っていた。 「!!」 公園の入口に男が1人立っている。その男、私の方をじっと見ているのだ。それだけならほとんど気にも止めなかっただろう。でもその男は、私の方を指さしていた。 「あ、あ……あ……」 私は彼から目を離さなかった。いや、目を離せなかった。黒い、底知れない深さを持った目が私を見ていた。もし、リュウジ君が私にぶつかってこなかったら、私はいつまでもそこでじっと立ち尽くしていただろう。 「つーかまーえた!」 「きゃあ!」 不意に背後から腰の辺りに衝撃を受け、私は思わず前によろめいてしまった。それでも目を離せない。 「お姉ちゃん、つまんないよぉ!」 私の袖をぐいぐいと引っ張っていたリュウジ君は、ついに音をあげて叫んでしまった。 私はあわてて謝る。 「ごめんねリュウジ君。お姉ちゃん、もう帰らないといけないの。また遊ぼうね」 自嘲。どこへ帰るというのだろう、私は。 「……絶対だよ」 不承不承といった感じで、リュウジ君は私を解放してくれた。それでも名残惜しそうに振り返りながら公園を出ていくその後ろ姿を見送りながら、私は小さくつぶやいた。もう2度と会えないような予感がした。 「さよなら、リュウジ君。元気でね・・・・」 「別れはすんだのか」 例の男。いつのまにか私の横に立っている。 大きい。 それが第一印象だった。何しろ、私の背は彼の胸くらいまでしかない。確かに私の背は人間達と比べてみて小さい方だけれど、それにしてもこの人は高すぎる。人間の感覚で言うのなら、190cmくらいだろうか。 私と男は肩を並べて公園の入口をじっと見ていた。お互い顔も見ない。一見すれば親子が並んで立っているようにも見えるだろう。でも私は、そんなにのんびりしてはいられなかった。男がいつ、どの様に動くのか。極度の緊張のせいで、血の気が引いたことを自覚せずにはいられない。この男はどう動くのだろうか。いきなりつかみかかってくるのか。それとも距離を置こうとするのか。見たところ武器は持っていないみたいだけれど、何か隠しているのだろうか。分からない。自然に立っているように思えるのだけれど……。 不意に男が口を開いた。あれこれ考えていた私は、予想外のことに、身動き一つできずに立ち尽くす。 「お前、どこで生まれた」 心の中で警告音が鳴った。 要注意。 この男は何を聞いた? 私の生まれた場所。 何故? 私が人間でないのを確かめるため。 そう、私の生まれた場所なんて誰も知らない。物心ついた頃には、すでに人間相手に静電気を起こしていた。 “私はどこから来たのだろう” それは今まで考えたことのない疑問だった。どこから来たなんてどうでもいいはずなのに。 「どこで生まれた」 繰り返される質問。 私は思わず口に出してつぶやいてしまった。 「私、どこから来たんだろう」 口に出さないと、不安に押しつぶされてしまいそうだった。 この人は知っているのだろうか。何よりこの人は何なのだろう。 突然空気が緊張した。いや、緊張しているのに気がついたと言う方が正しい。男の口調は明らかに厳しくなっている。 「お前、妖怪だな」 “そうなの?” 私は思わず問い返しそうになった。今はただ、自分のことが知りたい。でも、この状況はそれを許してくれそうになかった。 反射的に身をひねる。一瞬前まで私がいた空間を衝撃波がつらぬいた。すぐに起きあがって電光をたたき込んだけど、すでにその空間には何もない。 “後ろ!?” 思ったときにはすでに遅かった。不意に視界が青く染まる。 「なに、これ!」 バシィッ!! 放電してる。この空間全体が放電してる。 「私をバカにしてるの?」 電気は私の友達。小さな小さな静電気から、大きな大きな雷まで。みんな友達。 「おいで、みんな。怒らないで」 放電がやんだ。怒り狂っていたのが嘘のように静かになる。 「そう、いい子ね。お願い、あいつを貫いて!」 私の言葉に反応して、雷が空間を貫く。元気よく飛び出していくその姿は、まさに1匹の竜だ。すぐにでも男を食い破ると私は思ったが、男が不思議な印を空中に描くと、その瞬間、竜は身悶えする。 そして、そして……。竜は消えてしまった。私の友達は、音もなく消えてしまった。 「俺をなめるなよ」 低い、押し殺した声。その声に応じるかのように、再び放電が始まる。 「おいで」 “何度やっても同じこと” そう思って私は呼びかけた。 ・・・・変だ、返事がない。それどころか、一層活発になったような気がする。 「どうしたの。落ちついて」 何とかなだめようとするのだけれど、みんな少しも聞いてくれない。何かに憑かれたかのように、放電はますますその勢いを強めていく。 私は走りだした。この空間は危険すぎる。 バシッ! バシィッ! すべてのものに悪意を持って襲いかかろうとしているかのような放電。今まで友達と思っていたものに、私は初めて恐怖を感じた。 そして、もう1つの恐怖。 私、知らない間に、結界の中に封じ込められてしまっていた。 “目の前が青くなった、あの時だ” 不意に思い出す。あれは結界が張られたから、空間が青く変色したんだ。だとすると……。 だとすると、逃げられない! ううん、逃げられないだけじゃない。ここから出られないってことは、いつかはこの友達にやられてということだ。最初のうちは避けることもできるだろう。でも時間が立てば疲労してくるのは私の方だ。そうなれば、私は……。 「……や……いや……死にたくない……」 一回口に出してしまうと、言葉は堰を切ったように流れだしてくる。 「誰か……誰か助けてよ。お願い。ねえ、助けて……」 私は男に懇願した。やれと言われたら土下座だってしただろう。でも、男は黙って私を見ているだけだった。その目からは、同情なんて言葉は一かけらも見いだせない、そんな冷たい目だった。 不意に男は私を指さす。 バシィッ! 「きゃあーー!」 その瞬間、私は背中にはじけるような痛みを感じた。雷が私に体当りをしたのだということは、誰に言われなくても分かった。 バシッ、バシィッ、バシッ! 私の肩に、足に、腕に、そして体に、雷は容赦なくぶつかってくる。そしてその度に、私の体を痛みが走り抜けるのだ。 私はこらえきれずに膝をついた。そして、その姿勢すら維持できなくて、前のめりに倒れてしまう。 「いや……やめて……お願…い……」 私の正面の男は、それでも顔色一つ変えない。 やがて、痛みさえも感じなくなった頃、近づいてくる足音を耳に感じながら、私の意識は深く沈んでいった。 「起きろ」 どれくらいの時が流れたのだろう。私は男の声で目が覚めた。目の前には2本の足。立ち上がろうとして、体が動かないことに気がつく。そして同時に、私は別のあることに気がついて、屈辱を感じた。 なぜなら、私の今の格好は、地面にうつ伏せになっていて、まるで男に対してはいつくばっているように思えたからだ。 “冗談じゃない” そうは思ってみても、体は動かない。私は何とか首だけは動かすことに成功して、男をにらみつけた。男の顔は地上から遠く離れた場所にあるので、首が痛い。それでも、私はにらみつけるのをやめなかった。 「助けてやる」 「!!」 男の口から出た意外な言葉に、私は思わず息をのんだ。でも、その後の言葉は私には受け入れられないものだった。 「ただし、今からお前は俺の奴隷だ」 「誰がお前なんかの奴隷になるもんか!」 「強がるな。俺が見捨てればお前は死ぬぞ。誰からも見えないからな」 「……きっとリュウジ君が見つけてくれるわ」 「見つけてどうする。あの子供にお前の治療ができると思うのか」 思わない。確かにこの男の言うことを受け入れなければ、私は死ぬかも知れない。でも、だからといって、奴隷になってまで生きていたいとは思わなかった。 「断わる」 私は絞り出すように言葉をはいた。 “まだ生きたい。こんなところで死にたくない” 私の理性は、死の扉を開けることを拒んでいた。でも同時に、私のなけなしのプライドは、この男に屈することを拒否している。 「さっきまでは“やめて”や“死にたくない”と言っていたと思ったがな」 男はそう言うと、しゃがみ込んで私の顔をじっと見た。深い瞳は私ではなく、私の向こうのどこか遠くを見つめているような気がして、私は思わず目を閉じてしまう。 視界が閉ざされると同時に聞こえてくる呪文の詠唱。 不意に、額に何か熱いものが押しつけられた。 「いやぁーー!」 私は必死に首を振ってそれから逃れようとするのだけれど、それは私の額から離れようとしない。それどころかますます熱くなってくる。 額の熱さはすでに耐えられないほどになっている。なんだか頭まで痛くなってきた。 「やめて!!」 そして再び闇。 気がつくと、そこはどこかの林の中だった。湿気が多いせいか、じめじめする。日の光ははるか上で遮られて、ここまではほとんど届かない。 「体、治ってる……」 私の体は何事もなかったかのようだった。雷に撃たれて黒こげになっていたのが嘘のようだ。仰向けに寝ころんだまま、私は手足を動かしてみる。大丈夫だ。少しも痛くないし、ぎこちない所もない。 「ここは……?」 体が動くと分かったので、私は身を起こす。 と、鋭い痛みが私の頭を襲った。あまりの痛みに立ち上がることすらできず、私は再び横になる。すると、不思議なほど痛みがやわらいだ。 「まだ当分動くな。その頭痛が完全に引くまで5日はかかる」 あの男の声だ。反射的に立ち上がって身構える。再び頭痛が襲うが、気にしている暇はない。 「立ち上がるとはなかなかの根性だな。だがやめておけ。また気絶するだけだ。おとなしく寝ていろ」 「誰が……!」 “誰がお前の言うことなんか聞くもんか”そう言おうとして、私はさらにひどい頭痛にみまわれた。今度はさっきまでの比じゃない。“死んでしまう”そんな痛みだ。耐えきれずに私はその場に倒れ込む。すると頭痛は嘘のように治まった。 「お前の頭痛は俺の呪文によるショックだ。5日もすれば治まるが、俺に逆らえばその限りではない」 その瞬間私は悟った。