平成14年10月13日
JR高山線鵜沼駅〜旧中山道〜うとう峠〜太田宿〜伏見宿〜名鉄広見線御嵩駅(22.7km)
前回の旧中山道の続きを歩くため、朝7時20分に家を出る。愛知環状鉄道瀬戸口駅で愛環に乗り、
高蔵寺で中央線、多治見で太多線に乗り継ぎ、鵜沼駅に9時10分過ぎにつく。
準備をして9時20分歩き出す。
今日は本当にいい天気だ。雲一点無い快晴である。
ここから旧中山道へでるのに、1キロあまりある。北へ向かって歩くと、国道21号線に出た。
今日のコースのかなりの部分は国道21号線を歩かねばならぬ。
国道21号線は鵜沼の森をぐるっと遠回りして迂回している。
旧中山道は鵜沼台という大きい住宅地、鵜沼の森を通り抜けるが、その代わり、
うとう峠という峠を上ることになる。
21号線を渡り、旧中山道に向かう。
前回のウオーキングの終点にしたところが、旧中山道が大きく北へカーブするところである。
ここからかなりきつい上り坂を上っていく。
一帯の新興の住宅街である。いかにも山の斜面を削り取った斜面に家が並んでいる。
その家の裏側が崖で、その崖の上にまた家がへばりついている。恐ろしいような住宅街だ。
大概の家に車があるようだが、これだけ坂があると車の運転も大変だ。冬場の運転は怖いくらいだ。
途中二人の人に道を聞いて、目標としていた大きい池、合戸池というところへ出た。
そこのいた中学生の女の子に、旧中山道を聞くが知らないようである。
近くにいた年配の男性に聞くと、丁寧に教えてくれた。図書館があるから、その敷地を通り抜ける感じで
行きなさいと言われる。こんなところに図書館があるのかと思って行くと、
「鵜沼の森、ほんやさん」というのがある。
本屋ではなく、一種の図書館のようである。そこに勤めている人らしい女性が表にいたので、
旧中山道を再確認。
いかにも中山道らしい道がずっと続く。
うとう峠一里塚という碑が建っており、その横に案内板もある。
各務原地区を通る中山道はそれまでの木曽川を越え犬山善師野から
可児へ抜ける道筋から慶安4年(1651年)に、鵜沼の山沿いを通り
ここ「うとう峠」を越えて大田宿へ至る道に付け替えられた。
「うとう」というのは疎い(うとい、うとう)の意味で、
「不案内、よそよそしい、気味が悪い」などの意味がある。
このうとう峠と鵜沼宿とは16町(1.8km)におよぶ山道で、長坂、天王坂、
賽の神坂などの険しい坂が続き、「うとう坂」と総称された。
一里塚は北塚は直径10メートル、高さ2メートルでよく原形を留めている。
私は、この辺りから峠を越すのかと思っていたが、今まで上ってきたのが上りであって、
これからは下り一方らしい。下っていくと何人かの人に会う。この辺りの人で散歩しているらしい。
うとう峠の上り下りは、楽ではない。いい運動になる。
住宅団地に近いのに、この付近は昔ながらの山である。
うとう峠の中山道
いかにも中山道らしい道が続く。
どんどん下りていくと、JR高山線と国道21線に出た。
階段を下りて、高山線と21号線の下をくぐり抜けて、また階段を上がったところが、
ドライブインの駐車場で、すぐ目の前に木曽川・日本ラインが見える。
太田宿の方からきた中山道を歩く人に、この「うとう峠」に向かう階段の降り口が分かるだろうか。
「姫街道400年記念」というのぼりは立っているが、それではわからないだろう。
「中山道開宿 姫街道400年記念事業」というのぼりはあちこちに立っているが、
それはあくまでも観光用の宣伝であって、旧中山道を歩く人のための案内、標識は全く整備されていない。
鵜沼からうとう峠を目指してきた途中で、中山道という案内は一つもなかった。
私が、あちこちで聞いたので、道が分かったが、聞かないとまともにたどり着けたかどうか、
疑問である。まったく行政のやることは、間が抜けている。
「姫街道400年記念」ののぼりは、今日のコースで何百本も見たが、中山道の案内標識は
一つか二つあったかという程度である。
行政には中山道を歩くということにはまったく意識がないらしい。
さて、国道21号線を日本ラインに沿ってどんどん歩くのみである。
日本ライン下りの船が、木曽川を下ってくるのが見える。今日は結構、お客が乗っているようである。
日本ラインの勇壮な眺め
国道21号線は、今日も車の通行が多い。ずっとこのまま、危ない国道の横を歩くのかと思っていると、
「日本ライン・ロマンチック街道」という案内が見えた。木曽川の堤防の上が、きれいな遊歩道になっているのだ。
ピンクの色を塗ったアスファルト道がずっと続いている。これはいい。安全な道だ。
歩いている人はいないが、自転車に乗った人が時々やってくる。
日本ライン・ロマンチック街道の写真を撮ろうとしたら、デジカメの電池が切れたらしい。
「しまった」。昨夜充電をしかけたが、先週たいして写真を撮っていないので、電池が残っているだろうと思って、
充電しなかった。
太田に着くまでに、どこかコンビニで電池を買うしかない。こういう電池代がまったくばかばかしいが仕方がない。
日本ラインの堤防を歩いていて、「名勝御幸巖」という日本ラインが一番きれいに見えるところに来た。
