平成13年6月30日 和歌山県紀勢本線箕島駅〜湯浅町
       7月1日  湯浅町、海南市黒江地区、奈良県五條市

今回は、久しぶりに故郷の墓参りをし、古い町並みを見つつ、何十年ぶりかで
知人達にも会う、いわば過去を訪ねる旅であった。

6月30日
朝7時前に出て、8時の近鉄名阪特急に乗った。10時に鶴橋に着き、環状線で
天王寺に出た。
普通、在来線では特急に乗ることはないが、今日は後のことを考え、1時間稼げるので
特急くろしおの乗った。天王寺から1時間で11時20分に箕島に着く。
駅前の食堂ですこし早いが昼食を済ませ、11時50分歩き出す。
私の田舎の湯浅町田村(厳密に言うと私の両親の出身地)はここから5km弱のところである。
平日は一日数本定期バスがあるが、土日は全くない。
ここから田村まで歩くのは50年ぶりくらいかと思いつつ、雨がパラパラ降る中
歩き出す。
昔の記憶を辿りつつ、また途中会う人に道を確認しつつ、歩く。
2km余り歩いたところで海岸線に出た。ここからこの海岸に沿った道を海を見ながら
歩いた。
雨の心配もなくなり、曇り空も歩くのにはいい。
50分くらいで着いた。4.5km程度の道か。
まず、お寺へ寄り、父の墓を探して、お参りをした。何年ぶりかである。
その後、部落をぶらぶらして、1軒の親戚を訪ねる。
すっかり変わってしまっていて、表札が該当するので、呼び鈴を押すが留守らしい。
隣の家を訪ね、様子を聞いた。私の知っている人はもう亡くなっているらしい。

それから、昔、私が通学した小学校を訪ねた。場所が変わってしまっていて
別のところにコンクリート造りで立派な校舎があった。

また、部落に戻って、叔母の家を訪ねた。数年前叔母が亡くなった後は空家に
なっていると思っていたが、叔母の孫娘が結婚してここで住んでいた。
私のことは全く知らなかった。

また、別の親戚を訪ねたが留守。更にもう一軒の親戚を訪ねた。そこの主人は私の
ことも覚えていて、しばらく昔話をした。

田舎に1時間余りいて、湯浅の町へ向かって歩き出した。
1時間弱で3時ごろ湯浅に着いた。

町の中を歩く。
カメラを持った男性数人に会う。
角長という古い醤油屋の写真を撮っていた。
また女性数十人のカメラを持った団体にあった。
聞けば奈良からきたそうで、女性ばっかり写真の同好会だそうである。
今日は高野山へ行って、それから何とかいうところ(名前は聞き漏らした)の
棚田の写真を撮り、最後に湯浅の街の写真を撮りにきたそうである。

私も旅館へ入るのは早すぎるので、町の写真を撮りつつ歩いた。

自分の家の前の地べたに座ってタバコをすっている老人に呼び止められた。
私のカメラを見て、写真を撮っているのかと聞く。
「わしも写真が好きでよう」とその老人(といってもよく見ると私とそんなに年が
違わないようであるが)の話が始まったので、私もそこへ座って話を聞いた。
写真が好きで、カメラを持って、北海道から東北、あるいは外国にも行ったことが
あるそうである。
湯浅の角長という醤油屋の店の写真も撮ったが、道が狭くていいポイントで写真は
撮れないとのこと。
湯浅の街でこれはという良いポイントはないかと聞くと、「さあー」というだけで
特にアドバイスらしきものはなかった。
最近は海釣りの客もめっきり減って少なくなってしまって、寂しい、湯浅の町も
不景気であるということだった。
そんなことやら、しばし雑談した。

それから、また街をぶらぶら歩く。
湯浅の街は戦争の被害に合っていないので、ところどころ昔のままの家が
残っている。

4時過ぎに旅館に入った。
駅の丁度真前にある旅館である。土曜日に旅館が一人客でも取れるかと
思っていたが、簡単に予約できたのも、釣り客が減っているということもあるのかも
知れない。


7月1日

朝6時半すこし前に目を覚ましたので、カメラをもって、街の写真を撮りに出かけた。
なるべく昨日歩いていないところと思いつつぶらぶらする。


紀陽銀行湯浅支店という小さい看板が
残っていたが、勿論営業はしていない。
私の叔父も昔ある都市銀行の
湯浅支店に勤めていたが、とっくの
昔に閉鎖となり、箕島支店に変わった
がそこも閉店となり、和歌山支店に
通勤していたと思う。
この街に銀行が残っていたかなと
思いつつ歩いた。


旅館の主人も云っていたが、今健康ブーム、ウオーキングブームでこの辺りだと
熊野古道を歩く人が多くなったそうである。
その熊野古道もこの街を通っていて、ところどころ案内標識がある。


街の中の熊野古道
右に「熊野道」と書かれた石の
標識が立っている。



更に歩いていると昨日歩いて見覚えのあるところに出た。


古い、昔から家並みが残っている
ところである。
朝まだ早いせいか、人通りは
少ない。


左右が「角長」という醤油の元祖という
工場と店舗である。
完全手作りのおいしい醤油らしい。
昨日の女性カメラマンもここで醤油を
買っている人が沢山いた。


1時間ほど町を歩き、旅館へ帰った。ちょうど支度ができていたので、朝食とした。
宿泊客は、私一人かと思ったが、主人が「いってらっしゃい」という声が聞こえたので
長期出張とか合宿とかの宿泊客がいたらしい。