私はこの男の奴隷にされてしまったのだということを。私はこの男に逆らえない。不本意だけれど、それが事実だ。 「お前、名前は」 「私に、名前なんてない」 そう。生まれた場所すら知らず、いままで独りで暮らしてきた私に名前なんてあるはずがない。 男は少し首をかしげて、何かを考えているようだった。そして顔を起こすと「お前、雷を使うのか」と聞いてきた。 私はなぜそんなことを聞くのか分からなかったけど、とりあえずうなずく。 「そうか。ではお前の名前は『雷』だ」 「『いかづち』?」 「そうだ。俺はこれからそう呼ぶ」 「お前の名は?」 「俺の名前? お前が知る必要はない。お前は俺のこと『マスター』と呼べ」 私の名前は雷……。私は初めて自分の名前を持った。それは、たとえ与えたのがこの男だとしても、なぜかうれしかった。やっと人並になったような気がする。そして同時に、この男をマスターとは呼ばないことを心に誓った。それを口にすれば、自分が奴隷だということを認めることになる。体は束縛されても、心まで束縛されるつもりはなかった。 それから1週間がたち、私の頭痛が治まると私たちは出発した。この1週間、男は私の面倒を見てくれた。口調はぶっきらぼうだったけれど、心の奥底に何か温かいものを感じて、私は不覚にも泣きだしそうになってしまった。 この男がなぜ旅をしているのかは分からない。 私がどこからきてどこへ行くのかも。 でも、歩いている限り、どこかへ向かっているのだ。 私は“自分を探す旅に出るのだ。決して奴隷として連れて行かれるのではない”。そう自分に言い聞かせた。 そして、私たちの長い、奇妙な旅が始まった。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 「逃げろ! さもなくばいますぐこいつを倒せ!」 「そんなことをしたらお前が・・・・!」 「いいから行け!」 目の前には不気味に蠢く妖怪。そしてとらえられ、身動きのできないあいつ。 私は今までの旅を思いだした。 和泉(いずみ)。和服がとっても似合うおしとやかな女の子だった。 八尾(はちび)。九尾の狐に一歩及ばないって意味の名前の陽気な男の子だった。 渡 (わたり)。少年っぽい、元気な女の子だった。 あいつを含めて5人で旅をしていたあのころ。あのころはもう2度と来ないんだ。 あいつは、3人を駒としてしか見てなかった。妖怪を倒すための駒としてしか。今のあいつの状況がそのまま3人の状況だった。あの時、あいつは何のためらいもなく術を使った。そのせいで3人は死んだんだ……。 そう考えればあいつなんて見捨ててもいいはずなのに、でもそうできなかった。 「行け! それとも俺が食われるのを見ていたいか!」 「……」 「行け! 行って他の3人の分まで生きろ!」 「……マスター!」 私の中で何かがはじけた。見えない力が全身をかけめぐり、妖怪に向かって突き出された両手から飛び出していく。 耳を覆いたくなるような声と、鼻を閉ざしたくなるような臭いが辺りを漂った。 私は妖怪だったものに走りよった。 そこには黒く焼けただれながら、それでもなお生きているあいつ、いや、マスターの姿があった。 「……行け。俺はもう駄目だ」 「いやっ、マスター」 マスターの顔が不意にゆがんだ。私の目から熱いしぶきがマスターに流れ落ちる。 「死なないで……」 「いちばん頑固だったお前がやっと俺をマスターと認めてくれたんだ。簡単には死なないと言いたいところだが……もう無理だ。早く行け」 「マスター、マスター……」 「3人に詫びておいてくれ。どうやらそんな時間もないようだからな」 そういうとマスターは静かに目を閉じた。 「この世界は厳しい。特に俺達はみ出しものにとってはな。だが生きろ。しっかりと生き抜くんだ」 「マスター……」 「じゃあな……」 「マスター? マスター!」 思わずマスターを揺すってしまう。嫌な感触がして黒こげた皮膚がはがれた。 「マスター?」 どんなに呼びかけても返事はない。それでも私は呼掛け続けた。失いたくはなかったから。 どれほどそうしていただろう。すでに日は落ち、空には星が瞬いていた。 「マスター、私行きます。そして生きます。3人の分まで、マスターの分まで……」 電撃で地面に穴を掘ると、マスターをそこに埋める。土をかけ、マスターの姿が次第に見えなくなるにつれて、私の中に空洞が空くような気がした。 「マスター……さよなら」 『マスター』和泉の上品な声。 『マスター』八尾のとぼけたような声。 『マスター』渡のはじけるような声。 あのころは分からなかった『マスター』という言葉の感触が、今では手にとるように分かる。それは上下関係じゃない。言うならば“思慕”や“尊敬”。 私も万感の思いを込めて言います。 マスター…… |
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