平成14年3月16日

近鉄奈良駅〜東大寺〜二月堂、三月堂〜春日大社〜奈良市写真美術館〜奈良町〜
JR奈良駅〜近鉄新大宮駅(11.4km)

今日は、私、妻、妻の姉二人と奈良を歩くことになった。今日の主な目的は奈良市写真美術館で
展覧会を見ることと奈良町を歩くことであるが、その前に東大寺、春日大社、新薬師寺なども訪ねる
ことにした。

午前10時半近鉄奈良駅に待ち合わせていた。奈良市へ来たのは何年ぶりか、思い出せないが、
私が愛知県に転居してからは来た記憶がないから、まず35年以上は来ていない。
奈良県でも橿原市や榛原町へは最近来ているが、奈良市そのものは本当の久しぶりである。
近鉄奈良駅が地下になっているのに驚いた。また駅前は広い立派な通りになっている。
10時半過ぎ、東へ向かってぶらぶら歩き出す。



すぐに奈良国立博物館がある。
旧舘の写真を撮る。

旧舘は明治28年開館、重要文化財である
。この旧舘の東側に昭和47年にできた新
館があり、実際の業務はそちらでされてい
るのだと思う。





奈良国立博物館のホームページで見ると、ここには仏像、仏画、経写本、考古学の出土品などが
展示されているようで、現在の私にはあまり興味のないものばかりで中へ入る気はなかった。
妻やその姉妹もそうだと思って、入ってみるかという声もかけずに東大寺へ向かった。

すぐにもう公園になっているのか、鹿が沢山放し飼いになっていて、人間に近寄ってくる。
いかにも奈良らしい。大仏前の信号のところで左へ曲がり、北へ向かう。


東大寺南大門

左右にそれぞれ立派な仁王が立っている。




中門まで行ったが、大仏殿には入らず、二月堂、三月堂へ向かった。道を間違えて、人に聞いて
二月堂へ着いた。
妻たちが舞台に上がっている間に、私は写真を撮りに行った。



大仏殿から二月堂に向う石畳の坂道
本当はこの石畳の坂道は下まで(大仏殿
の方)へ行って、坂道の下から上に向かっ
て撮るのがいいのだが、同伴者が気になっ
てゆっくりしておれず、中途半端な写真にな
ってしまった。




ここでやはりカメラを持っている人としばらく雑談。京都からこられた人だそうで、私も今日の予定
などを話した。
その後、私も二月堂の舞台に上がった。つい先日までたいまつ行事があったところである。
反対側の階段も上から撮るなり下から撮るなり、なかなか写真の材料として面白いと思った。
やはりカメラを構えて人が通り過ぎるのを待っている人がいた。私は急いで階段を下りた。


二月堂を出て、三月堂の前を通り、春日大社へ向かう。

春日大社の回廊はどういう間隔で色を塗るのか知らないが、非常に派手な赤さである。

神社の中へは入らず、「ささやきの小道」という道を通り、新薬師寺に向かった。
途中、「志賀直哉旧居」という案内標をいくつか見かけた。


志賀直哉旧居
志賀直哉はここに昭和初めに10年近く住
んでいたそうで、そのころの文化人のサロ
ンになっていたとか。



この建物が取り壊すことが決まったが、取り壊しに反対して保存を求める3年越しの市民運動が実り
取り壊しを免れたそうである。この建物の画を出しているあるサイトにそういうことが書いてあった。
大学のセミナーハウスとして使われており、一般に公開もされている。いくらか知らないが入場料が
要る。
反対運動の結果、取り壊しが撤回されたのは結構なことだが、その結果いくばくかの入場料を取って
この建物を維持している管理者も大変だろう。
現在は奈良学園というところが管理しているようである。私の想像では固定資産税の非課税扱いに
するためセミナーハウスとして教育施設ということになっているのだろうか。

