平成13年12月23日
沼津市内ホテル〜旧東海道〜三島宿〜JR三島駅(8.8km)

今日は、沼津から三島を通り、そこから山に入って元箱根まで歩いて、そこからバスで
三島まで戻ってくる、続きは来年と思っていた。
ところが朝起きてみると、左足のアキレス腱が腫れているし、左足の甲の部分も痛い。
これではとても山道は無理だと思った。何のためにホテルに泊まったのかとがっかりしながら
とりあえず三島まで歩くことにした。

8時半にホテルを出る。
今日も天気はいいが、風は冷たい。昨日よりやや風があるようである。

沼津の繁華街を通り過ぎ、旧東海道に出る。
坦々と歩くのみである。

これより西沼津領という標識があった。
傍示石というらしい。
よこにその案内板がある。

特に写真に撮るほどのものでもないが
他にないので写真に撮った。



沼津市を過ぎ、清水町というところに入る。沼津と三島に挟まれた町である。同じ静岡県に
清水市と清水町とあるからややこしい。今朝ホテルで地元の新聞を読んでいて清水町というのを
見て「あれ、清水湊の清水は市ではなかったのか」と思った。


清水町の八幡神社にある「対面石」

源頼朝が兵を挙げ、富士川の合戦の
際、義経が奥州から駆けつけ、ここで
兄弟が対面し、腰掛けた石だという
伝説の石である。
頼朝にすれば、年も違うし、母親も違う
し、育った環境も違うし、義経に兄弟と
いう意識はなかっただろう。
使い捨ての兵隊くらいにしか、思わ
なかったのではないかと思う。


宝池寺の一里塚跡
このお寺の入口にこの一里塚跡が
あるが、このお寺の道の反対側にも
お寺があり、その横の林の中にやはり
一里塚跡がある。こちらの方が本物で
教育委員会の案内板もある。
この写真の方は修復復元されたものと
なっている。いかにも作り物のような
感じがする。この一里塚と反対側の
一里塚とは距離が数十メートルあり
元の距離とは離れすぎていると思う。


街道に残る常夜灯
これでもかなり古いものである。
よく覚えていないが天保年間だったように
思う。




やがて三島市内に入り、賑やかな
通りを歩く。
「東海道400年、三島宿」の
表示をみかける。




昔の三島宿の中心地
休業中のそば屋の前に「世古本陣跡」の
標識石が立っている。
まさか、このそば屋が本陣の子孫でもあるまいと
思う。三島宿は旅籠が72軒あり、本陣も2軒あった
そうである。その本陣ならそうとうの規模の旅籠
だったろう。



ここで旧東海道と別れて、駅に向かう。駅まで約1kmある。東海道本線はやや旧東海道と
離れたところに開通したのであろう。


三島駅に向かう途中に大正風の建物が
あったので写真に撮る。
三島信用金庫である。
ひょっとしたらその本店かもしれない。



JR三島駅着、10時45分、2時間15分、8.8km
後、新幹線で名古屋へ帰った。
お金がかかった割りに旧東海道の予定した距離を歩けず残念だった。

以上