平成14年11月23日、24日
大阪市内桜宮橋周辺、大阪歴史博物館、奈良県御所市の町並み

土曜日の目的の中学の同窓会の開始まで2時間ほどあったので、その時間を使って、
以前大阪へ行った時写真を取り損ねた所へ行ってきた。JR京橋を出て西へ向かった。
桜宮橋は工事をしていた。橋の幅を広げる工事である。今の橋を残し、上流側にもう一本橋を架けるらしい。
そのため今の橋の上流側の歩道が渡れない。
そのため一旦反対側に渡って、橋を越してからもう一度反対側に渡らねばならない。面倒な話だ。
これから行く目的の泉布観へ入り口も、その工事の関係で入り口がふさがれている。
泉布観の入り口の案内板あり、少し遠回りになるが案内にしたがって園内に入ることができた。
まったく人影なし。



泉布観

泉布観は、道の向かい側にある造幣局ができた明治
初期の造幣寮応接所として建造された建物で国の
重要文化財。

泉布観は年1回内部を公開されているそうで、その時に
くると中へ入れるらしい。何枚か写真を撮った。




次にその横にある旧桜宮公会堂、現ユースアートギャラリ
ーの写真を撮る。

旧桜宮公会堂はやはり造幣局の建直しの際、
その玄関部分を移築したもので、これも重要文化財である。




同じく旧桜宮公会堂

こうして近くで見ると優雅な立派な建物である。



旧桜宮公会堂は中へ入ったことがない。これが公会堂になっていたことも知らなかったが、この2階が
図書館になっていた。
中学、高校のとき、よく来たものである。図書館の入り口は横の地下から2階へ階段を上がっていった。
建物の写真を撮り、地下の入り口へも行ってみた。この地下への階段を下りるのは、何十年ぶりか、多分
四十数年ぶりだろう。


2階の図書館への入口なっていた地下の入口
この扉は、もう何十年も使われていないだろう。

懐かしい青春時代の思い出がよみがえる。



公会堂はとっくの昔に閉鎖され、今は若者向けのギャラリーとなっている。
「大阪市立高等学校芸術祭」という看板があったので、それが開催中なのかもしれない。
できればその2階がどうなっているか、知りたかったので、中へ入りたかったが、今日は閉館のようである。
いつからここへきていないだろう。大阪を離れるずっと前からここへは来たことがないと思う。
桜宮図書館は図書館としては極めて貧弱な図書館だった。
大学には立派な図書館があったし、大阪市立図書館も他の場所にもっといいのができた。
今日は土曜日なのにどうしてユースギャラリーが休館なんだろうと思って、建物に沿ってぐるっと一周してみた。
事務室入り口も鍵がかかっていた。
そうか、今日は祝日か、そのせいで閉まっているのか。そうしたらもし桜宮橋の工事がなかったら、ここへ入る
入り口にも鍵がかかっていて中へは入れなかったのだ。泉布観などの写真も撮れなかったのだ。

それにしても、祝日ということもあるのか、ここにはまったくひとけがない。
泉布観、旧桜宮公会堂、その周辺の建物といい、この界隈だけが時代からとり残されている。
五十年前とまったく同じなのだ。いったいこんな場所が大阪中を探しても、他にあるだろうか。
四十年前の思い出に浸っている私に、もっとも相応しい場所のような気がしないでもない。


桜宮橋(通称銀橋)

この銀橋は、私の記憶ではもっと大きく、上のアーチも
もっと高かったと思うが、それは過去を美化する私の錯覚
であろう。



24日(日)時間があったので、大阪歴史博物館へ行ってきた。


大阪馬場町
左側は新築なったNHK大阪放送局
それに並んで歴史博物館がある。
10階建てかのばかでかい建物である。


ちょうど特別展として開催されていた「シルクロード展」
これを見たかったので入館した。
そうでなければ、こんなしょうむない博物館は見たくない。


歴史博物館常設展の内部
難波宮の展示
こんなばからしい子供だましはやめてほしい。


同じく常設展の内部
昭和時代の大阪の模型らしい。

奈良県御所市の名柄地区に古い町並みが残っているということを聞いていたので、見に行った。

近鉄御所駅で、バスの時間まで30分ほどあったので、駅の待合室で過ごす。
電車待ちの人と電車を降りてきて登山に行くらしい人としばらく雑談した。
登山の格好の人は、これから葛城山に登るらしい。ここから登山口まで歩いていって登りだして、約2時間という
ことである。この人は葛城山、金剛山などこのあたりの山をしょっちゅう登っているらしい。

そろそろバスの時間になったので、バス待合所へ行く。五条行きのバスが出ているようで、ここから五条は近い
らしい。五条というと奈良県のはずれで、ずいぶん遠い感じがするが、ここからは意外に近い。

名柄行きのバスに乗って、10分余り、上名柄で降りて歩き出す。


旧名柄郵便局

この郵便局は閉鎖になってからずいぶんになるらしい。
大正時代の建物と思う。あるいは昭和初めか。

こういう建物に心引かれる。
今日見た建物では、一番印象に残った。
この建物に巡り会えただけでも、ここへきた価値はあった。



池口邸
作家の堺屋太一の実家。
この界隈でひときわ目立つ立派な屋敷である。
現在は誰も住んでいないらしいが、この家を維持するだけ
でも結構お金がかかるようにみえる。
池口という表札が出ている。このあたりには池口という家が
多く見受けられる。
その中で一番大きい家である。
そういえば、堺屋太一の本名は池口といったな。


この建物が、重要文化財指定の中村家
今でも人が住んでおられるようである。


名柄地区の町並み



葛城酒造の本宅
横に醸造工場があるようだった。

昔からの造り酒屋さんなのだろう。




これも名柄地区の大きい屋敷、中野林業という林業家
近所の奥さんの話では、この正面に立派な洋館が
あったらしい。戦後、進駐軍がやってきて接収されるのを
おそれて急いで取り壊したということだった。


名柄地区で、古い町並みのあるのは、そんな大きい範囲ではない。40分後にくる次のバスにゆうゆうと
間に合った。