平成13年7月28日

JR中央本線釜戸駅〜大湫宿〜中山道〜恵那駅(16.9km)

今日は久しぶりに中山道を歩いてきた。
といっても東海道の続きに中山道という訳ではない。
東海道も西まで行ったので、後はどうするかと考えている間に
近くを歩いてみようというだけのことである。
自宅から歩ける東海自然歩道とも思ったが、このコースも
随分歩いていないなと思った行くことにしたものである。

自分のホームページで調べてみると去年の2月以来だから
1年半ぶりである。
暑いときのウオーキングはなるべく早く始めて早く終わるのが
暑さ対策としていいと思うので、今日はそれを実行した。
朝6時に起き、朝食を済ませ、6時35分に家を出た。
自転車で近くの愛知環状鉄道山口駅に向かう。
6時48分の高蔵寺駅行きにゆうゆうと間に合った。

高蔵寺でしばらく待って、中津川行きの電車に乗る。
釜戸の7時41分に到着。


釜戸駅前




すぐ歩き出す。

今日は曇っていて、朝新聞を取りに表に出たら雨がポツポツ落ちていた。
雨の心配はなさそうだが、曇っていて歩くのにはいい。

駅前の商店街というほどでもないが店もまだ閉まっている店も
多い。以前、飲み物を買ったコンビニも閉まっている。

ゆっくり歩いて、国道19号線の信号を渡り、中央高速の高架を
くぐった辺りから、いよいよ上りになる。
このきつい傾斜を避けるため道は大きく迂回しているが、
歩行者用の階段があって、それを上るとちょっと近道である。
この近道と元の道の交点に「さわやかウオーキング」と書かれた
案内板が出ていたので、今日のコースがjR東海の「さわやかウオーキング」の
常設コースになっているのかもしれない。


いずれにしてもここから大湫までの4km弱が
ずーと厳しい上り道である。

もう、汗が全身から出てくる。



今日は朝出かけるのにばたばたしてラジオを持ってくるのを忘れたので
ラジオの楽しみがない。
ぼんやり、何を考えるでもなく、上り道をゆっくり上って行くだけである。
ときどき車が通る。
この上のゴルフ場へ行く車、この先に団地があるのでそこの住民の車など
結構よく通る。
いつも思うのだが、これだけの坂だと冬場雪がふったり、道が凍結した時など
上るにしても下るにしても運転は怖いと思う。
この先の団地に住む家族のご主人は奥さんに駅まで送ってもらっているのでは
ないかと思うが、冬は大変だな。

どんどん上って行くと、山の気のようなものが感じられるようになる。

曇っているので、歩くのにはいいが、雲が黒いところもあるので一雨くらい
あるかもしれない。

1時間弱で大湫に着く。
人影もなし。ところどころ写真を撮るが、この1年半で特に変わったことも
ないようである。

中山道大湫宿




町並みその他の様子も変わりなし。
以前来た時やっていた近所の奥さん連中の臨時の店も今日は誰もいない。
時間が早すぎるのか、あるいはお客が少ないので、もうやっていないのか
どちらか不明。
昔の万屋風の店の自販機で500ccペットボトルのお茶を買う。

この大湫は昔の中山道の宿場で、本陣跡は小学校の校庭になっており、
脇本陣跡が建物が一部残っている。今日は寄らなかったが、ずいぶん
損傷のひどい建物だったと思う。半分崩れかかった状態だったと思う。
道からすこし奥へ入ったところにあるので、わざわざ見に行くほどの
こともない。

大湫からは中山道を恵那まで歩くことになるが、この中山道が東海自然歩道にも
なっているので、道の案内板、標識は十分すぎるくらいあるので、道に迷うことは
ない。

ここから恵那にかけて「中山道十三峠」といわれるくらい峠の多いところで
アップダウンが多い。そして峠には「何々茶屋」跡という標示がある。

旧東海道が鈴鹿峠などを除けば、アップダウンの少ない平地を歩く。
本当に高度差がないのに驚くほどである。そういうところを選んで
道を造ってあるという感じさえするくらいである。

その点、中山道は山の中の道なので上り下りが多い。


中山道の一つ峠を下りてきたところ




中山道はあるゴルフ場の中を突き抜けている感じで進む。
道の両側がゴルフ場のグリーンになっている。見たところ
プレーする人が全然見当たらない。時間が早すぎるせいもあるのかも
しれない。
足元にゴルフボールを見つけた。

この辺りの道は気持ちのいい道である。
江戸時代と変わらないと思うわれる杉並木である。
昼なお暗きというそのとおりである。
写真を撮ったが、ストロボが自動発光したせいか、後で見ると
写真がぼけていた。

