平成13年10月27日
JR東海道本線掛川駅〜旧東海道〜日坂宿〜金谷宿〜島田宿〜藤枝(29.6km)

10月は何かと用事が重なり、久しぶりの旧東海道である。
今日はこの前の続きの掛川〜藤枝を歩き、藤枝で一泊して、明日は静岡まで
歩くつもりである。
これだけ自宅から遠くなると、交通費も嵩むし、一泊して二日連続で歩くほうが
いいように思う。

さて、朝7時に家を出て、いくつか電車を乗り継ぎ、掛川駅についたのは丁度
10時である。
今日は天気が良さそうなので、長袖のシャツを脱ぎ、半袖のTシャツ一枚となる。
日焼け止めクリームを腕と首筋に塗る。
野球帽の下に小タオルを差し込んで、うなじに直接日が当らないようにして、
早速歩き出す。

すこし、旧東海道からはずれるが、掛川で見るべきものといえば、掛川城である。
天守閣は平成6年に木造で復元されたそうである。実際の天守の姿を残す資料が
ないので、当初掛川城を建造した山内一豊が作った高知城の天守を参考したとある。
城まで入るつもりはなかったが、遠くから写真だけ撮った。

どちらが天守なのか、違うのか、よく分からないが
先を急ぐので適当に写真を撮った。


旧東海道は掛川市内で、鍵の手のようにいくつか、曲がっているが、地図を見て
出来るだけ、その後を辿った。
すこし、旧東海道をはずれるが、その他いくつか観光スポットもあるが一切無視して
東海道を歩く。
地図を見ている人がいたので、確認のためこの道が旧東海道ですかと尋ねると
私もそう思うと、その人もあまり自信がなさそうである。
東海道を今日はどこまで歩くのかと聞くと、次の日坂宿までバスで行ってそれから
歩く予定だったが、10時発のバスが出てしまったので、仕方がないから日坂宿まで歩く
ということだった。


やがて、道は国道一号線と合流して、車の往来が多くなる。
国道一号線は車の往来は多いが、必ず歩道があるので、その点では
歩きやすいともいえる。また、私が歩くのは、土日なので、幾分車は少ないのでは
ないかと思う。


国道一号線
標識には東京からの距離を表している。
225.3kmとある。
この数字がゼロとなる所へ辿り付くのが
当面の目的である。


今日は、本当に天気がいい。快晴である。ラジオを聞いて歩いていたら天気予報では
明日は昼頃から雨だとのことである。なんとか静岡に着くまではもって欲しいものである。
こんなにいい天気なのになあと信じられないくらいである。

旧東海道はなんどか、一号線と分かれてまた合流してこれを繰り返しながら、
日坂宿への入口に差し掛かった。ここからは一号線とはお別れである。

田舎道をのんびり歩きながら、日坂宿へ着く。
日坂宿は比較的小さな宿である。旅籠33軒、本陣1軒とある。


旅籠川坂屋
今は営業はしていないだろうが、
昔の旅籠が2軒残っている。
こちらがその一軒の川坂屋。

この宿では、各民家が昔先祖が営業してい
た当時の屋号の看板(かなり大きい80センチ
くらいの木札)を出している。
地域振興の一策なのであろう。


昔の面影を残す田舎町である。

日坂宿、本陣跡
幼稚園か保育園かになっている。



日坂宿を通り、一号線を越えたところから、急な坂道になる。これはまた、全くきつい上りで
ある。鈴鹿峠の時よりも急な坂道である。旧東海道でこんな坂道があるとは思わなかった。
こんな急な道では普通の車では上るのも下るのも、ちょっと無理ではないかと思ったくらいで
ある。
この坂を上り詰めたところが、驚くほど平坦なところになっており、両側一面に茶畑が
広がっている。


両側に見渡す限り茶畑が広がる。

風車があり、風を受けてゆっくり廻っている。
これはなんのための風車だったのか、なにかで
読んだような記憶があるが、思い出せない。
近くに人がいたら、お聞きしようと思ったが
果たせなかった。

意外なほど平坦な道が1キロ半くらい続く。


小夜の中山(という伝説から取った名前がついている)公園のそばにお寺があり、その前が
休憩所になっていたので、リュックを降ろし休憩した。12時半。
トイレを借り、お茶を飲み、持参のバナナを一本食べた。これが今日の昼食である。
ここまでは車で登ってこれる道があるのか、数台車が止まっており、家族連れを見かける。

ここからは、下りになるが、その途中で何組かの東海道うオーカーに会った。
私より年配の女性としばし雑談したが、三重県四日市の人で金谷から掛川まで
歩くということだった。坂をゆっくり登ってきていたので、この坂はきついですねと言うと
それでも山登りに較べると楽だとか、言っておられたので、普段は山登りをしておられる
のかなと思った。私が掛川から藤枝まで歩くというとびっくりしておられた。
「おたくはまだお若いから」とか私のことを云っておられたが、半分以上はお世辞と思う。

