平成14年4月14日
奈良県榛原町高井バス停〜仏隆寺〜室生寺バス停(10.5km)

今日は大学同期会(大阪市大経済学部昭和35年卒)珊瑚会のハイキング会である。
毎年春秋の2回開催されている。今回が第10回目ということである。リタイアしたものも多くなり、
それぞれ健康に留意し、歩くことに興味を持ち、また子育ても一段落したこともあり、
夫婦連れも多くなった。これからの先の人生には学生時代の友人も大事にしたい。
この会もすっかり定着したという感じがする。

自宅を朝7時前に出た。名鉄、地下鉄を乗り継ぎ、近鉄特急に乗る。中川で大阪上本町行き
特急に乗り換え名張で急行に乗り換えた。乗り換えが多いので居眠りしていて乗り越さないように
神経を使う。榛原駅に10時少し前に着いた。今日は総勢24名うち夫婦連れ7組である。
そこから奈良バスに乗る。ハイキング客多く臨時バスが出るほどである。

高井というところでバスを降り、幹事より今日のコースの見所、参加者の紹介があり、その後全員で
軽いストレッチをして歩き出す。
伊勢本街道と分かれて緩やかな登り道を友人としゃべりながら歩く。近況や家族のことやいろいろ
話はある。
まず今日の目的の一つが仏隆寺というお寺である。2kmほど歩いてお寺に着いた。



空海の高弟の堅恵が西暦850年創建したという古い
お寺である。

樹齢900年という桜がこのお寺の名物である。
例年4月10日以前には満開になったことがないということ
でその桜を楽しみに来たが、いかんせん今年は咲くのが
早すぎた。桜は見事に散った後である。
この桜とともに山門へ続く石段が「大和三名段」の一つと
言われるそうである。一段が高くなく歩くのに手頃という
感じである。




山門へ上る途中にあったので
写真ををとる。



仏隆寺本堂
本堂へあがってご住職から説明を聞いた。
このお寺は元々女人高野と言われる室生寺
には4つの山門があり、このお寺は南門に
あたる。大和茶発祥の地とされ空海が種を
持ち帰り、創建者の堅恵が寺内に栽培した
ものが普及したとか。
この堅恵が自分の命が尽きるのを悟って
裏に作られた石室へ籠もったとかいう話も
聞いた。

その石室を後で見に行ったが、昔大阪の国分地方でよく見た横穴式の古墳のようなものである。
この石室が重要文化財に大正初めに指定されている。またこの本堂のすぐ横に神社があり、参加者
が、お寺の境内に神社があるのはどうしてかという質問に対して住職はもともと日本は神の国でそこへ
仏教が入ってきた、神仏共存が当たり前で、日蓮宗、浄土真宗など限られた宗派を除き千年以上の
歴史のあるお寺には必ずお寺を守る神社があるという話をされた。なるほどそう言われてみたらそうか
という気もする。またこの本堂には空海が唐の国から持ち帰ったとされる茶臼がある。この茶臼に
まつわる言い伝えの話も聞かせてもらった。本堂への上がる拝観料は300円だったが、この説明を
聞けばその価値はあると思った。こういう話を聞くのと聞かないのでは、ここへ来た意味が違ってくる。

その後、少し早いがここで昼食となった。


仏隆寺からはちょっときつい登り道である。1キロあまり上った唐戸峠というところでしばし休憩。
ここからずっと緩やかな下りになる。行く春を堪能しつつ自然の中をゆっくりと歩く。



仏隆寺では桜はすっかり散っていたが
室生寺へ向かう途中ではあちこちに
残っている桜を見ることができた。
その写真を撮る。




川沿いに歩いてきて丁度いい休憩所が
あったので、またしばし休憩。
その横に見事に咲いている桜の写真を
撮った。



山から下りる途中の里の様子




西光寺のしだれ桜は樹齢300年だそうだが、ここの桜も
すっかり散ってしまっていた。




ずっと下り道が続く。上ってきたことを忘れ、これだけ上ってきたのか疑問に思うくらい
下り道が続く。室生寺から仏隆寺方向へ行くのも大変だなと思った。

やがて室生寺山門前に到着。一転してびっくりするほど賑やかなところである。
参拝者相手の土産物屋など店が並んでいる。狭い道を車が行き交う。

午後3時過ぎ、今日はここで解散することになった。
室生寺へ参拝するグループと分かれて私たちはバス停へ向かった。

今日は日曜日と言うことで予定してバスより20分ほど早いバスに乗れた。

室生口大野駅まで15分ほどで着いた。ちょうどすぐ青山町行きの近鉄電車があった。
大阪方面へ帰る友人たちと再会を期して、私だけ名古屋方面行きの電車に乗った。

急ぐ旅でもなく、特急に乗らず急行電車を乗り継ぎ、名古屋へ6時20分頃に着いた。
帰宅は7時半。