平成14年2月17日
JR東海道本線戸塚駅〜旧東海道〜保土ケ谷宿〜神奈川宿〜川崎駅(24.8km)

今日は、大学時代の友人2名が旧東海道ウ―キングに同行するということになった。
彼らが川崎まで歩けるのか、途中でリタイアするのか、どうなるのか分らない。
また長い間ウオーキングーをやっているが、家族と数回一緒にいったことがあるくらいで、
ほとんどが自分ひとりである。人と一緒に歩くというのがどうなるのか、やや不安があるが、
それなりの楽しみもある。
鶴見駅近くのホテルを朝8時半ごろ出て、戸塚駅に向かう。ちょうど9時に着いた。
昨日会ったN君はもう来ていたが、もう一人のM君はまだである。
しばらく待っていたが来ない。
待ち合わせ場所がここなのは間違いないのかと聞くと、ここのはずとN君はいう。
戸塚駅は上と地下と2ヶ所改札口がある。地下という約束だという。
9時半にもなってもこないので、N君は自宅になにか連絡が入っているかと電話をしたら、
9時10分くらいにN君が出かけたのを確認の電話がM君からあったという。
出かけるのが遅くなったので、電話をしてきたのかと云ってもうすこし待つことにした。
10時近くになっても来ないので、念のため上の改札口を見てきたらと私が言うのでN君が見に
行ったら、M君と一緒に戻ってきた。M君は9時から上の改札でずっと待っていたらしい。
いかにも、このチグハグ、スカタンは我々らしい。よくあることだ。
そんなことで1時間ロスしたが、10時に無事歩き出した。
私が用意しておいたガイドブックの地図のコピーを渡すと、こんなもん見んでも分っているとか云って
どんどん歩き出す。


戸塚宿江戸方見付  
江戸からきたときの戸塚宿の入口である。





益田家のモチの木 樹齢何百年とかいう巨木である




国道一号線と旧道との分岐に来ても、一号線を行こうとするので、旧道はこちらだよと私が注意して
それからは私が地図を見つつ、旧東海道を歩くことにした。

一昨年くらいにできたという南北に走る広い道を歩道橋で越えて、新興住宅街のはずれにある
旧東海道の感じの残る道を行く。
3人でよもやま話をしつつ歩くので、気楽に歩けるのがいいものである。
ときどき地図を確認しておかないと道なりに歩くと旧東海道をはずれることもあるので、
その点の注意が必要である。

品濃坂の一里塚 
一里塚というには巨大すぎて全体が見えないくらいである。




境木地蔵、若林家などガイドブックの案内を確認しつつ、権太坂を越え、一号線に出る。
すぐ旧道に入り、真東に向うがその辺りが旧保土谷宿である。元の本陣跡付近から道はまた
北へ向い、保土ケ谷駅の付近からは街の中の道を行く。

天王町という私鉄の駅を通り過ぎた辺りが
大変賑やかな商店街で、今日この頃こん
なに活気のある商店街はみたことがない。
その人ごみをかき分けるようにして進む。




道は神奈川宿にかかり、台町という小高い山手の道を街を歩く。


台町にある石垣 かなり年代が経っている
ものと思われる
どういうことか知らないが、ところどころ空地
になっているのが目に付く。




神奈川台関門跡
袖ヶ浦見晴所




神奈川宿本陣跡などの標識は確認できなかったが、旧神奈川宿の中心地を通り過ぎ、
旧東海道は海沿いに走る国道15号線となる。
国道15号線沿いのこの辺りは食事のするところがないところである。
一軒中華料理があったので、そこで昼食とした。ビールを飲みつつ、五目焼きそばを食べる。
そこでしばらく休憩。



そこからしばらく歩くと生麦というところに
差し掛かり、生麦事件の碑が立っている。




生麦事件というのは、ご存知のとおり文久2年(1862年)に起きた大事件で、薩摩藩の一行の前を
横浜在住のイギリス商人が馬に乗ったまま横切ったので、怒った薩摩藩の武士がイギリス人に
切り掛かり一名が死亡、他重傷者を出したというもの。
この事件の結果、幕府は莫大な賠償金を払わされ、薩摩藩もイギリス艦隊の砲撃を受けたという
ことだったと記憶している。
私はこの事件前後の幕末の様子は杉本苑子「間諜」という小説を読んだことがあったので、
すこし知っている程度である。

この生麦事件の碑がある付近から旧東海道は国道15号線と分かれて旧道に入るが、私はそれを
見落とし、そのまま15号線を歩いた。
鶴見駅の少し手前で旧東海道は15号線から分岐して北へ入り、そのまま鶴見駅の下を通る。
このすこし前から雨がポツポツ降ってきた。天気予報では今日は雨ということで雨は覚悟して
いたが、なんとか川崎までもってほしいという期待は空しかったようである。

鶴見駅についたとき、二人に傘は持ってきているかと聞くと持ってきているという。
どうする、ここで止めるか、川崎まで行くかと二人に聞くと、どちらでもという。
じゃあ予定どおり川崎まで歩くかということになり、それぞれ傘をリュックから取り出し、
小ぶりの雨に中を歩く。

鶴見川橋という洒落た橋を越え、市場村一里塚の記念碑を確認し、八丁畷という駅の下を通り過ぎ
ると、川崎駅はもうすぐである。

川崎駅に丁度午後4時に着いた。24.8km

まさか二人がこんだけの距離を一緒に歩けるとは思わなかったが、喋りながら気楽に歩くと意外に
歩けるものだと痛感した次第である。
川崎駅に地下街は立派な地下街である。その中の居酒屋で今日の打ち上げやった。
次回は3月3日に旧東海道の続き川崎〜日本橋を歩くことを決めた。次も一緒に歩きたいということ
であった。

私はそれから東神奈川駅で二人と別れて、新横浜に出て新幹線に乗り帰った。
自宅に着いたのは午後9時すぎであった。

二日間の総歩数77,780歩