料金(2食つきビール1本含む)7500円弱を精算し、8時20分旅館を出た。

湯浅駅から、JR紀勢本線和歌山行きに乗り、海南市の黒江駅で降りた。
ここは漆器の町で、古い町並みが残っているということなので、訪ねることに
したものである。
1時間後に黒江駅で知人と会う約束をしているので、1時間で街を見て、また
駅まで戻ってくる必要があるので、急いで歩く。
駅から南(海南市街)へ向かって10分ほど歩いて行くと、昔のままの家並みが
見受けられる。

黒江地区の旧街道筋に面した町並み

しかし、車がよく通るところである。



もうすこし、南へ行ったところ
このカーブのところが
驚くほどまた、車の往来が激しい。

車の通行が途絶えるのを待って
写真を撮った。


上記の交差点を右に廻ってすこし行った辺りから1本中へ入ったところに、
この辺りの特徴である、ノコギリ状の家の通りがある。


ノコギリ状の家並み

路地の家が道に対して
平行ではなく、片側をすこし(数メートル
)後へ下げて構えている。
どういう訳かよく知らないが、
狭い土地の有効活用の知恵なのかも
しれない。
この辺りの人の話では、こういう家も
少なくなりつつあるとのこと。
取り壊して、立て替える家が多くなって
いるということであろう。
この通りはこういう家が数軒あったので、ノコギリ状がはっきり分かった。




黒江は漆器の名産地だそうである。
こういう路地裏に、漆しの店、工房が
軒を並べている。
この先の家に「黒江ぬりもの館」という
看板が掛っていた。
どういうものか、興味はあったが
立ち寄らず。




あまり時間がないので、駅へ急ぐ。

知人が駅まで来てくれていた。
彼は私の前の会社での取引先にいた人で、名古屋に勤務していたが、
25年くらい前に故郷の和歌山の海南市に戻ったものである。
私が海南市の黒江地区へ行くことになったので、NTTのエンジェルラインで電話番号を
調べて連絡をとって25年ぶりくらいに合うことになったものである。
駅前の喫茶店で、缶ビールを飲みながら、昔話や近況をいろいろ喋ってきた。
話は尽きないが、次の予定があるので、再会を約し、丁度1時間後の電車で
和歌山へ向かった。

和歌山駅で時間待ちの間に昼食を取った。
JR和歌山線の奈良行きに乗り、五條に向かう。

のんびりとしたいかにも、田舎の電車である。
うたたねをしている間に、電車は橋本に着き、ここで大阪からきた知人と
落ち合った。

奈良県五條市に古い町並みが非常にきれいな形で残っていることを
「日本町並み館」にリンクしているホームページで知ったので、是非和歌山へ
行った帰りに五條に寄りたいと思っていた。
それで五條へ行くことにしたのであるが、五條に昔親しくして知人がいることを
思い出し、これもNTTのエンジェルラインで電話番号を調べて連絡を取った。
こちらは私が大阪から名古屋へ移ってからだから実に35年ぶりである。

五條駅に着くと、車で迎えに来てくれていた。
それからは彼の車で案内してくれた。
まず、栗山家という江戸時代からの古い屋敷を見に行ったが、これは街の中心街に
一軒だけ古い家が残されている。中も公開されていないので表から見ただけである。
それから新町通りへ行った。
車は一方通行の狭い道であるが、行ってびっくりした。

実にみごとな町並みである。
私は車から降ろしてもらって、車はずーと先の方で留めて待ってもらうことにして
歩いて夢中で写真を撮った。

「窓ガラス、サッシュなどが無く全部格子で本瓦葺、中二階建てで塗り込め壁の虫籠窓で
全く江戸時代にタイムスリップしたような景観であり、今でもこの様な景観が残っているのが
不思議に思え、興奮したときを過ごした。」
と書いておられる「日本町並み館」リンクの先輩がおられるが、まったくその
とおりだと思った。
私もそんなに沢山の古い町並みを見たわけではないが、ここは無条件で一級品だと思う。
三重県関町のように1kmも続くわけではないが、200メートルくらいの間の集積度とでも
いうべきものはとにかくすごいと思った。
この道は狭いので、一方通行になっているが、車をとめると他の車の通行の邪魔になるから
かえってそれが幸いして、車の駐車も少ない。


そのうちのいくつかを紹介する。私の写真の能力不足が残念である。


五條市新町通り



同上


同上


同上の先輩は「惜しむらくは電柱のあること」と書いておられるが、そのとおりではある。
これが関町のように電柱を地中に埋めて、電柱、電線を地上からなくしてしまえば
いうこともないが。

古い町並みや写真に関心のある方には、是非この街を訪ねられることをお勧めしたい。

その後、市の郊外にあるなんとかいう有名なお寺にある八角堂という国宝の建物を
見に行った。
それから、吉野川沿いのレストランで2時間あまり、旧交を温め、歓談してきた。

4時半の電車で大阪へ帰る知人と一緒に五條を立った。
JR吉野口、近鉄橿原神宮、大和八木で乗り換え、帰宅したのは午後9時ごろだった。

あわただしい旅行だったが、有意義だったと思う。

以上