平成14年7月21日
大阪市中央区天満橋〜北浜〜中央区内〜地下鉄淀屋橋駅(6.0km)

今日は久しぶりに大阪へ行った時間の隙間を見て、大阪市中央区内の文化庁登録有形文化財を中心に
古いビルを見てきた。

天満橋のホテルを朝9時に出て、北浜へ向かって歩き出す。
歩き出して5分もしないうちに、汗・汗・汗。今日はなんと暑い日だ。


天神橋西詰にある大林組のビルも古いビルだが、向かいに新社屋が建っているので
このビルは、何とか専門学校となっていた。写真も撮ったが、割愛する。


北浜交差点の北東にある古そうなビル。
名前は分からない。
ビルの全体を写真に撮るため、反対側からとった.



北浜レトロビル(旧桂隆産業ビル)(北浜1-1-26)
登録有形文化財   明治45年建造

今は喫茶店かになっているようである。

このビルの市西隣にあった万富証券、さらにその隣にあった
西田三郎商店という古いビルがあり古いビルが3軒並んでいた。
この2軒は取り壊されたようである。
特に西田三郎商店は私も記憶にあるが、印象的なビルだった。
このホームページの最後に記載してある「浪速の洋館」という画集で
作者が「いつまでも残ってほしい」と書いている。

また、このビルを保存するための運動を起こさなかった大阪の学者文化
人を非難するホームページの記事も見かけた。


北浜角の大阪証券取引所ビルも改修中なのか、表面が覆われていた。
北浜から堺筋を南に向かう。


新井ビル(今橋2-1-1) 登録有形文化財 大正11年建造
1階はれすとらんになっている。随分以前に友人とここで食事をしたことが
ある。

日本建築学会よりビルの保存の要請がある建物とか。

皇居二重橋や奈良ホテルを手がけた河合浩造の設計



高麗橋野村ビル(高麗橋2-1-2)
昭和初期の面影を残すビル



旧三井銀行大阪支店だと思われる。
現三井住友銀行北浜支店?(高麗橋1-8-13)
内外装とも石壁で、昭和初期の銀行らしい雰囲気あり。


コニシ株式会社(旧小西儀助商店)(道修町1-6)
登録有形文化財  明治36年建造

大阪のど真ん中によくもこんな建物をよくも残したものだと
思われる建物。
近くに社屋があって、営業はそちらでしているということだ。
昭和40年代までは、この古い建物で業務をしていたと
思う。


岸本瓦町邸 (瓦町1−2)
登録有形文化財 昭和6年建造
元は岸本というヒトの個人の家だったようである。
ちょうどシャッターをあけて出てきた人がいたので
話しかける。
「ここは岸本瓦町邸ですか」「そうですが」
「ご主人ですか」「いやーここを管理しているものです」
「ここへはお住まいになっていないのですか」
「ここは岸本のご本家ですから」
「岸本さんというのは何をなさっているのですか」
「泉吉という不動産の管理会社をやってます」


ということで、この辺りの大地主なのかも知れない。
ここが、今日歩く予定では、一番東と南のはずれなので、また西へ向かって歩く。


綿業会館本館(備後町2-5-8)
登録有形文化財 昭和6年建造
いとへんの大阪を代表するビルだったのでないかと
思う。今でも堂々としたビルディングである。



綿業会館本館の前の道、三休橋通りを北へ向かって歩く。
備後町、瓦町の次の淡路町の通りに「船場ビル」という、やはり登録有形文化財のビルディングがあるはず
だが、分からなかった。近くにあるラーメン屋の若い人に聞いたが、知らないとのこと。
今日は日曜日で、歩いている人も少なく、大概の店も閉まっている。
残念だが、次の目標に向かい歩き出す。


小川香料大阪支店ビル(平野町2-5-5)
昭和5年建造、本間乙彦/竹中工務店。
登録有形文化財ではない。
しかし、この辺りの古いビルを探訪するコースには、このビルも
必ず入っているらしいので、そこそこ古いビルだと思う。



