平成13年6月3日
水口センチュリーホテル〜水口城址〜旧東海道〜石部宿〜草津宿〜JR草津駅
(25.4km)

写真はありません。

デジカメのメディアがおかしくなり、昨日の後半部分と今日の写真は全部
失敗しました。ノイズが一面に出ていてとても見れません。
スマートメディアではこういうこともたまにあるのかもしれません。
誠に残念ですが、仕方がありません。



さて、二日目の朝目を覚ますと、5時前である。
いくらなんでも早すぎる。またうつらうつらと寝る。
次に目を覚ましたのが6時半過ぎである。
起き上がって窓から下を見ると、近くの公園でジョギングしている人がいる。
朝から走っている人もいるわと思いつつよく見ると、どうも女性である。
女の人も朝早くからジョギングするんだなと感心した。

私も起きて、食事前に街を歩くことにした。
あの3本筋の両側の通りを見ておきたいと思ったからである。
デジカメを持って、ホテルの外へ出たら、ジョギングしている女性が帰ってきた。
外人である。
なるほど、外人さんかと納得。

昨日来た道を辿りながら、三本筋の交差点まで行った。
今日は、この道の南側の道を東へ歩く。特に目に付くものなし。
1kmほど歩いて、また東側の交点に着いた。
こんどは北側の道を元来た方向へ歩く。
水口の町は土蔵のある家が多い。
その土蔵に、選挙が近いせいか、べたべたと政党のビラが貼ってあるのが、
全くの目障りであった。
特に記すべきものもなかったが、ところどころ古い家が残っているという程度で
ある。なにかの本で、江戸時代からの旅館が今でもこの水口で営業をしているとか
見たような記憶があるが、昨日も今日も気が付かなかった。

ホテルへ帰るとき、道を間違ってすこし遠回りをした。
結局、1時間ほどかけて5kmも歩いてしまった。
今日はこれから二十数キロ歩くのに、朝の散歩の5kmが余分だったかな。

ホテルの朝食はバイキング形式である。
昨日は気が付かなかったが、外人が多い。外人の観光客の団体が泊って
いたらしい。

朝食の後、部屋へ戻り、トイレを済ませ、準備をする。
私は長距離を歩くと、その後左足の4番目の指に豆を作りやすい。
今日も水ぶくれができかかっていて痛い。
バンドエイドを貼り、直接靴に当たらないようにした。

8時55分ホテルを出た。予定では8時に立つ予定だったが1時間ほど
朝の散歩のせいで、遅れてしまった。
別に何時までに着かなければいけないものでもない。遅れたのは仕方がない。

東海道を歩く前に水口城址へよることにした。
元々、水口城は水口の町の北側にある大岡山という山にあったそうであるが、
関ケ原の合戦の後、廃城となった。徳川家康はこの地の大徳寺というお寺へ
よく泊ったそうであるが、将軍の宿泊所として水口城が作られたそうである。
京都の二条城と同じ目的ということであり、この城の施工の監督は二条城と
同じく小堀遠州である。
また、天守がなかったのも、二条城同様であった。

現在の水口城は堀、石垣が残っているが、おそらく元のものの東半分が
残っているのではないかと思う。
西側は運動公園になっている。
この城跡の写真もまずまずいい写真が撮れたと思ったが、メディアの不調で
見せられないのは残念である。

東海道に戻り、石部宿を目指して歩き出す。
真っ直ぐに西へ向かっての一本道である。

北脇繩手という案内板があった。
繩手は畷とも書き、田んぼの中の一本道のことである。
松並木があったが、どう見ても最近植えた松と思われた。
昔このあたりにあった松並木の再現というわけであろう。


両側一面の田んぼである。
ここを歩く旅人は山から吹いてくる風をまともに受けて、冬はたまらなかった
だろう。松並木は風除けになるし、夏は日陰をつくる。
昔の人の知恵はすごいと思う。

どんどん真っ直ぐ歩いて、横田渡跡に着く。
東海道は野洲川を横田渡で越えたらしい。そのための大常夜灯があった。
それがそのまま今でも残っている。東海道筋でもこんな大きい常夜灯は
ほかにはないのでないかという気がする。
今は勿論渡しはない。大分遠回りして、横田橋という長い橋を渡る。

