平成13年6月16日
大阪JR環状線玉造駅〜清水谷高校〜谷町六丁目、大阪国際会議場〜城東区野江実家
今日は私の出身高校の大阪府立清水谷高校創立100周年記念祝賀会に
出席するため、出かけてきた。
愛知県瀬戸市の自宅を朝7時半に家を出て、近鉄の名阪特急で11時に鶴橋に
着いた。
すこし時間があったので、久しぶりに母校を見ておこうと思って、環状線で一駅
乗って玉造で降りた。
駅前通りを歩き、商店街を通り抜ける。
何年ぶりに歩くか、記憶がないが、すっかり変わってしまっている様子に
当然だが、何某かの感慨もあった。
玉造駅から1kmばかりで学校がある。
昔の正門から入るため、昔の電車通りへ回った。
校門手前のバス停が「清水谷高校前」となっていた。
左側に学校の石垣が続く。
この石垣が昔のままである。この石垣と校門から入ったところの坂道と
校庭にある大きな楠の木だけが昔のままだということを、後で祝賀会での
校長の挨拶で知った。
それなら、バス停の写真を撮るとき石垣も写るように撮るんだったと
後で後悔した。
今日は土曜日で授業があるのかどうか知らないが、校門は開いていたので
中へ入る。
清水谷高校は、明治34年(1901年)4月に大阪府第一高等女学校として開校認可、
6月に大阪府立清水谷高等女学校として開校とある。
(その前身は前年創立の大阪市立大阪第二高等女学校だそうだから、1900年創立と
してもいいという勘定になるが)
私は新制高校になった8期生である(昭和28年〜昭和31年在学)。
尚、清水谷というのはこの辺りの地名である。
正門を入ると緩やかな、少し左カーブのスロープに
なっている。
これは昔のままである。
平成3年から校舎の立替工事が始まり、平成7年に
完全に竣工したとのことであるが、その間に
旧校舎のさよならパーティというのがあり、
その時にここへ来たことがある。
それ以来である。
完全に立て替えられた校舎
この正面の校舎の奥に中庭があり、
そこに大きな楠が立っている。
この楠は昔のものをそのまま残したそうで
ある。
この校舎が完成して間もなく
平成7年10月より放映されたNHKの
朝の連続ドラマ「走らんか」の舞台と
なっている。
このドラマそのものは私も見ていたが、九州博多を舞台とした漫画をよく書く
長谷川法世という漫画家の作品を原作したもので、博多の話であるが、製作を
NHK大阪が担当した。学校のシーンが必要なので、この校舎を使わせてくれという
依頼があり、それに応じ使われたということである。
校内をすこし歩き、裏門(東門)を出る。確か通学はほとんど裏門だったと思う。
門そのものは当時のものではないが、その辺りの雰囲気は変わっていないような
気がした。
その辺りは住宅や会社がないせいもあるのだろう。裏門を出たところに
どこかの会社のクラブか寮のようなものがあった。閉鎖されているようだったが
これは昔からあったような気がする(勿論建物そのものは立て替えられているが)。
裏門横の小路で時間待ちをしている
タクシーの運転手がいたので、写真を
撮ってもらった。
気を利かせてバックを主体に撮るので
人物が小さすぎるので、ズームを一杯に
して取り直してもらった。
「もっと前で撮ってください」というのも
気が引けるので、これから私自身の
写真を撮ってもらうときはズームを
一杯にしておいてカメラを渡すのが
しいとこの時気がついた。
これからはこの方法だ。
尚、上記の写真はズーム最高の写真をさらに部分的にトリミングしたものである。
裏門から校舎の南側の塀沿いの歩いた。
西門から校庭の写真を撮り、運動場を覗いた。昔あったグランドのスタンドが
なくなっていた。
ちょうどいい時間になったので、母校を後にした。
西へ向かい、「谷町六丁目」というところから地下鉄に乗った。
「西長堀」というところで乗り換え「阿波座」で降り、1kmほど北へいった場所に
今日の会場の大阪国際会議場があった。
第一部が記念式典で12時半から2時半まであった。
2時ごろから猛烈に空腹感がしてきた。朝6時半に朝食をとってから何も
飲み食いしていないので当然である。歩いているときは不思議におなかが空かないが
こういうときは別である。合間にジュースかなにかの自動販売機がないかと
探しに行ったがなかったので辛抱した。
第二部が祝宴である。
来賓が太田大阪府知事他、
4時近くになってやっと乾杯となった。
高校卒業以来そのた何十年ぶりで会えた人もあり、それなりに楽しく有意義だった。
5時半ごろ散会した。
私は中ノ島の川沿いに歩いて私の実家まで約7km歩くことにした。
中ノ島より堂島川を写す。
田蓑橋だったとい思う。
中の島を歩いていると、日銀の大阪支店があった。外観は昔のままのように