小川香料からすこし東へ堺筋へ行ったところにあった
ビル。旧日本短資大阪支店(元は東京貯蓄銀行)
大正9年建造
確かにYahoo!の地図でみると、この場所にある建物は
日本短資となっている。しかしどう見ても営業中とは
見えない。電話帳で調べても日本短資の大阪支店は
出ていない。昨今の銀行の合併や支店の統合による廃店と
いうよりもっと前に閉店した感じがする。
私が今日見た古い建物の中では、これが最も印象に
残る。こういう建物が好きである。
重厚な壁、堅固なロマネスク建築


平野町堺筋の交差点にある生駒ビル(生駒時計店)
登録有形文化財 昭和5年建造

生駒時計店も時流に勝てないのか、一階の入口に
なにやら張り紙がしてある。わざわざ読みに行かなかったが、
閉店か移転のようだった。


また、堺筋を北へ向かって歩き、伏見町で西へ入る。


青山ビル(伏見町2-2-6)
登録有形文化財 大正14年建造
一面ツタに覆われ、洒落たビルだ。
登録有形文化財にしては、現状の使われ方がマージャン屋と
中華料理店ではちょっと寂しい感じがする。


三休橋通りと高麗橋の交差点にある
旧大中証券ビル(高麗橋2-6-4)

最近まで「大中証券」という看板が出ていたのでは
ないかと思われる。
今はその看板もないので、使用されていないのかも
しれない。
明治45年建造
赤煉瓦の外壁。重厚な雰囲気がある。


日本基督教団浪速教会(高麗橋2-6-2)

大中証券の南側の建物
ヴォーリズの設計 昭和5年建造
ヴォーリズの設計というのは、ちょくちょく聞き名前なので
昭和初期の洋風建物の設計では有名な設計家だったのかも
しれない。

去年だったか、大阪へ来て、この辺りを通ったとき、
こんな街の真ん中に古い建物が残っていると
強い印象を受けた。それが今日この辺りの古い建物を
写真にとって歩いている原因である。
今日の原点である。





八木通商ビル(今橋3-2-1)
旧大阪農工銀行、大正6年築、昭和4年改造
当初の建物は辰野金吾設計

八木通商というとアパレル関係の商社だと思う。
10年余り前にこの近くに立派なビルを造ったはずで
ある。
今このビルが使用されているのかどうかは不明。
最近ある新聞で、八木通商の社長の話を読んだが
この会社は現社長の父親が昭和21年に創業した
会社ということだった。


この八木通商ビルの真向かいの東側に三和今橋ビルという、旧鴻池銀行の本店だった古いビルがあるはずで
ある。私は三和銀行(今のUFJ銀行)の本店のすぐ東側にあるのだろうと、早合点していたのでこのビルを
見落とした。


大阪市立愛珠幼稚園(今橋3-1-11)
明治末期の面影を残す純和風の幼稚園



三和銀行(現UFJ銀行)本店の東側にあるビル
芝川ビル、昭和2年建造

三和銀行と関係があるビルかと思ったが
そうでもないらしい。

本間乙彦/竹中工務店

アール・デコの館という評あり。


その他の予定としては、大阪倶楽部(登録有形文化財、大正13年建造)の写真も撮りに行く予定だったが、
友人との待ち合わせのため、時間がなくなったので、また別の機会にしたい。

汗びっしょりになりながら、地下鉄淀屋橋へ急いだ。
午前10時30分、6.0km

追記
上記のビルの名前などは、今川浩満さんの画集「浪速の洋館 明治・大正・昭和の浪漫と詩情」(遊タイムス
出版、1999年4月刊)を参照させていただいた。記して感謝申し上げます。
この画集に出ている大阪の他の古い建物をぜひとも別の機会に訪ねたいと念願している。

皆さんもこのすばらしい画の数々をぜひご一覧あれ。