平成13年9月1日

JR東海道本線新居町駅〜旧東海道〜天竜川駅(21.9km)

今日からまた旧東海道の続きをぼつぼつ歩きたいと思う。
今日のコースは比較的面白みのないコースである。
私の東海道歩きのガイドブックは2冊であるが、その1冊「完全東海道五十三次ガイド」
(講談社+α文庫)には(東から来て)天竜川をこしてすこし歩いた辺りからは「そこから
浜松まではバスが便利」と書いてあるし、もう1冊の「東海道五十三次を歩く」(講談社)
には「正直なところ浜松から舞阪までの10kmほどは、特に見どころもなくない旧東海道
が続き,歩きには辛いものがある」と書いてある。要するに今日のコースの大半は歩くだけの
道である。それは覚悟していたからどうということはない。

今まで歩くときも、日焼けするということに何の心配もしたことがなかったが、最近雑誌の
記事から紫外線のことが気になりだして、今日からその対策として、紫外線をカットする日焼け
止めクリームを電車の中で手足首筋に塗り、帽子は今までも必ずかぶっていたが、更に今日から
サングラス着用という格好にした。またハンカチを広げて帽子後の下にはさみ込んで後頭部、首に
直接日光が当らないようにして歩く。

JR東海道線新居町駅に丁度9時に歩き出す。駅には何人か東海道ウオーキングの人をを見か
けた。その内の一組の夫婦連れに話し掛け、今日はどこまで行くのかと聞くと、ここで東海道
ウオーキングのスタンプを押してからまた電車へ先へいくような話であった。

今日は防災の日である。旧東海道に面した工場などで防災の日の訓練をやっているらしい。

大勢の人が集まっており、時々サイレンも鳴っている。こんな時にのんびり歩いていていいのか
と思いつつ、東へ向う。

昔は新居宿と次の舞坂宿は船で渡った区間である。

その昔は浜名湖も湖南が繋がっており,陸続きだったが、今から500年くらい前の地震で陸が切れ
外海と繋がった。それ以来ここは船で渡るようになったらしい。
江戸時代でも新居の関のすぐ前まで浜名湖が入り込んでいたらしいが、明治以降に埋め立てられた
そうである。今の町の中心部はその埋め立てられたところにあるのでないかと思う。
多分駅前もすぐ海だったのであろうが、現在では全くその面影はない。

この辺りは狭い間に国道一号線、東海道本線、東海道新幹線、さらにもう一本道(競艇場や浜名湖中の島を通っている道)が走っている。
西浜名橋という橋を越える。橋から釣り糸を垂らし、魚釣りをしている人が数人いた。

新弁天島、弁天島を渡り、舞坂に入る。
ここで国道一号線と別れて旧道に入る。

まず、北雁木(がんげ)跡を見に行った。雁木というのは渡船場のことである。雁木は3か所あり、
その内、大名や公家など身分の高いものが利用した北の雁木だけが残っている。


北雁木跡

すぐ前が海(というより入り江)である。




そこから歩いてすぐの脇本陣跡へ行った。




脇本陣跡




建造時の書院棟を解体修理、その他母屋などは当時のものを復元したものである。
入場無料なので中へ入った。
間口は狭いが、奥行きは深い。


大名などが使ったのか、上段の間というのも用意されている。




さあーと見ただけですぐに出て歩き出す。

舞坂の街もどうということのない田舎の町である。



珍しく昔風の家があったので写真を撮る。今日はこういう家も殆ど見かけなかった。





舞坂の松並木

松並木が約700メートル続く。
そんなにボリューム感があるわけではないが
きれいに手入れされているように思った。




松並木を通り過ぎると、後はほとんど旧東海道を思い起こさせるものがない。そんな道をたんたんと
歩く。旧東海道で国道一号線とオバーラップしていないところも国道か県道になっており、狭い道に車がよく通る。人道と車道が区分されていないので、注意して歩く必要がある。

間もなく国道一号線にまた合流するすこし手前で20代の女性に会った。私と同じガイドブックを
持っているのですぐ東海道ウオーキングと分った。
東京の人だそうで今日は浜松まで来て、そこから歩き出し、白須賀まで歩きたいといってました。
今日で13日目の東海道ウオーキングということで、今まで2回宿泊したそうである。何回かに分けて京都まで歩きたいそうである。首から一眼レフをぶら下げている。機種は聞かなかったがいいカメラのようだった。重いので困るということでした。
しばし雑談して、「じゃあ」ということで袂を分かつ。

やがてまた国道一号線に合流した。

しばらく歩いた時、向こうから来る男性がどうも東海道ウオーキングの人らしいので、話し掛ける。
「どこから来られたの」話し掛けると、「福島から」という。そのときはまさか福島から歩いてきた
とは思わなかった。先ほどの女性が東京からきたが電車で浜松まできてそこから歩き出したのと
同じと思った。
「それでどこまで行くのですか」と聞くと「鹿児島まで」と言う
「鹿児島!、鹿児島のどこですか」と聞くと「鹿児島の一番端や」という。
びっくりしてこれは面白そうだと思って、いろいろ話を聞かせてもらった。