昭和天皇はじめ皇族がここへ来られた記録が書かれている。しかし、沿岸の工事中のせいかもしれないが、
ここの景色はちっともよくない。
昔はよかったのかもしれないが、こういうものも時代とともに変わるのかもしれない。
太田に近くなり、21号線に出て、コンビニで単3電池4本を買う。
小学校で地区対抗の運動をやっていた。
小学校前の坪内逍遙生誕の地へ寄る。
坪内逍遙生誕の地
逍遙公園になっている。
後ろは小学校
また、中山道に戻るとすぐ、太田宿である。
静かな旧宿場のたたずまいである。
旧本陣跡
門だけが残っている
門を残して改築工事をしているらしい。
旧脇本陣
この立派な脇本陣林家は、
国の重要文化財の指定を受けている
右側の工場が
御代桜(みよざくら)という酒造メーカー
たぶん江戸時代からの造り酒屋だろう
太田宿でなにかの商売をしておられた小松屋という店が
公開されている。昔は旅籠だったのだろうか。
見ると、俳句の会の作品が展示されているようである。
太田宿の様子
太田宿は、昔の中山道の宿場の面影を残している宿だと
思う。
大田宿を出て、また国道21号線を歩く。東へしばらく歩いて、やがて南へ向かい、木曽川を渡る。
最初の橋、太田橋を渡りかけたが、歩道がないし、車の通行が多い。
もうすこし東にある新太田橋で、木曽川を渡った。しばらく南へ歩く。また21号線を一路東へ向こう。
21号線の歩道をすたすたと歩くのみ。
伏見宿旧脇本陣
旧脇本陣の隣の建物
昔の交番所と思う。
もちろん閉鎖されて相当年数がたつようである。
伏見宿本陣跡
右の石碑には「是より東尾州」と書いてある。
尾州というのは尾張の国という意味か。
尾張の国が、こんなところまで入り込んでいたのか
不思議である。
伏見を過ぎて、しばらく行ったところで中年男性3人連れにあった。地図かガイドブックを持っている。
中山道を歩いているらしい。話しかけてしばし雑談。
昨日は細久手の大黒屋という旅館に泊まったそうである。今日は細久手から御嵩を通って伏見まで歩き
伏見から電車に乗って、今日東京へ帰るそうである。連休を利用して中山道を歩いてきたらしい。
名鉄八百津線廃線跡
最近廃線になったばかりと思うが、もう雑草が生えている。
上の架線はないが、線路はまだそのまま残っている。
いつかこの線路、鉄塔も撤去されるのだろう。
しばらくすると、電車が走っていたという何の痕跡も
残らなくなってしまう。
しばらく歩いているとまた、中仙道ウオーカーに会った。こちら40代の男性である。
今日は大湫から歩いてきたそうで、太田まで歩くという。昨日は中津川から大湫まで歩いて、一旦釜戸へ下りて、
瑞浪のビジネスホテルへ泊まったとか。釜戸からまた、あの上り坂を4キロ余り上ってきて、中山道に戻り、
歩いてきたとのこと。今日は太田のビジネスホテルに泊まり、明日続きを歩くそうである。
今年の4月から中山道を休みを利用して歩き出し、京都まで行ったら、その戻りとして、東海道を歩くという計画だ
そうである。
国道21号線と分かれて、旧道に入る。やはり旧道の方が歩きやすいし、旧中山道の雰囲気も感じられる。
ここでまた、60前後の男性と会う。やはり細久手の大黒屋に泊まったそうである。
前日は中津川から細久手まで歩き、今日は太田まで歩いて、明日はその続きを歩いて、埼玉へ帰るとのこと。
だいぶ前からこの3連休を利用して中山道を歩くことと楽しみにしていたとか。
「三人組に会いましたでしょう。同じ宿に泊まっていましたよ」とおっしゃる。
中山道のうち、昨日から今日歩いた、恵那から御嵩までのコースは、最高ですよと言われた。
碓氷峠、和田峠を越えてきたが、それらの峠の道は廃道に近い、歩いていても気持ちが悪い。
それに比べたら、恵那から御嵩は、昔の中山道が残っていて、歩きやすいし、コースも整備されていて安全で
何の心配もしないで歩ける。こんなにいいところはありませんよと、しきりにこのコースをほめておられた。
私も、恵那から御嵩は2回歩いたことがある。そう言われてみたらそうかなと、再認識した次第。
その人と別れて、しばらく歩くと旧中山道はまた、21号線と合流した。
そこで、もう一人の中山道ウオーカーにあった。こちらはまだ30代の男性である。
やはり細久手から歩いてきたらしい。伏見まで歩いて、そこから電車で名古屋へ戻るそうである。
名古屋で泊まって、明日また電車で伏見まできて、続きを歩くとか。
そんなことで、今日は4組の人たちに会った。昨日から3連休ということせいだと思う。
東から歩いてくると、三留野(南木曾)から妻篭、馬篭から中津川は一日のコースだし、その後中津川から恵那は
10キロで、そこでやめるのはもったいない。そうするともう少し歩くとなると、宿泊所のある細久手まで歩くことに
なる。そういうことで、江戸時代からやっている、細久手の大黒屋も、けっこう宿泊客が増えているのでないかと
思う。
そうして歩いているうちに、御嵩宿に差しかかった。
御嵩宿、入口の民家
御嵩駅発午後2時30分発に電車に乗るため、駅へ急ぐ。
御嵩駅着、2時25分、5時間5分、22.7km
以上