ここから新薬師寺はすぐである。
「火打ちめし」というのが食べれるのなら、食べようかと思ったが、日祝以外は予約がいるとかで
諦めた。お寺へは入らず、隣の写真美術館へ行く。
次の日曜日まで「入江泰吉、杉本健吉、須田剋太三人展」が開催されているので、それを見にきた
のである。
入江泰吉(いりえたいきち)というのは奈良生まれの写真家、10年前に亡くなり、奈良市へ寄付され
た写真、フィルムを整理、保存、展示するためこの美術館が造られ、入江の写真をかわるがわる展示
されているということをどこかのサイトで見た。杉本健吉は名古屋在住で今年95才とかでこの人
のみ元気である。愛知県知多半島に杉本健吉美術館がある。須田剋太は司馬遼太郎の「街道を行
く」の挿絵を描いていた。平成2年没。
私はこの須田剋太の画を見にきたようなものである。正直言って他の二人は付けたりである。
展示物の内容は大和・奈良に限ったもののようであった。
建物は想像していたより立派な洒落た美術館である。そこそこ人も入っている。
私の素人的な感想を言わせて貰えば
入江泰吉の写真は技術的なことは分からないが、仏像の写真は私にはもうひとつ興味がないし、
風景の写真も数点合ったが、ポイントというのかメリハリというのか待ちというのか意図的なものが
気になって、写真ってもっと素直な写真でいいではないかという気がした。全く見当外れかもしれな
いが、そんな感じである。杉本健吉の画はいかにも写真的で、インパクトが弱いと思った。
一番好きな須田剋太の画は、去年名古屋で「須田剋太展」を見て強い印象を受けた者には、ここの
画は全く不満である。須田の画ではマイナーな作品ばかりだと思う。
彼の見る者の心を捉える彼独特のダイナミズムは感じられなかった。
いくら大和・奈良に限られた画だとしてももっともっといい画があるはずである。
これで「須田剋太展」とは云ってくれるなよなと怒りのようなものさえ感じだ。
そのせいもあって他の二人もいい印象を受けなかったのも事実であろう。
ビデオ室で入江泰吉のビデオを見た。よくまとまっているビデオと思ったが、見ている内についうとうと
と寝てしまった。隣にいた者の話ではいびきをかいていたということである。ごく僅かな時間であるが
寝入ったのかもしれない。
美術館を出て、まっすぐ西へ向かう。いよいよ奈良町である。

奈良町というのは、どこからどの辺りまでを指すのかよく知らないが、奈良ホテルのある国道169号線
より西側、近鉄奈良駅から南へ伸びている通りの東側に囲まれたところではないかと思うが、
そこへ行く手前のところで、古い商家が並んでいるところがあった。それぞれ勿論営業中である。
私はこういう店が好きである。


造り酒屋
この店は奈良町界隈の東南に当たるの
ではないかと思う。






この店も同じような場所にあった店だとおもうが、何を商う店が記憶がない。





食事をするため、すこし戻ってバス通りに面した蕎麦屋へ入り、そば定食を食べる。
ビール中瓶を飲む。

その後、奈良町をぶらぶら歩く。

奈良町は勿論観光客相手の店も多いが、本来の普通の商家も多い。
地元の人相手に商売をしている店である。そういう店が何十年もあるいは場合によっては百何十年
も前と同じ構え、様子で商売をしているのである。それがいいと思う。これが三重県関と似ているとこ
ろだし、妻篭など作られた町と全く違うところであると思う。
橿原市今井町、富田林市寺内町と違うところは、今井などのような何々家というように際立って
大きい屋敷がない点だと思う(あるのかもしれないが気がつかなかった)。
あちらは商人の自治都市であり、こちらは大きい寺の勢力圏の中にあったからではないかと思う。

奈良町をぶらぶら歩き、適当に写真を撮る。


私が撮った写真では
最も奈良町らしい写真だと
思うので、すこし大きくした。





惜しむらくは車がなければいいのだが。
それは無理というものだろう。




蚊帳を商う店
勿論現業中である。





あっちへいったりもどったり、適当に歩いて、猿沢池の池畔で休憩する。
その後、賑やかな土産物屋の多い通りを西の方へ歩き、JR奈良駅へ着いた。



JR奈良駅



「シルクロード・タウン21」というJR奈良駅周辺地区整備事業があり、国際文化観光都市の玄関口
に相応しい都市空間をつくる計画だそうである。
現JR奈良駅舎の取り扱いは未定とある。
ということは取り壊しの可能性が強いということだと思われる。
個人の所有物ではなく、いわば国の所有物に近いのだから残して欲しいと思う。

JR奈良駅で妻たちと別れて、私はそのまま歩いて近鉄新大宮駅前のホテルへ向かった。