先月の20日に福島を出て、鹿児島の大隈半島の先端(佐多岬だったかな)に10月の十何日に着く
予定らしい。約2ヶ月で福島から鹿児島まで歩くらしい。
連れがいてその人とそこで会う約束しているそうである。
その友人は日本海回りで鹿児島へ向かっているらしい。向こうで落ち合って帰りはそれぞれ
反対のコースを歩くらしい。
一日どれくらい歩きますかと聞くと、平均50kmだそうである。
「50キロ!」驚く私に、「それくらいで行かんとその日までに向こうへ着けん」と平然という。
背中にちょっと重そうなリュックを背負っている。聞くと夏用のテントだそうで、それに自炊用の
道具も入っているそうである。
要するに野宿である。
もう慣れたものでテントを張る場所はよく分かっている。米も田舎の農家で分けてもらうとか。
冬用のテントに較べると夏用は軽いので楽やと云うことである。

朝3時に起きて4時に歩き出し、夕方5時まで歩くそうで約13時間で50kmなら比較的ゆっくりした
ペースで、本人ものんびり歩いていると云ってた。
「九州行きが済むと今度は四国の88ヶ所めぐりですか」と聞くと、それはもう済んだ、東海道、中山道
、東海自然歩道、その他主なものは全部歩いたという。
東海道はもう何べんも歩いているそうで、今日は掛川から歩いてきた、豊橋まで歩くつもりだと
いわれるが、ざっと70km以上あるでしょう。大変な距離である。
もっとも1週間のうちに1日くらいは歩かない日もあるそうで、その日は休息の日にしているそうです。

お年はおいくつですかと聞くと「57才」という。「その間、会社は休みをもらうんですか」と聞くと、
「5年前52才で定年や」という。
それから5年間ずーと歩いているとか。
52才で定年とはえらい早い定年と思うがどんな会社なのか聞かなかったが、自衛隊はそれくらいで
定年だったか、あるいは会社の早期退職制度に応募したのか。
それからロングウオーキングを始められた感じでした。1日毎日50km歩けるようになるには
3年くらい掛ったというお話でした。

そんなことでしばらく雑談した。
こういう人に会うから、ウオーキングの時できるだけ人と話をするようにしているが、こういう怪物
がいるものである。

私もいっぺんに元気が出てきたようである。

浜松市の可美地区というところに差し掛かった。
そういえば浜松の隣に可美村という村があってスズキ自動車の本社工場があってそこから税収が
上がるので豊な村で、隣の浜松市が熱心に合併を働きかけているということを随分前に聞いた記憶
があるが、とっくに合併したらしい。浜松市可美村合併記念という記念碑も見かけた。
ところがどんどん歩いて、いよいよ浜松市の中心街に向うため北へカーブしているところに
「二つ御堂」とうのがあって、藤原秀衡とその愛妾を祭ってあるらしいが、その案内板がまだ
可美村教育委員会のままになっていたのが面白かった。


浜松の町に入った。新幹線、東海道本線の高架をくぐり抜け、いよいよ中心街に差し掛かったところ
で、どうも道がはっきりしない。道の整備で様子が変わっているらしい。大体こうだろうと思いながら
、不安もあり、向こうから帽子をかぶり、リュックを背負った男性(私くらいの年輩)が来たので
東海道ウオーキングの人と思って、「今日は」と声を掛ける。向こうの人は一瞬びっくりしたようで
「えっ」と声を出し、私をまじまじと見る。私が帽子をかぶり、サングラスをしているので、自分の
知人に声を掛けられたが、誰だったかとしばらく考えているようすだった。
私が笑いながら、「東海道ウオーキングの方ではないですが、旧東海道が分らないのでお聞きして
いるのです」というと先方も「いやー」といいいながら苦笑している様子。そうではなかったが親切に
地図を見ながら教えてくれた。大体私の思っていたとおりであった。
連尺という大きい交差点で右に(東へ)曲がってそこからまた一本道である。

後は記すべきこともなく、どんどん歩くのみ。

「天竜川駅北」という信号を確認して、右へ曲がって数百メートルの正面が「天竜川」駅である。
駅の手前の酒屋で缶ビールを買う。
天竜川駅着、午後1時45分、4時間45分、21.9kmだった。
予定したより1本、30分早い電車に乗れた。

電車の中でビールを飲もうと、電車に乗り込んだら、電車は満員で、勿論座る席は空いていない。
快速に乗り変える豊橋まで立ち詰めか、それまでビールはお預けかとがっかりしたが、次の浜松で
降りる人が沢山いたので、すぐ座れた。すぐ缶ビールを開け、持ってきていたつまみをぼりぼり
食べながら、缶ビールをゆっくり飲む。
今日は、新居町、弁天島、舞坂、高塚、浜松、天竜川とJRの駅で5つの駅の距離を歩いたことになる。
それを今度はそのまま電車に乗って戻って行くわけだ。

豊橋で快速に乗り継ぎ、うたた寝をしている間に名古屋に着いた。
自宅へは午後5時帰宅、今日の歩数36,100歩。

以上