平成14年12月22日
JR中央本線南木曾駅〜旧中山道〜妻篭宿〜馬篭宿〜落合宿〜中津川駅(19.4km)

久しぶりに旧中山道の続きを歩いてきた。今まで旧中山道は草津から東へ向かって御岳まできたので、
その続きを歩くのがまともなやり方になろうが、今回は理由があって1コース分飛ぶことになるが、
中津川〜南木曾を、しかも逆コースで歩くことにした。

なるべき妻篭へ早く行って、観光客のいないうちに妻篭の写真を撮りたかったからである。
8時30分に南木曾駅に着く。降りた乗客は数人。リュックをかついだ若者一人にあとは高校生と私。
駅前にタクシーが数台、客待ちしているが、乗る人もいない。
支度をして8時40分歩きだす。妻篭経由馬篭行きのバスもあるが、15分ほど待たないといけないし、
こんなところでバスに乗るのでは、なんのためにきているのか、分からなくなってしまう。

今日は寒い。風が冷たい。寒いだろうと思って、今日は重装備である。下着のシャツ、長袖のシャツ、
ジャージ、コートの4枚に、帽子、マフラー、手袋という格好である。

妻篭へ向かってゆっくり上り道を歩く。



上久保の一里塚

案内板によれば、この一里塚がこの南木曾町に残る
唯一の一里塚だそうである。



途中、何枚かの写真を撮りながら妻篭宿に着く。この間1時間弱、4KMほどである。
この年末だ、観光客はさすが少ない。それでもちらほら歩いているグループがいる。
今日はここの写真を撮るのが、目的であるので、片っ端しから写真を撮る。
中年の女性の7、8人のグループがちょろちょろするので、邪魔になってしかたがない。
じっと視界からいなくなるのを待つ。妻篭では寺下という地区が最も写真の題材にいいところである。
そこで10枚ほど撮った。



妻篭宿





同じく妻篭宿





同じく妻篭宿





妻篭宿寺下






妻篭宿



これで用事が済んだようなものだ。残りの町並みを見ながら、馬篭方面へ歩きだす。
向こうから若い女性が一人きたので、写真を撮らせてもらう。大学生くらいの年代の女性が一人というのも、
おかしい感じである。この女性は私が寺下で写真を撮っていたとき通り過ぎたのを記憶にあるから、
たぶん妻篭宿の端まで見てきて、引き返してきたのだろう。
呼び止めて写真を撮らせてと頼むと、「わたしですか」と笑いながら、写真を撮らせてくれた。


町並みばかりでは寂しいので
若い女性の写真を撮らせてもらった。





妻篭宿の端まできたところで、中高年の男性の30人くらいのグループに会った。観光バスできて、バス駐車場
からぞろぞろ歩いてきたらしい。
だいぶ寒さも和らいだので、まずジャージ、マフラーを脱ぎ、手袋もとりリュックに入れる。
妻篭には30から40分いたか、10時10分妻篭を後にして馬篭へ向かう。

いつもは妻篭から馬篭へ向かう旧中山道では、たくさんの人に会うが、さすが今日は一人もいない。
大妻篭へ着いて写真を撮ろうとしたら、電池切れとなった。今日は妻篭で写真を撮りすぎたのと、デジカメの電池も
だいぶ劣化しているらしい。夕べ充電しておいたが、もう切れたらしい。予備の電池も持ってこなかったので、
これからは写真がない。


山の中へ入って、ちょっと寂しい旧中山道を一人行く。

立場茶屋跡に休憩所がある。昔の農家の建物を移築したもの。いつも中へ入って休憩できるようになっているが、
今日はさすが閉まっている。
表にあるいすに座って、お茶を飲む。坂道を登ってきて、汗をかいてきたので、ここでコートも脱ぎ、
リュクサックに詰め込む。ジャージとコートを詰め込んだので、リュックはぱんぱんである。
この後、ずっと上はシャツ2枚で歩いた。そんなに寒くもない。ちょうどいいくらいだ。

山の中で、今日初めてハイカーに会う。夫婦連れである。馬篭まで車できて、馬篭から妻篭まで中山道を歩いて
妻篭からはバスで馬篭へ戻るという話だった。妻篭〜馬篭は約8キロあるので、ハイキングとしてはちょうど
手ごろな距離かもしれない。これを歩いて往復するとなると、間に馬籠峠を越えるので、ちょっときついコースである。

