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若干時間が掛かるかもしれません。

平成11年11月7日
名古屋栄〜池下〜自由カ丘〜瀬港線〜瀬戸市自宅 21.9km

今日は名古屋市栄中日文化センターの三回目の写真教室に参加して、自宅まで
歩いて帰った。
前回と同じコースでは面白くないのでコースを変えてみた。

5時に用事があるので、それまでに帰る予定である。4時間半みておけば大丈夫だとは
思ったが、あまり余裕はないので、早目に歩くことにした。

教室が終わって、中日ビルの地下の手作りパン屋で餡パンを2個買う。
前回は歩きながら食べて後で胃にもたれたので、今日は食べる機会があるかどうか
分からないが、とにかく買っておいた。

12時15分歩き出す。
今日は全くいい天気だ。
朝、出かける時自宅から瀬戸駅まで歩いた時は、Tシャツの上に長袖のシャツを着、
その上に薄めのウインドブレカーを着ていたが、今は勿論ウインドブレーカーは不要である。

栄界隈はそこそこの賑わいというところか。
とにかく東を目指して、広小路通りをひたすら歩く。
千種へ着く頃には、暑くなって長袖のシャツも脱いで、後はずーと半袖のTシャツ一枚で
歩く。それでも結構汗をかいた。

特に記すべきこともなく、池下に着く。今日出かける時ルーペを持ってくるのを忘れたので
前回同様駅ビルの100円ショップに寄っルーペを買う。どう考えてもて100円とは安い。

池下からコースを変え、名古屋長久手線(広小路通り)と別れて北東に入る。
結構車のよく通る道である。
日泰寺に着く。


日泰寺正面

名古屋で政財界の葬儀というと
このお寺ということに決まっている。

大きなお寺である。



日泰寺のすぐ横に、よく分からないが
こういう所があった。

四国八十八個所とか書いてあるので
ミニ八十八箇所ということになっていて
ずーと回るようになっているようだった。

子供のお地蔵があって、それようの
お供えをしているようだった。

子供を亡くした人の供養のための
もののようである。


丁度その時、年配の女性が通りかかったので、このことを聞いてみたが、関西弁の人で
「こら、あかん」と思ったが、そのとおりでよくご存知なかった。
しばらく一緒に歩く。「お宅関西ですか、ご主人の転勤でこちらへ来たのか」と聞くとそのとおりだそうで
、それでももう名古屋へきて45年なるとか、ご主人はもうなくなって一人住まいとか言ってました。
それにしては、関西弁が直らんものだという気がした。
私のことを聞かれて、私も大阪の出身で、もうこちらへ来て30年以上になる、これから瀬戸まで
歩いて行くというような話をした。もっと話をしてみたかったが、とにかく歩くのが私のペースに
合わないので、そうそうに失礼した。

しばらく日泰寺の墓地に沿って歩く。広大な墓地が続く。平和公園と見劣りしないくらいの
広さではないかと思った。日泰寺の財力の大きさが分かるというものだろう。

東北に向かってどんどん歩く。

自由が丘の愛知県がんセンターの前を過ぎ、猪高車庫を過ぎたところで、名東区の八前という所
であるが中華そば屋で、もう2時少しまえなのに10人余り行列ができている店があった。
横の駐車場にも、待っている車がある。
そうとう有名な店なのだろう。通りかかった女性に「あの店、えらい並んでいる人がいますな。
有名な店なんですか」と聞くと、単純明快に「あそこは、安くて美味しいのや」とのこと。
こういう店もあるのだなと思った次第。

環状2号の交差点、香南という所が歩く出して丁度2時間弱だったが、距離は10kmなので
予定どおりというところである。

四軒家の清水屋の横の川沿いの道を
行く。
川の向こう側が遊歩道になっていた。



瀬港線は車の通行が多いので、一本か二本南側の道をどんどん東へ向かってあるく。

3時になったので、自動販売機でお茶を買って来て小公園で休憩して餡パンを一つ食べた。
特にお腹がへったという訳ではないが、歩き出して水分も取っていないので、お茶を飲んで、
餡パンも食べておこうという程度のことである。

あとは時に記すべきこともなく、瀬戸市に入る。
瀬戸になると、さすが田園風景が見られる。


道横のコスモスを撮った。


矢田川の支流の山口川にかかる菱野橋を渡るとき、下を見たら、黒い鳥と白い鳥が
いたので、写真を撮った。


なんという鳥かは不明。
もうすこし望遠がきけば
はっきり写せたかもわからない。


ほぼ予定通り、4時35分帰宅、21.9km 4時間20分

以上