平成14年3月2日
千葉県佐原市、埼玉県川越市の町並み探訪



旧東海道の最終コースを歩くため、金曜日3月1日夜から出発した。
3月1日(金)のJR東海の深夜高速バス「ドリームとよた号」に乗った。このバスは名古屋駅を
出て東名高速に入る前に瀬戸、豊田、岡崎に寄って行く。私は瀬戸記念橋の停留所から
午後10時20分頃、バスに乗った。
うとうととしたら次の豊田、岡崎からも乗客が乗ってくるので、その都度がたがたして目がさめる。
バスは満席である。といっても1階2階合わせても30人くらいしか乗れないが。
デラックスシートである。飛行機のファーストクラスもこんな具合かと想像する。

岡崎インターから東名高速に入ったのは午後12時を過ぎていた。
運転手の車内放送でまた目を覚ます。休憩である。
三ケ日サービスエリアと足柄サービスエリアでそれぞれ30分近く休憩する。
それでも東京駅には予定より早く大分早く着いた。午前5時半である。
午前6時丁度発の総武線千葉行き快速に乗った。電車の中で自宅から持参したおにぎりを
一つ食べる。
千葉で銚子行きに乗り継ぎ、佐原には8時丁度に着いた。

今回佐原を訪れた目的は「重要伝統的建造物群保存地域」に指定されている佐原の町並みを
見たいのと伊能忠敬ゆかりの旧宅や記念館を見物したいためである。
佐原駅では高校生が沢山降りた。今日は第一土曜日で休校日ではなかったのだ。
高校生と一緒に線路に沿って東の方角に向かって歩いていると川に出た。
小野川である。そういえばもうすぐ向こうが利根川である。
小野川は利根川の一支流である。
川沿いに沿って歩くと古い家が並んでいる。ここの重伝建地区は大雑把に言えば、
南北に流れる小野川沿いと東西に走る鹿島街道沿いに、言わば十文字状に古い家並みが
並んでいる。十文字の交点が忠敬橋である。所々で写真を撮りながら川沿いにゆっくり歩く。





朝早いせいか車も少なく、気分よく歩ける。
忠敬橋までくると橋のすぐ横にいかにも古そうな店がある。その写真を撮り更に川に沿って進む。


左側2軒目の家が
伊能忠敬旧宅

伊能忠敬の旧家があった。午前9時からは中へ入れるようであるが、まだ時間が早い。
その川向かいが伊能忠敬記念館である。かってはこの旧宅の屋敷地の一部にあったらしいが、
手狭になったので、川の反対側に立派なものを十数億円もかけて造ったということである。
こちらも開館は9時である。そのまま川沿いに進む。重伝建地区のはずれまで歩いたので、
そこから西へ入った。そこに大きい倉庫があった。明治時代に造られたものだそうである。
佐原は利根川を利用し、小野川沿いにこの地方の物資の集散地として栄えたところだったらしい。
川沿いの商家、土蔵、倉庫などはその名残である。この小野川と古い土蔵、商家がよく似合い、
落着いた古い情緒がかもし出されている。

ここから小野川の反対側の川沿いに歩きながら、写真を撮りつつ、鹿島街道まで戻ることにする。
こんどは鹿島街道に沿って、東の方向に進む。やはり古い家並みが続いている。
いくつか写真を撮りつつ、佐原・三菱館へ着いた。かっては川崎銀行佐原支店の建物だったものが
三菱銀行佐原支店となり、今は市の持ち物で中は観光案内所のようなものになっている。