思ったが、その敷地の広大さに驚いた。この一等地によくもこれだけの土地を
確保しているものだ。
大阪市役所の新庁舎を通り過ぎたところが大阪府立図書館である。
大阪府立図書館(中ノ島図書館)
閉まっている様子なので、この図書館も古い、どこかに
近代的な図書館ができ、ここは閉鎖され、取り壊すのか
と思ったが、案内板を見ると、今日は土曜日なので
5時閉館とある。
「えっ、この図書館まだ現役か」とびっくりした。
中は現代的システムになっているのかもしれない。
この図書館にはいろいろ思いである。
今でもあの頃のこの図書館の職員の横柄な態度を
思い出されるが、いったいあいつらは自分を何様と
思っていたのかと腹立たしくなる。
少なくとも、府民の奉仕者という意識はかけらも
なかった。今でもそうかもしれないが。
大阪市庁と図書館の間に確か、護国神社といったか、神社があったと思うが、なくなって
その分市庁舎が広くなっているように思った。私の記憶違いかもしれないが。
図書館の東隣の中ノ島公会堂は工事中だった。独特のレンガ造りの外観を残しつつ
中の改装工事ではないかと思う。
鉾流橋で堂島川を渡り、川の北側の道を東へ向かって進む。
この通りに古い家が並んでいたので
写真を撮る。
随分以前からここで商売をしてきたという
感じの家である。
大阪でもところどころでこういう古い家を
見かける。
近くに天満天神があるので、その中を
通り抜け行くことにした。
天神祭りの時は大変な人出があるのかも
しれないが、特に書くべきこともなし。
造幣局の北側に「泉布観」という大阪最古の迎賓館跡がある。建物がそのまま
残っていて、いまでも文化行事に使われているようである。この建物の写真を
撮りたいと思ったが、今日はもう遅くて門が閉まっていて、中庭に入れなかった。
写真は諦めた。
桜ノ宮橋の立ち、大川を見る。ここは飛行機がよく飛んでくる場所だ。
ほとんど1分おきに飛行機が下りてくる。北へ向かっているから、まさか伊丹空港へ
向かうのではないと思うが、関西空港へ降りる飛行機の待機コースとなっているのかも
しれない。
川と高いビルと飛行機の写真を数枚撮る。
東野田の交差点に着き、真っ直ぐ京橋へ出てもよかったが、ここから北へ向かう道は
それこそ何十年も歩いていないのでそちらを選ぶ。
7時も過ぎたので、晩飯にする。
大阪へ来ての楽しみは「きつねうどん」と「ばってら鮨」である。
鮨は明日の楽しみにしてうどん屋へ入る。
メニューを見て、今日は「てんぷらしょうがうどん」にした。
ビールも注文した。
「てんぷらしょうがうどん」というのはてんぷらうどんに青じその上にのしょうがを
擂ったものがのせたものである。
私は初めて食べたが、てんぷらとしょうがが混ざった味が独特のもので、
なかなか美味しかった。
ビールはアサヒのスーパードライの中瓶である。
スーパードライといえば、今月初め滋賀県水口で泊まったホテルの宿泊の感想を
インターネットのこのホテルの掲示板に書いておいた際、ホテルの食堂で飲んだ
グラスビールが美味かったので銘柄を教えてほしいと書いておいたら
返事が掲示板に出ていて、銘柄はアサヒのスーパードライと教えてくれた。
「えっ、スーパードライってそんない美味しかったかな」
私も発売当時ずーとこのビールを飲んでいたことがあったが、そんなに美味いとも
思わなかった。最近は家で飲むのは発泡酒である。
それも名古屋弁でいう「なるい」(軽い、穏やか、まろやかというような意味か)
タイプのものである。
「そうか、それなら外で缶ビールを飲むときはしばらくスーパードライにしてみるか」
ということになった。
うどんを食べるときは中瓶では多い。小瓶でちょうどいいくらいだ。小瓶がないから
しかたがない。
「うどん食う スーパードライの 残りたる 」
ということであった。
うどん屋を出て、阪大工学部のあった跡はどうなっているのか、興味があったが
市立東高等学校になっていた。
この高校があの広大な敷地を使っているとは信じられないが、そうらしい。
8時ごろ城東区の私の実家に着き、久しぶりに母親に会う。
しばらくして銭湯に、これも十年ぶりくらいで行ったが入場料が360円もするのには
驚いた。家に風呂の無いものが毎日銭湯に行くというのは大変な贅沢になっている
ということである。
風呂上りに自動販売機のポカリスエットを飲む。
缶ビールも入っていた。
番台のおばさんにこの風呂は何曜日が休みかと聞くと、休みは特に決まっていないとの、
日曜日は何時から開いているのかと聞くと、日曜日は朝6時から開けているという。
休みの日曜日に朝早く朝風呂に入り、風呂上りに缶ビールを飲むのも、これも
ひとつの人生ということか。
以上