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若干時間が掛かるかもしれません。

平成11年10月24日
JR中央線武並駅から旧中山道を大湫宿まで歩き、釜戸駅まで戻ってきた。

秋晴れの絶好のハイキング日和に、妻が歩くというので、適当な距離と思って
上記のコースにした。
私は3度くらい歩いていると思うが、妻の足に合わせて、コースを選んだ。

朝、7時半頃、家を出て、車でJR中央線の多治見駅に向かう。
駅横の駐車場に停める。
事前に調べておいた電車に丁度の時間に着いた。
何か知らんが朝早くから大変な混雑である。切符を買うのに自販機の前に並ぶくらいだ。

予定の時刻より電車が遅くなっているので、どうしてかと思いつつ、ホームで待っていると、
臨時の「さわやかウオーキング号」が来た。
そうか、今日は臨時が出るので、予定の電車のダイヤを少し遅らせているのかと納得。
そう言えばこの電車は去年の秋に乗ったな。
確か6両編成で2両が自由席で後4両が指定席なっていて、自由席は満員で指定料金
510円を払はさせられた不愉快な記憶がある。
今日も同じかと見ていると、今日は10両編成で3両が指定席とのアナウンスがあった。
見ると前3両の指定席もそこそこ半分以上は乗客がいる。自由席は満員ということである。
失礼な言い方をさせてもらえば、老人会の貸切ですといっても、違和感のないほど
乗客は中高年の男女ばかりである。9割以上はそういう人であろう。

この臨時電車は特急なみの停車駅であるので、次は中津川まで止まらないので、
私たちは乗らないで見送った。

しばらくして、予定の電車がきたので乗る。
最新式の通勤車両で、先ほどの「さわやかウオーキング号」よりはるかに綺麗な車両である。

乗客は高校生が大半である。

多治見から四つ目の武並で下車。
私たち以外に降りた乗客はいたかいなかったかという程度。
無人駅ではないが、切符を受け取る人がいない。置かれているブリキ缶に切符を入れて
下さいという表示があった。
さて、表へ出ようとすると切符売り場の中から「お客さん」と駅員に呼び止められた。
「えつ、切符はちゃんと買ってきて缶に入れたがな」といおうとすると、切符のことでは
ないらしい。私たちのハイキングの格好を見て、
「お客さん、中山道に行くのかね。これもって行きなさい」といって、中山道の案内書を
3枚くれた。
かなり年配の人でJRの職員というより、切符売りの委託を受けているような感じで
あった。それでもそれなりに親切な人ということである。

道は分かっているので、案内書を見るまでもないが、1枚の紙が
歴史街道美濃中山道フェスティバルとあって、今日は恵那文化センターで
シンポジウムがあり、来週の日曜日がウオーキング大会となっている。
コースはjR恵那駅から中山道経由でJR釜戸駅まで18kmと今日私たちが歩く
コース11kmと書いてあった。

8時半ごろ歩き出す。駅を出た所を国道19号線が走っていて、車の往来がすごい。
19号線を数百メートル歩いて、右に折れ北に向かう。後一つ坂を越して、のどかな
田園地帯を歩く。
2kmほど歩いて、深萱立場跡という所に着いた。ここから旧中山道(東海自然歩道)を
歩くことになる。
立場というのは旧中山道で、馬を止める所があった休憩所(茶屋などあった)という意味だ
そうである。宿泊は宿場しか認められてなかったが、その宿と宿と間に立場などが
あったということらしい。

やがて道は登りになっていく。
中山道十三峠というのが、大井宿(恵那市)と次の大湫宿の間にあったというが
そんなに急なアップダウンではないが、それでも登りはえらい。
今まで、ここがしんどかったという記憶はなかったが、今日は汗をかいた。
とにかく登ったり降りたりの道が続く。