11時40分、馬籠峠着。馬籠峠は標高790メートル。ちなみに妻篭は420メートル、馬篭は610メートルである。
したがって妻篭からは370メートル上り、馬篭へはわずか180メートルおりるだけである。しかし歩くものの感触と
しては、馬籠峠から馬篭への下りの方が、はるかにきつく感じる。妻篭から長い距離をかけてゆっくり上ってくるし、
馬篭への下りはそれだけ傾斜が急だということである。また人間の心理として、同じところを上り下りしても
下りの方がきつく感じるものだと思う。

馬籠峠で、中年の女性グループ6人が写真を撮っていた。これから妻篭へ向かい、できればその後歩いて南木曾へ
でたい、2時の電車で東京へ帰るので、妻篭からはバスになるでしょうということだった。連休で遊びに来たらしい。
馬篭からの上りがきつかったでしょうと言うと、「そうでもなかったわよ」ということであった。

それからだらだら下って、馬篭宿に12時ごろ着いた。
春秋の観光シーズンには、ここは観光客で溢れているが、年末近くさすが少ない。それでも数十人には会った。

いつもここを通るときは、おやきとかいうお菓子を買って、食べながら歩くが、今日はカステラのようなものの中に
栗を入れたものを買って、歩きながら食べた。

ご存じのとおり、旧馬篭宿の本陣が島崎藤村の生家である。藤村記念館になっている。私も以前、妻と次女と
3人できたとき、この藤村記念館に入った。1度見れば充分である。
島崎家の隣家にいた同年の幼なじみが、藤村の処女詩集「若菜集」のいっぺん「初恋」のモデルである。
その幼なじみは、今日通り過ぎてきた妻篭の脇本陣の林家に嫁いだということである。

「まだあげそめし前髪の 林檎のもとにみえしとき 前にさしたる花櫛の 花ある君と思ひけり」
「やさしく白き手をのべて 林檎を我に与えしは  うすくれないの秋の実に 人恋いそめし初めなり」

この「初恋」には、私なりに思いである。私の大阪時代、実の兄のように親しくしていた3歳年長の男がいた。
彼と酒を飲んだとき、いつも出る歌が、彼の出身地の九州・五島弁で歌う「有楽町で会いましょう」である。
そのお返しに私がやるのが、この「初恋」の朗読だった。
彼はもう数年前に亡くなったが、この「初恋」の詩を思いだすときには、いつも彼の秀逸の「有楽町」を
思いだすのである。

観光地化した馬篭は好きではない。しかし藤村の「初恋」に特別の感慨をいだかせる。
複雑な思いをしつつ、馬篭宿を通り過ぎた。
このあと、中津川まで8〜9キロである。

新茶屋というところで、中山道ウオーカーに会って、しばし雑談。
兵庫県の人で、関西なまりあり。現在名古屋単身赴任中。旧東海道を歩いたので、休みを利用して旧中山道を
東へ向かって歩いているという。今日は美乃坂本から歩きだし南木曾まで行くとのこと。
「御嵩から恵那はどうしました」と聞くと、細久手の大黒屋へ泊まったという。一泊8800円だそうで、
ほかにももう一組のグループがいたとのこと。大黒屋では美人の女将がいて、歓待してくれましたよということである。
なるほど、細久手で一泊すれば、恵那を通り越し、もう一駅美乃坂本まで歩くのが、ちょうどいい距離か。

その人と別れて、落合の石畳で、もう一人のウオーカーと会う。こちらはあまり喋らなかったが、今日は
大井宿(恵那)から三留野(南木曾)まで歩くということである。これはなかなかのものだ。30キロ余りになるか。

1キロほどある石畳(岐阜県の史蹟指定)を過ぎると、かなり急な坂道を下る。
落合川を越え、落合宿に着いた。
枡形になっている道、常夜灯、連格子の家などが旧宿場を感じさせる。またここには珍しく旧本陣が残っている。
旧本陣の一部かもしれないが、立派な家である。

落合宿を過ぎ、国道19号線の手前を左折して、急坂を上る。国道19号線をしばらく歩き、また旧道へ入る。
与坂というところである。ここは地名のとおり、すごいところだ。急な坂道をふうふういいながら上る。
上ったところが、意外に開けた平地になっている。与坂の急な下りを下りるとまた、急な上り坂である。
この二つの坂の上り下りでいっぺんにまいってしまう。あわよくば今日は中津川を通り過ぎ、恵那まで歩こうかと
先ほどの中山道ウオーカーに刺激を受けて、ちらと考えたが、この二つの坂の上り下りで、いっぺんにそんな
甘い考えは吹っ飛んでしまった。

さらに一つまた坂の上り下りをして、国道19号線を渡り、中津川の町に近づく。

中津川の中心の旧中山道に面した「すや」というところで、名物の栗きんとんを買って、駅に急いだ。
13時45分中津川駅着、5時間5分、19.4km