平成14年2月16日
JR東海道本線平塚駅〜旧東海道〜藤沢宿〜戸塚宿〜JR戸塚駅(22.3km)

いよいよ東海道も東京・日本橋まで約65kmとなった。健脚の人なら、朝早く立てば2日間の
コースである。私には無理なので残りを三日で歩くことにした。
今日はその内、平塚〜戸塚まで約22kmを歩くことにした。横浜在住の友人と今晩食事を一緒する
ことにした。落ち合う場所は戸塚駅に午後4時である。この距離ならゆうゆうと間に合うので、
時間があるようなら駅近くの戸塚地区センターへよって、戸塚宿の展示などを見てこようと
思っていた。

そんなことで今日は比較的時間的に余裕がある。
どうせ新幹線を使うので、家も遅めに8時ごろ出た。
平塚駅に11時少し前に着き、午前11時歩き出す。

今日は風もないし、晴天である。こんなにいい天気なのに、明日は雨だとはとても信じられない
くらいである。一応、雨具(傘、レインコート)を持ってきた。

賑やかな平塚駅前を北へ200メートルくらい歩いて旧東海道に出て東へ一本道である。
やがて相模川にかかる馬入橋という橋に出た。旧東海道は橋があったのか、どうか不明であるが、
この橋の袂に「馬入橋陸軍架橋記念碑」という碑がある。大正13年の関東大震災でこの橋が
損壊してので陸軍京都工営隊が10日余りで架橋したそうである。長さ450メートル。


馬入橋にて。
日本橋まで62kmといういつもの標識が
あった。




橋を渡ったところから茅ケ崎市である。
鶴峰神社という大きな神社の参道入口の大きな鳥居があり、その神殿まで1km近く続く見事な
松並木があるそうである。境内には樹齢千年近い銀杏の大木があるとのことであるが、寄り道する
気もなく、鳥居と松並木の写真を撮ったのみ。


亀井戸橋、
ここは左富士の名所ということである。
江戸から京に向って行って右側にあった
富士山がここでは左に見える。
確かに富士山が見える。
道が大きく右にカーブしているということと
たまたま遮るものがないということだけのこと
だと思うが、旅行者の一つの気休めにはなっ
たのであろう。





茅ケ崎市内の松並木





茅ケ崎市内の民家、玄関の入口にも屋根、庇が付けて
あるのがこの辺りに風習なのか。



この辺りの旧東海道は国道一号線を歩くことになるが、片側1車線なので車の通行が渋滞して
いる。土曜日なのに車の通行量が結構多いようである。平日は相当の渋滞なのであろう。
また、茅ヶ崎駅近いせいもあるのかもしれないが、国道横の歩道を自転車に乗った人がびっくり
するほど通る。こんなに自転車の通行客が多いのは今まで体験したことがない。

丁度午後1時上正寺というお寺の境内で平塚駅で買ってきたアンパンを食べる。
このお寺には聖徳太子自ら彫ったと伝えられる太子像があるそうである。そういう案内板は
あったが実物は本堂にでも安置してあるのかもしれない。



写真は上野寛永寺にあったと云われる石灯籠である。
寛永寺に諸大名から歴代将軍の供養に奉納されたものの
うち、これは4代将軍家綱に献上されたものだそうである。





そこから1kmほど歩いた所で藤沢市に入る。
すぐ大山街道入口という標識があった。
ガイドブックによればこの辺りは大山への参拝客が
多く通った場所で茶屋などで大変賑わい、客を泊めるなど
旅籠まがいのことをしたので、藤沢宿との間で訴訟沙汰を
起こしたとある。
古くから大山参りは庶民の間に大変人気があったらしい。




まもなく藤沢市の四谷というところで久しぶりに一号線と分かれて旧道に入る。車もそこそこ通るが、
それでもホットするのも事実である。
旧藤沢宿の中心地辺りを丹念に見て歩くが、本陣跡など旧宿場の痕跡などは一切ないようである。
藤沢宿の中心地辺りにある源義経首塚というのが旧東海道からすこし入ったところにあるので、
それを見に行った。その辺りの年輩の女性に場所を聞いて、マンションの谷間の小公園(というより
児童公園)の隅にあった。


正面の井戸が義経の首を洗ったという伝説
の井戸である。
奥州平泉で討ち取られた義経の首が首実検
が済むとうち捨てられたので、土地の人が
それを埋葬して供養したという。
そのいわれの白旗神社というのもすぐ近くに
ある。






旧藤沢宿の古い商家の写真を撮った。
今でも立派に営業しておられようだった。




東へ進んできた旧東海道は左へ北へ90度曲がるところに游行寺という大きなお寺がある。
踊り念仏で有名な時宗の本山である。
ここからずっと上り坂が続くが、游行寺坂という名がついている。この坂を上り詰めた所で、また
国道一号線と合流した。ここから3km余りは一号線の歩道を歩くのみである。
これが意外に距離がある。
やがて旧道に入るが、その辺りは大坂というとおり急な坂道である。
私の方は下りになるが、江戸方面からくると、なかなかきつい上り道になる。悠々と約束の4時には
間に合うつもりがちょっと怪しくなってきた。焦る気持を抑えつつ、急ぎ足で坂を下り、駅に向った。

旧戸塚宿上方見付跡の案内があり、いよいよ戸塚宿である。


これも旧戸塚宿に見掛けた古い家




更に旧本陣跡の案内標識を見た。





近くの人に聞きつつ、駅に急ぐ。
JR戸塚駅着、丁度4時、5時間、22.3km

大学時代の友人N君が駅で待っていた。
彼は横浜の中華街を案内すると云ってくれたが、私は今日は疲れたし、明日はまた二十数キロ
歩くので、この近くの適当な店にしようと云ったので、近くのファミリーレストランで2時間ほど歓談
した。
明日は彼も川崎は無理だが途中までは一緒に歩くということで、明日この駅に午前9時に集まる
ことにした。私はJRで7時まえ鶴見のビジネスホテルに入った。