横田橋を渡った正面がJR草津線の三雲駅である。
ここから東海道はJR草津線と平行して草津へ向かう。

しばらく歩いて草津線の踏切を渡り、線路を右に見ながら、道はほぼ
一直線である。

いつくかの川を越えるがこの辺りの川は天井川である。
琵琶湖にそそぐ川は天井川が多いと聞いていたが実物を見るのは
初めてである。
川が運んできる砂のせいで、川床がどんどん高くなり、
川の下を道が通っているものが天井川である。
大砂川という天井川のトンネルをくぐったところに階段があるので
上へ上がって川を見てきた。川といえども水はぜんぜん流れていない。
落ち葉が溜まっていて、水が流れた気配はまったくない。
しかし川底は石でできているようで、しっかりとできている川であった。

この東海道筋でいくつかの天井川のトンネルを通り抜けた。

11時50分石部宿に着いた。
石部宿の近くに金山があったそうで、そのイメージから硬い人物のことを
石部金吉ということになったらしい。
そういう人物が実在したわけではないし、そういう寓話があるわけでもない。

石部宿には宿場としてのものはなにも残っていないといってもいいくらいである。
資料館がどこかにあるそうだが、立ち寄らなかった。
小島本陣跡という石碑が立っている。横に石部町の案内板があり、
この小島本陣は大変豪壮な本陣だったらしいが、老朽化のため昭和43年に
取り壊されたということである。
その跡に小島という表札の家が建っているが、これがまた鉄筋プレハブというのか
ちゃちな家である。東海道の中でも特に立派だったという大本陣の子孫としては
恥ずかしいような家である。
隣の家は昔風の立派な家であった。


石部宿を出てまた、歩くのみである。
この辺は灰山といって鉱山のあとが多い。その関係か道に沿って
コンクリート工場とかが多く、歩いていても退屈なところである。

名神高速をくぐった辺りからまた、旧東海道らしい道になる。

栗東町六地蔵というところに着き、「旧和中散本舗」という建物があった。
単体の建物としては東海道に残っている建物として抜群に大きいものだと
思われる。
事前に予約しておけば内部も見学できるとか。
江戸時代、小休本陣として用いられたため、造り内装も立派だそうである。
「和中散」というのは胃腸薬として重宝された粉薬である。
その店舗、製薬場がそのまま保存され、国指定重要文化財である。
隙間から除いてみると広い土間が見えた。
横が庭園になっており、県指定の名勝。

通過するところどころで、
「東海道林村  何々屋」「東海道小野村 何々屋」「東海道手原村 何々屋」という
看板を家々に出ていた。
それぞれ旧東海道の歴史を感じさせられた。

東海道新幹線のガードを通り抜け草津に近づく。また元気が出てきた。


今日も一々書かなかったが、数人の人に会った。
それぞれしばらく雑談した。
一番最後にあった人は30代の男性で、話し掛けると
「この道は東海道ですか」と聞かれた。「そうだよ」というと
「ああよかった」草津の街中で2回道に迷って、大分ロスしました」
という。
大阪の人で、京都から歩き出して、京都から石山まで歩いて、
今日は石山から石部まで歩く予定だそうだ。
なにかガイドブックを持っていたが、田舎の一本道を歩くのなら
迷うこともないが、市街地を歩くときは間違いやすいということである。
草津はこの道を突き当たったところを右に曲がるとすぐですよと
教えてくれた。

1時55分草津に入り、草津川の堤防に上がる。
川といっても全く水がない。この川の下を国道一号線が通っている。
典型的な天井川である。

草津宿に近づくにつれ、なにか人の集まりが見える。

「東海道400年記念、草津宿場100年祭り
タイムスリップイン」とかいうイベントをしていて、大変な人出である。
数十人の中高年の男女が揃って、ぞろぞろどこかへ案内されて
入っていったが、なにか催しがあるのかもしれない。

駕籠に人を乗せたり、天秤棒で何か運んだり、いかにもわざとらしい
ことをやっていた。

馬鹿馬鹿しいので付き合っておれないが、見学の予定だった草津本陣も
かなりの人が入っているようで、ここへ入るのは次回にすることにして
草津駅へ急ぐことにした。

草津川をくぐるトンネルを通り、賑やかな商店街を歩きながら
草津駅着、2時20分 25.4km

電車が出るまで20分くらいあるので、早速缶ビールを買って
駅のホームでつまみをぼりぼり食べながらビールを飲む。
今日も昼飯は食べそこなったが、特に空腹感なし。

6時ごろ帰宅、今日の総距離33.0km 総歩数47,130歩だった。

この2日間の経費
ホテル 5,775円、JR地下鉄バス 3,780円 夜食昼食など1.572円
ビール及びつまみ642円、お茶、ドリンク、ミネラルウオーター662円
合計12,431円

初めて宿泊して2日連続でウオーキングしたが、それなりの経験に
なって成果はあったと思っている。

以上