なだらかな下りが続き、下りたところが菊川である。

菊川は金谷宿と日坂宿と間にあった間(あい)の宿である。
その説明板によれば、普通間の宿は本宿間にあって旅人や人足の休憩のため、
本宿間が3〜4里に及ぶ場合に設けられたが金谷〜日坂は1里24町しかなかったにも
かかわらず、その間急所難所が続いたので特別に設けられたとか。
間の宿は旅人の宿泊は厳禁、また本格的な料理を出すのも禁じられたそうである。


菊川に下りたところで、また登り坂である。


菊川坂の石畳
石畳が延々と続くが、江戸時代の石畳で
現存するものに、最近地元の人が延長した
ものである。
歩いていても明らかに石が違うと思う。
この辺りは古くからあるものだと思った。



金谷坂の石畳

菊川坂を上り詰めると、こんどは下り坂である。
これが金谷側の石畳。
この道は薄暗い道である。
ストロボが自動発光するほどの暗さである。

この坂を下りたところが金谷町である。
町の中も駅まで下り坂が続く。


金谷駅のところで東海道線の線路の下をくぐって、反対側に出ると、こぎれいな商店街の町並み
が続く。
この町並みを通り越し、大井川鉄道の線路を渡ると、すぐ大井川である。
昔は勿論橋は無かったが、今は大井川橋という1キロを超える長い橋がある。


大井川
昔、越すに越されぬ大井川と云われたイメージ
から水量の多い川と思ったが、今はこの長い
川幅のうち水が流れているのは、ごく僅かで
ある。
一部は公園になっている。
一直線の道を気持ち良さそうにランニング
している人を見かけた。


江戸時代、旧東海道で橋が掛っていなかった川というと大井川というのが、すぐ思い浮かぶし、
橋の無かったのは大井川だけと思っている人も多いが、そうではない。この前渡った天竜川も当時
橋がなかったし、明日渡る静岡の手前の安倍川にも橋はなかったし、浜名湖の舞阪、新居間も
橋がなかった。じゃー大井川だけ、どうして有名なのかというと、他のところは橋がなかったが
船があった。船で渡った。大井川は徳川幕府の政策で橋はないし、その船での渡川も認められ
なかった。だから渡るのは人力しかなかった。人足の肩車、蓮台などである。渡る手段によって
値段が違うし、水位のよっても値段が違ったそうな。川の水深がある程度を超えると川留である。
徳川幕府の最も愚かな施策である。


大井川橋を渡り、島田市に入り、川沿いに1キロ弱行ったところが、かっての川越所である。
島田市博物館というのがあり、旧東海道沿いが島田宿川越遺跡となっている。遺跡とは
えらい大層な名前を付けたものだが、住居そのた生活圏と切り離された遺跡があるわけでは
ない。


島田宿川越遺跡の一部

右側の建物が、人足たちが集合した番宿。
一番から十番か、いくつもあったらしい。
そのうち、残っているのか、復元したのか
そういうものがある。一般の民家に混じって
残っている。そこで生活している人もいるよう
な感じもした。
なにかちょっと異様な感じもするところである。。
近くに、川札の発行など、川越の中心的
役所の川会所の建物も残っていて
中を見ることもできる。


この後、旧東海道は島田宿の中心地へ入っていくが、本陣その他島田宿を表すものは
一つも見かけなかった。
島田市の市街地を通り抜け、一本道を藤枝へ向かう。
疲れてきて注意散漫となり、旧東海道が国道一号線と分岐するのに、気がつかず
ずーと藤枝まで一号線をあるいてしまった。途中で気が付いたがもうすぐまた、旧道と
合流するのでそのまま歩いた。

藤枝駅近くのホテル着、4時40分、6時間40分、29.6km。

早速、風呂に湯を張って、一浴びして缶ビールを飲んで、しばらくベットへ入って
テレビを見ていたら酔いと疲れで、2時間ほどうたた寝をしてしまった。
7時半ごろおきて、晩飯をとるため出かけた。

明日は昼頃から雨らしいので、なるべく朝早く出て、できるだけ雨が降り出す前に
静岡市へ着きたいと思って、早めに寝る。

しかし、朝起きると、雨が降っているではないか。
あれっ、天気予報がはずれたのか、午前中はもつはずだったのに、とがっかりしたが
仕方が無い。折りたたみの傘とヤッケももってきているが、歩いている間に雨になった
時のためだあって、歩いていて雨が降り出したのはやむをえないが、初めから雨の中を
歩くつもりはない。
朝食をとり、しばらく様子をみたが、止みそうもない。むしろ降りが強くなったようだ。
あっさり、これから先のウオーキングは中止することにした。
なんのために、宿泊までしたのかと残念だが、ホテルを出て、駅に向かう。

藤枝駅前のアーケード商店街

家に電話すると、愛知県は曇っているが雨は降っていないとのこと、おかしいな天気は西から
移って来るのものではないのかとがてんが行かない。
藤枝発9時過ぎの電車で帰路に着く。また電車を乗り継ぎ、瀬戸へ12時過ぎに着いた。

今回は中途半端なウオーキングだった。

以上