建造は大正3年とかでいかにも
大正ロマンを感じさせる建物である。
現在の東京三菱銀行の支店は
この古い建物の裏側に店舗があり
営業している。



三菱館はまだ閉まっていたので帰りにでも寄るつもりで更に街道沿いに進む。
この辺りに山車会館というのがあり、この地方の立派な山車が展示されているということなので
そこへ寄ることにした。山車は背が高いのでそれを収納するため、山車会館は3階建ての
建物である。入館料は400円である。400円はちょっと高いなと思いつつ、館の人と目が合って
しまったから仕方がない。
9時少し前だったが「もう入れますか」と聞くと「どうぞ」と云われたので400円は払って中へ入った。
後で聞いた説明では、佐原は小野川を挟んで本宿と新宿と分かれていて、それぞれ神社があり、
夏祭りと秋祭りがあるそうである。そのお祭りの時に華やかに町内から山車が出るそうで、
確か全部で24台あるとか。
その夏祭り用と秋祭り用の山車を1台づつ順番にこの山車会館に展示するそうである。


確かに立派な山車である。人形(と言わないか
なんと言うのだろう)を載せる台まで高さが4m
くらいあるのでないか。
見上げるようにして写真を撮る。
夏祭りの方は魚だが、秋祭りの方の人形は確か
「ニギニギの命」と読むのだったと思う。




2階3階にも関連のもの、今までの祭りのポスターなどが展示されている。
毎年のポスターもこれだけ揃うと圧巻である。
3階には二つの人形(当然下にある山車とは別の山車の)だけの部分の実物の展示がある。
こういうものを間近に見れることは滅多にないことである。
3階から見ると1階にある山車の一番上の人形の部分がすぐ前に見れる。

山車会館を出て、鹿島街道を戻っていった。三菱館まで来るともう開いていたので中へ入った。
中は吹き抜けとなっており、昔の銀行のカウンターなどそのまま残してある。
中にいた人がパンフレットを渡して、私にいろいろ親切に説明してくれた。私がもう山車会館に行って
きたというと、ここへ先に寄ってパンフレットを持っていくと山車会館の入館料が割引になったのに
としきりに気の毒がってくれた。
お礼を云って三菱館を出て小野川河畔へ戻り、すぐ横の忠敬旧宅を見学した。
そうとうの財をなした家にしては、敷地は広いが質素な家という気がした。中に忠敬の像がある。
ざっと見てから記念館へ行った。もう開館していたが入館料が500円もする。
中の展示物を写真撮影できるかと聞くと、できないと云う。これでは500円も払って入る意味も
ないと、入館をやめて忠敬橋までもどり、こんどは鹿島街道を西へ向かって歩き出す。

忠敬橋と中村屋商店
中村屋は畳表商
ここには江戸時代のお雛様が
あり、頼むと見せてくれるそうである。



そこには佐原で有名な古い本屋など古い店が
並んでいたので写真を撮った。

正文堂という古い本屋



正文堂本屋のとなりは
そば屋、和菓子屋、元銀行のような
感じの大正風の建物(現在は生命保
険の支店)





写真を撮りつつ街道沿いにしばらく歩き、下新町という町へ入った。適当に写真を撮り、
また小野川に戻り、今度は駅からきた時とは反対側の川沿いの道を辿って歩く。
古い店屋、土蔵がある。一部工事中もあり青いシートが目障りではあるが、それも旅行者の
勝手な理屈というものであろう。
あちこちで写真をとりまくり、鹿島街道を佐原駅の方へ向かう。
予定していたより一つ前の電車に間に合いそうだったので駅へ急いだ。
10時39分の電車に乗って佐原を立った。

伊能忠敬記念館については、下記ホームページに展示内容などの紹介がある。
興味のある方には是非一見されたい。

http://www.sawara.com/tadataka/

忠敬の生涯の詳細な説明もある。特にお勧めは「正確な日本地図」というところである。
そこをクリックすると「伊能図」「現在の日本地図」「重ねた図」の三つに分かれるが、
それらを見るといかに忠敬の地図が正確だったかということがよく分かる。
「伊能図」と「現在の日本地図」を別々に見れば全く同じだと思ってしまう。
重ねてみると、南北は合致しているが、東西の方向にずれがあることが目に付く
(特に北海道・東北・九州など端の部分が)。これはそこの説明にあるように、南北については
昼は測量に歩きながら夜には天体観測により緯度を測り修正していったから誤差が少ないのに
対して、東西の経度についてはクロノメーター(経線儀)がまだ発明されていなかったので
修正の方法がなかったことによるものだそうである。