この辺りの高さの道をあるいると、小さな虫に付きまとわれて
不愉快である。人間の汗に惹きつけられるのか、追っても追っても
どこまでも付いて来るので、たまらない。
すこしほかっておくと、耳元でぶーんと鳴るし、目や鼻、口に飛び込んで
来るので、帽子で虫を追いながら歩く。
さわやかな気分が台無しである。
民家があるようなところではいないし、ある程度の高さにところにもいない。
その中間の高度のところに、このうるさい虫がいるわけである。
そういえば、山道を歩くのは久しぶりなので、虫除けの噴霧薬のことを
すっかり忘れていた。
近いうちに買っておかないと。

大久後という部落を過ぎた辺りで、一人の老人に会った。
杖をして歩いておられたが、リュックサックをしていないので
近所の人が散歩をしているのではないかと思い、挨拶しただけで
話し掛けなかった。




左が中山道の中の休憩所
右が中山道



この休憩所のテーブルの上に缶々がおいてあり、その中に
ノートがあり、ここを通った人が感想文などを書き込んでいた。
私も2〜3回書いた覚えがあるので、その後そのノートがどうなって
いるか、興味があるので、それを見るためここで休憩することにした。
しかし、缶はあったが、その中は空である。
残念だが仕方がない。
休憩は取りやめ、お茶を飲んだだけで道を急いだ。



瑞浪一里塚(権現山一里塚)という一里塚を通り過ぎる。
一里塚はいうまでもなく、江戸から一里(約4km)毎に造られた標識である。
道の両側に2メートルくらいの高さに土を盛り上げその上に木を植えてある。
木は榎が多いそうである。
一里塚は、その街道の距離の目安であろうが、旅人にとっても歩く上の
メドにもなったと思う。
東海道では、さすがこの一里塚がそのまま残っているのは珍しい。
一里塚跡という標識が残っているだけが大半である。
中山道では、特にこの岐阜県のこの付近では、よく一里塚は残っている。
この一つ、恵那寄りの一里塚も残っているし、恵那から御嵩まで歩いたとき
4〜5箇所で一里塚を見たと思う。



瑞浪市から恵那市に入る。




この辺りで、雨が降ってきた。
傘を差すほどでもないが、ポツポツと降っている。
このまま降り続けるようなら、カメラをリュックにしまう必要があるなと
思っているうちに雨は止んでしまったようである。

いくつかの峠を上り下りしているうちに深萱立場というところに着いた。
立場というのは、宿と宿の間にあった休憩所で茶屋が出ていたところ。

この辺りにあった古そうな酒屋さんのご主人がこの辺の中山道保存会の会長を
していると、初めて中山道を歩いた時、その人と話をしたことがあるが、
その酒屋さんはもう廃業したのか、すっかり家を取り壊した普通の現代的な
家になっていた。アルコール類の自販機も置いていないことを見ると、完全に
廃業したのかもしれない。

ここまでくると、もう一安心である。大体後の様子もわかっている。
部落を通り過ぎ、最後の坂道に差し掛かる。
乱れ坂という名がついている坂だが、やはりきつい坂である。
収まっていた汗がまた、いっぺんに噴出してきた。
急な坂を上ったところから、また道はずーとゆるやかな上りが続く。

やがて槙ガ根追分につく。




ここは中山道と下街道の分岐である。
下街道は名古屋、伊勢方面への近道である。



ここの案内板によれば、幕府は中山道の宿場の保護のため
商人とか商人の荷物類は、下街道への通行を制限し、中山道の通行を
強制したとか。

また、槙ガ根追分から300メートルほど行ったところに
東海自然歩道の分岐がある。
ここまで中山道を通ってきた東海自然歩道は、ここから南へ分かれ、
岩村、明智方面へ向かっていくので、恵那市街には入らない。

ここで恵那駅までの距離から見て、駅までの所要時間を考えると
予定していた11時49分の電車より1本前の電車にぎりぎり間に
合うような感じがしてきた。
30分早く帰れるのは有難いから、急ぐことにする。

どんどん足早に歩く。
下り坂になり、アスファルトや石畳の下り道は足や膝にこたえる。

西行塚の前を通り過ぎるが、前の案内板を見て写真を撮っただけで
急ぐ。

坂を下りきったところが、中央線の踏切である。
これを越え、後は中央線に沿って1.5kmほど駅までを急ぐ。

恵那駅に11時17分着、3時間半、16.9kmだった。

11時19分のセントラルライナーに間に合った。

後、多治見で普通に乗り換え、高蔵寺から愛環に乗り、
12時40分帰宅。