DANCER IN THE DARK
監督:Lars von Trier
2001年 2月10日、午後から友人と「バトルロワイアル」を見る約束をしていた私は、どうせなら午前中に気になっていたこの映画を見ようと映画館へ出かけました。ややのんびりしていたため開演15分前に到着。そこにはすでに40人くらいの人が列をなしていて密かに不安になるものの、悪くない席に座ることが出来てほっとしました。 映画の根本的な部分に触れていますのでまだご覧になっていなくてこれからご覧になろうと思っている方はお読みになられない方がよいと思います。 内容
主人公のセルマという女性は女手1つで息子を育てているのですが、実は遺伝性の目の病気で徐々に失明しつつあります。けれど、視力を計るときにはそこに書いてある文字をカンニングペーパーでしっかり暗記するなどしてそれを周囲に悟られないようにしていました。ミュージカルの大好きな彼女は視力の弱さを努力でカバーしながら、サウンドオブミュージックのマリア役に抜擢されます。 印象に残っていること
「目が見えないのかい」と知人に聞かれたセルマは、「見るべきものなんてある?」と答えます。この答えを聞いて私は自分の心の中を突風が吹き抜けたのを感じました。誰もが目が見えなくなるということを否定的に捉えるのに、彼女はもはやそれを納得しているのです。 すべてが見えた 暗闇だった 一筋のちいさな閃光が見えた この映画はミュージカルシーンが現実シーンの延長線上に展開されます。けれどそれはセルマの空想の世界なので、どこかで現実に戻ります。この現実と非現実の区別がつきにくいのが、しかしセルマの心理を示しているようで見事だと思います。 ミュージカルが好きなセルマが、本当にどのような場面においても音を求めることも印象に残りました。工場の機械がたてる雑音の中からリズムを感じてそこに音楽を見いだしたり、汽車の立てる音に音楽を感じたり。そんな彼女は、刑務所の部屋が物音一つしないことにおびえます。そしてベッドの上に立ち上がって換気扇からかすかに聞こえてくる教会の賛美歌に耳をすますのです。 最後の場面。絞首台の上。 彼女は最後の歌の中でこう歌っています。 これは最後から2番目の歌 最後ではなく、最後から2番目の歌。 音楽
映画を見終わった後にパンフレットを読んで知ったのですが、セルマを演じたビョークが音楽も担当しています。というよりは、音楽を担当していたビョークがセルマも演じたという方が正しいでしょう。彼女は生粋の音楽人なのですから。 死と自分
死刑判決を受けてからも映画は続きます。生きていながらすでに死ぬときが決まっているセルマ。恐れを抱きつつもしかしそれを受け入れていく様子は、彼女が強いことの証。彼女は「私は強くなんてなかった」と言うのですが、最終的にやはり強かっのだたと思います。 自分という人間を見つめ直させてくれた映画でした。 |
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