『出雲大社』


出雲大社正門前  ご縁横丁

 出雲市駅に戻り、駅前から路線バスに乗車すると、30分弱でバスは出雲大社の正門前へ到着する。
 本来であれば、一畑電車の出雲大社前駅近くにある一の鳥居(石の大鳥居)から参るべきなのだろうが、浴びせかける強い陽射しと、輻射熱で沸き返る酷暑のため、ついつい手抜きをしてしまう。
 二の鳥居の正面の一角を
「勢溜」という。鳥居の向かい側には、確か以前は土産物屋があったように思うが、今回訪れると「ご縁横丁」なる施設が出来ていた。観光客相手の飲食・物産の集合商業施設といったところで、最近では全国の観光地でこうした誂えたようなような施設が幅を利かせている。個人的には全く感心しないが、トイレやコインロッカーを完備しているのは長所だ。今回も大荷物をロッカーに預けて、いざ出雲大社に参拝

二の鳥居  下り参道

 二の鳥居(木の鳥居)は、出雲大社のエントランスとして最も印象的なビジュアルである。
 先述のとおり、実際にはもっと手前に一の鳥居があるのだが、それでもこの鳥居をくぐるときには神妙な気持ちになる。
 二の鳥居の先は、珍しい
下り参道になっている。緩やかなスロープ状の参道は先々まで見通せて、神域に入る高揚感と期待感を高める。思わず足も早まるが、グッと抑えてゆったりと歩を進める。

松の参道

 スロープを下って小川を渡ると、そこからは砂利敷きの松並木になる。これが松の参道で、上写真で松に隠れるように建っているのが三の鳥居だ。
 もともと松に挟まれた参道の真ん中部分は、貴人しか通行できない場所であった。現代ではそれを正面から言い難いものか、「松の根を傷めないように両側を歩いてください」といった趣旨の立札がしてある。どうもなぁ、と思いつつも別に異存はないので、素直に脇道を歩いて進む。

銅の鳥居  拝殿

 松の参道から手水舎を経て、いよいよ銅の鳥居に出る。これが四の鳥居だ。
 1580年に毛利輝元が寄進をし、1666年に造り直されたもので、現存する日本最古の銅鳥居ということである。
 鳥居をくぐると眼前に佇立しているのが
拝殿。大遷宮の間は大国主大神の仮住まいである「御仮殿」となっていたが、ゴールデンウィークに本殿に遷座したので、今では元どおり拝殿に戻っている。
 ここで、例のとおり、
二礼四拍手一礼でお参りする。

八足門・正面

八足門・左  八足門・右

 拝殿を回り込み、本殿へ向かう。
 現在の本殿は1744年に完成したもので、60年ごとに檜皮屋根の葺き替えを行う「大遷宮」を、今回で4度経たことになる。
 上写真は、素晴らしい彫刻でも知られる
八足門。1667年に建立されており、本殿は立入禁止なので拝礼はここから行う。葺き替えたばかりの檜皮屋根が沈毅かつ精美な趣きで、背後の山の緑、空の青、雲の白に映えている。

本殿  周囲を一回り

 横や裏から大社造りの本殿を眺める。檜皮屋根にくっきりと影を落とす千木がとにかく印象的だ。
 本殿と八足門の間にある楼門までは、正月5日間に限り入ることができる。といっても旅行客には無理な注文なので、指を咥えて眺めるしかない。
 出雲大社の大遷宮は、屋根の全面葺き替えを意味するもので、建物自体を造り替えるものではない。その意味では、伊勢神宮の「式年遷宮」とは違うようで、その違いがまた興味深い。

十九社

 本殿の周囲にある社も、しっかり見ておきたい。
 上写真は、
十九社である。旧暦10月は「神無月」と呼ばれるが、広く知られているとおり、それは八百万の神々が全国から出雲大社に集まり、各地を留守にするからである。論理的必然として、出雲では旧暦10月を「神在月」と言う。
 さて、なぜ全国の神々が集まるかというと、神様の定例議会もしくは定例年次総会(?)が開催されるからである。会期は7日間で、その間は全国の神々が出雲に宿泊する。まあ、会議にかこつけて毎晩盛り場にくり出す(?)神もいるかもしれないが、遠来の神々全てがそれほど懐に余裕があるとは限らない。そんな神々が宿泊する施設が、この十九社なのだ。長屋スタイルで少々窮屈そうだが、仕事で来ている(?)のだから贅沢は言えない。そう、メッセ会議施設に併設された宿泊研修センターといった雰囲気をイメージすれば良いだろうか(?)。

素鵞社

 上写真は、小さな社ではあるが有名な、素鵞社である。
 祀られているのは、素戔嗚尊(スサノオノミコト)。天照大神の弟神で、八岐大蛇退治で知られる古代神話の英雄だが、実は大国主大神の父神にあたる。早い話が、オオクニヌシノミコトはスサノオノミコトの娘であるスセリヒメの婿殿なのだ。
 個人的に思うに、日本書紀や古事記の記述というのは、古代大和神話と古代出雲神話が混沌となり、交わり、重なりして出来ているのだと思う。もはや、その因果を解明することは不可能で、逆に言えばどんな空想でもこじつけられそうな気がする。歴史というものは、すべからくそうした性質をもっているのではないか。断片的な情報のパーツが、伝聞や伝承の過程を通じて、人為的又は自然的に組み替えられ、編集されていく。自分が教えられた歴史が絶対唯一の「真実」であると過度に信じることは、想像力の欠如に他ならない。タイムマシンでも発明されなければ、それは誰にも断定はできないのだ。

神楽殿  巨大注連縄

 本殿の脇から素鵞川を越えると、神楽殿に出る。
 詳細はよく理解していないのだが、明治の制度変遷に際して、本殿とは別に大国主大神を祀ることとなった社殿である。
 建築自体は新しいものだが、重さ5トンという
巨大な注連縄は圧巻。以前訪れた時には、注連縄の下部に硬貨を投げ刺して(!)いたものだが、近年では禁止されている模様だ。
 イメージとしては、本殿側よりも「生きている宗教」を感じさせて、生々しい印象がある。

松の参道を抜けて  二の鳥居へ戻る

一の鳥居を遠望する

 出雲大社の参拝を終える頃には、いよいよ陽射しは強さを増していた。
 天気が良いなどという表現は生ぬるい。視野は感光して白く飛び、首筋から背中にかけて汗が滝のように流れ落ちる。
もはや灼熱地獄である。呆然または黙然と、松の参道から下り参道(復路は上り参道だ)をヨロヨロと歩き、再び勢溜の二の鳥居まで戻る。
 二の鳥居を出ると、眼下の視界がパッと開けるので、少し爽やかになったかのような錯覚に陥る。しかし、それも一瞬のこと。彼方に
一の鳥居、宇迦橋の石の大鳥居が見えるが、その間を緩やかに下る神明通りは灼熱に霞んでいた。


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