佐原からJR成田線で成田へ行き、ここで京成電鉄に乗り換え、東京・日暮里へ向かう。
特急で1時間ほどで日暮里に着いた。ここらまたJRで池袋へ出て、東武東上線に乗り換え、
埼玉県の川越へ行った。目的は川越の「蔵造りの町並み」「菓子屋横丁」など古い町並みを
見物し、合わせて博物館、寺院なども見てこようというものである。

1時半頃川越に着いた。北に向かって賑やかな通りをぶらぶら歩く。
やがて道の両側に古い蔵造りの家が並んでいるところに来た。
説明によれば、これらの蔵は、明治20年代の大火で町の大半が焼失し、これを契機に
建てられたものだそうである。
だから江戸時代の蔵ではなく、明治になってからのものであるので、見るから頑丈な造りである。
それぞれ観光客相手の商売なり、通常の生業の店で営業中のものである。
ただ残念なのはこの通りはバス、地元の車、観光客の車など車の通行が大変多い。
それに今日は土曜日なので観光客もめちゃくちゃ多い。それで車が多い上に観光客がうろうろする
ので車も大渋滞である。観光をいうならこの通りは土日は車の通行禁止にでもすればいいが、
この通りはこの街のメイン道路で迂回する道もないのでないかと思う。古い街では仕方がない。
蔵造りの町並みの写真を撮りたくても、どうしても車が邪魔になるし、また危なくておちおち写真も
撮っておれない。また観光客の多のにも正直驚いた。夫婦連れ、子供連れ、若いカップル、団体客、
とくかく多い。道は人で溢れている。










時の鐘



適当にこの通りの写真を撮ってから、裏通りにある「菓子屋横丁」というところへ行った。
古い(例えば昭和の30年代くらいまでの)の駄菓子屋のような店が並んでいるのかと思ったが、
そうではないらしい。
ここでは明治時代から菓子製造はしていたが特に関東大震災以降盛んになり
昭和初期には70件の業者が軒を連ねていたそうで、今も10数軒の菓子屋が横丁を作っていると
いうことである。
市のホームページでの宣伝ほどのこともないと思った。私も詳しく店をのぞいたわけではないが、
コンビニで売っているような菓子を売っているとしか思えなかった。値段の特別安いわけでない。
ここは特にこども連れ、観光客が多いように思った。菓子を買ってビニール袋をぶら下げて歩いて
いる人が多いが、わざわざこんなところで買うこともあるまいという気がしただけである。



菓子屋横丁


菓子屋横丁から東に向かい市役所を通り過ぎ川越市立博物館へ行った。
市役所からこの辺りは昔は川越城があったところである。
博物館は入館料200円であるが、なかなか充実しているように思った。
昔の川越からの川越の歴史や昔の家の内部、蔵造りのやり方など、いろいろ興味深いものが
あった。近くの川越大師・喜多院にゆかりの天海僧正の木像があったので写真に撮った。
博物館を出た後、また蔵造り通りに戻り、前と反対側の道を歩き、写真を撮った。

かなり南へ戻ったところで、また東へ向かい、喜多院とその中にある仙波東照宮を見てきた。
喜多院というのは、先ほどの博物館での江戸時代の立体模型図では広大な敷地を要していたお寺
だったようで、天海僧正が住職となったころから大きくなったようである。
江戸城内の客殿、書院なども移築され結果的には江戸城の唯一の遺構となっているとか。


仙波東照宮

東照宮は日光東照宮のミニ版である
。家康の亡骸を久能山から日光へ
移すときここに立ち寄り法要が営ま
れたことにより建立されたとある。





東照宮を見た後、適当に歩いて賑やかな商店街に出て、川越駅に向かった。途中食事をして
池袋まで東武東上線に乗り、山手線、京浜東北線で大井町駅で降りて、ホテルに6時過ぎに入った。


今日も結構歩いた。歩数計を見ると30,700歩あまりであった。