旧中山道の山の中の道


やはり中山道の道
峠の茶屋跡の休憩所から写す。
この休憩所に椅子の前に小さな缶があり、
何かかなと蓋を取ってみると
旅日記と書かれたノートがあった。
ここを通った人に一言書いてくださいという。
すこし見させてもらったが、一番新しいのは
昨日の記録があった。

ここでしばらく休憩した。


中山道十三峠のある茶屋跡


峠と峠の間の部落で、綺麗なコスモス畑があり、写真を撮りかけたが、デジカメの電池の
調子が悪く、電池切れの表示が出て、撮れなかった。電池は今日は充電してこなかったので
しまったと思ったが遅い。
しかし、その後、電池の調子は戻った。折角の写真の題材が残念だった。

歩いていると、三人の年配の男性が、道の掃除をしながらやってこられたので
しばし、立ち止まって雑談。
この先の大湫町の方で、当番で道の整備をしているとのこと。
どこからきたのかと聞かれたので、瀬戸からきたというと
「それはそれは、遠い所をよく来てくれた」とか、大変喜んでくれていた様子。
今日は大湫で祭りをしているから、ゆっくり見ていってくれとか言っておられた。
大変話好きのようで、いつまでも喋っていそうな感じの方であった。
「ご苦労様です」といって、また歩き出す。


今日最後の峠を越える所で、年配の女性に会う。ハイキングの服装である。
大湫から歩き出したばかりだという。私たちの来た武並まで歩くつもりだとのこと。
しかし大湫までどうしてきたのか、丁度いいバスでもあったのかと疑問を感じたが
聞かなかった。
私たちに、「朝早く出られたのですね、今からだと午前中に釜戸までいけます」と
言っておられたから、この辺のことはよくご存知のようであった。


大湫宿の入口から大湫を写す。

正面が小学校で、昔の本陣跡だと
いうことである。


大湫宿へ入る手前の休憩所でしばし休憩。

町に入ると、いつもは日曜日は閉まっている公民館も開いていた。
今日は特別なのかもしれない。
しばらく歩くと、売店のようなものがあり、先ほどのご老人が話していた「ごへい餅」などを
焼いて売っていた。座る所がありお茶の用意もある。
まつりということでこの辺のご婦人たちが総出で準備しているようであった。
それにしてもまだ時間が早いせいもあるのか、お客は私たち以外にはもう一組あるだけである。
ごへい餅、1本180円を2本買う。豆を1袋買う。

特に見るというほどのものもなく、町並みを通りすぎながら、脇本陣が残っているので
それを見た。


脇本陣跡
個人の持ち物らしく表札もあるが
勿論住んではいない。
入口は錠が掛かっているので中へは
入れない。
こんな建物に住むことも不可能だろう。

脇本陣といっても部屋数が何十あったとか、
畳の数g百数十あったと説明があった。

本陣は跡形もなく、その跡が小学校とか。

大湫町の町並み

こういう感じの道がしばらく続く。

このはずれに樹齢1200年とかいう大杉が
あった。
写真は撮ったが、うまく撮れなかった。



大湫宿からはいつもは次の細久手宿へ向かうが、今日はここから中山道に別れて、
釜戸駅に向かった。
ここからはずーと舗装道路の下り道である。とにかく下る一方でしかもかなりの下りである。
車もよく通る道である。
釜戸から大湫まで登ってくるのもハイキングコースになっていると思うが、
とにかくかなりきつい登り一方の道で大変だと思う。
武並駅と釜戸駅は一つ離れているだけで、大した高度差があるとも思えないが
それにしても、自分たちがこれだけ登ってきたという感じもしなかった。
途中、登ってくるハイカーの夫婦連れにあったが、つらそうに見えた。
今日、途中で出会ったハイカーは二組3人だった。
大湫から約4km、アスファルト舗装道を歩いて釜戸駅についた。
11時45分着、3時間15分、11.0km
今日は天候が良く、歩くのには暑いくらいだったが、午前中に終れてよかったと思う。

すぐ電車があったので、スムーズに家に帰れた。
12時40分帰宅。

以上