(今回より拡大写真へのリンクは省略します)


平成13年6月2日

JR関西本線関駅〜旧東海道関宿〜坂下宿〜土山宿〜水口宿〜
水口センチュリーホテル(31.9km)

今日は、かねて念願の一泊での東海道ウオ-キングを実行した。
関〜水口と水口〜草津というコースである。
今回のコースを歩くことについては、「日本町並み館」にリンクしておられる先輩諸氏の
ホームページでの体験記を大いに参考にさせて頂いた。お陰で道に迷うこともなく
大したロスをすることもなく、歩くことができた。
また、宿泊についてもインターネットの「旅の窓口」で比較的安くていいビジネスホテル
を予約することができた。
インターネットがなければ今回のウオ-キングはできなかったと思う。

6月2日朝6時半に家を出て、名古屋発7時32分のJR関西本線の亀山行きに乗った。
居眠りしている間に亀山に着いた。
まだ早いせいか、ハイカー、ウオ-カーらしき人はいなかった。

亀山から関まで一駅また乗らなければならないが、すこし時間があるので、改札を出て
今日の昼のお茶とおにぎりを買いに行く。
駅の売店にはお茶はあったが、おにぎりがない。パンをひとつ買ったが、今日のコースは
コンビにもないところらしいので、すこし心もとない。
駅の外を見ると、すぐ前に弁当屋がある。そこならおにぎりもあるだろうと思って、買いに出る。

亀山発加茂行きの電車は1両のワンマンカーである。
乗客はそこそこで30人くらいか。
数分ほどで関に着いた。
関で数人の人が降りた。



駅の跨線橋の上から写真をとる。




駅の待合室で準備をする。
長袖のシャツを脱ぎ、リュックに入れる。この後ずーと半袖のTシャツ一枚である。
デジカメを取り出し、肩にぶら下げる。
携帯ラジオをジーパンの尻のポケットに入れる。
ICレコーダーを胸ポケットに入れる。
ガイドブック「東海道五十三次を歩く 第五巻」を手に持つ。
9時15分、いよいよスタートである。

駅の正面を出たすぐの国道一号線に出た左側にバス停があり、女性3人がバスを待っている。
東海道ウオ-キングとすぐわかったので、歩み寄って話し掛ける。
中年女性2人とそのどちらかの娘さんと思われる若い女性一人である。
その若い女性が、私と同じ本を持っている。
「これから東海道を歩くの?」と話し掛けると
「前回坂下まで歩いたので、今日はこれからバスで坂下まで行ってその続きを歩きます」とのこと。
「で、坂下からどこまで行かれる?」と聞くと
「行けるところまで」
「水口まで行きますか」と聞きと
「頑張れば行けますよね」と言われる。
そこで私は関から水口歩くつもりだというと
「わあーすごい、頑張ってください」と励まされた。
「じゃー」ということで国道一号線の信号を渡って、旧東海道へ向かった。


500メートルほど歩くと、旧東海道に行き当たる。
いい写真が撮れないかと思って、坂下とは反対側になるが、少し亀山方面に向かった。
写真を撮れそうなところは駐車中の車が邪魔だったり、工事中に家に掛かっている
青いビニールのシートが目障りでいい写真は撮れなかった。
それでも関宿では数枚写真を撮ったが、先を急ぐことにした。
東の追分と西の追分の間約1kmが関宿である。
去年10月きた時は、東の追分に近いところは、電柱があり、電線が張られていたが、
今はすっかりすっきりして電線は地中に埋められたのか、電柱は見当たらない。
古い町並み、関はこれで完成ということである。



東の追分に9時50分着いた。




ここからはしばらく国道一号線を歩くことになる。
道が広くなっているところは、長距離トラックなどの小休憩を取る場所になっているのか
下に弁当の空き箱、ポットボトルの空き缶などが散乱しているのは、いかにも汚い感じである。

一号線をしばらく行ったところで、分岐して脇道へ入る。
小さな部落を通り過ぎ、また一号線に合流する。
30分弱歩いたところで、一号線と分かれる。ここから鈴鹿峠を越えるまでは
旧東海道が続く。

ここで40代の男性に会う。
坂下までバスで行って、東海道を下ってきて亀山まで行く予定とのこと。
時間からみて、関で見かけた3人連れの女性と同じバスで坂下まで行って
こちらへ向かってきたのであろう。
お互い、がんばりましょうということで別れた。

沓掛部落のところどころに古い家が見受けられる。

東海自然歩道の標識があった。
この辺りは東海自然歩道が旧東海道と重なっているらしい。
鈴鹿峠という案内があるから、鈴鹿峠までは旧東海道と一緒らしい。
東海自然歩道は案内標識が充実しているから、安心である。

突然、「日本橋」「品川」と書いた柱が立っているのに出会った。
先輩のホームページの記事を思い出した。
この近くの小学校が、東海道五十三次の宿場を示す柱を立てているのだ。

その柱の並びの左側に、変わった形の建物があった。
「鈴鹿馬子唄会館」である。
中へ入った。
馬子唄を書いた紙とか坂下宿、土山宿の写真などが貼り出してある。
中のホールには、馬子と馬のレプリカのようなものがあった。
トイレを借りた。
事務所には女性の方がおられたので、ここを管理している関町の役場の人ではないかと
思う。
二〜三十台は車を停めれるような駐車場もある。
一日どれだけの利用者があるのだろうかと思った。


11時ごろ、坂下宿に到着。
(余談ながら、坂下は「さかのした」と読む)

坂下宿は、まったく何も残っていない。ここには古い家並みもない。
本陣跡、脇本陣跡の石碑がわずか立っているだけである。




大竹屋本陣跡の石碑




「坂下には、大竹小竹 宿はとりたや、小竹屋に」
という鈴鹿馬子唄の一節にあるが、その小竹屋脇本陣跡という石碑は道の反対側の
畑の中にあるはずだが、私は見落とした。

坂下宿を通り越し、そのはずれたところで、国道一号線の下り車線に合流する。
しかしここでその国道一号線の側道を歩くのではなく、東海自然歩道の鈴鹿峠という
案内に従って山道に入っていった。
いかにも東海自然歩道そのものという道である。
階段道を上り下りするが、これが旧東海道か、旧東海道なら馬も行くし、駕籠の往来も
あるはず。こんな狭い、アップダウンのある道が旧東海道だろうかと疑問に思ったが
しかたがないから、ふうふう云いながら山道を歩く。
ここしばらく東海自然歩道を歩いていないから、きつく感じる。

上ったと思ったら、ほぼ同じくらいだけ下ったところでまた、国道一号線に合流した。
そこでまた、案内板に従って、一号線と別れて山のほうへ入っていく。
(この道を歩く人は、坂下宿のはずれで国道一号線に合流したしたところで、案内板に
従って山道に入らずに、一号線の側道を歩いて、片山神社の入り口から山道に入る方を
お勧めする。その方が山道を上り下りするのが助かる)

すぐ片山神社がある。神社の正面を見て右の方へ、石の混じった、がたがたの道で
雨が降った後なら川のようになっているのではないかと思われる道、かなり険しい
九十九折れの上り道をしばらく上る。
すると、国道一号線の下り車線の下へ出る。その下をくぐってからまた、ひとしきり
九十九折れに曲がりながら上っていくと、急に開けたところに出る。
そこが鈴鹿峠である。
茶畑があり、果樹園や小屋もある。
峠とはいえ、えらいだだっ広いところである。

峠といっても山頂ではない。左右両側には高い山が連なっている。
地形的に云うと鞍部である。
そうなんだ、峠というのは鞍部なんだ、今更ながらこんなことに気が付いた。

そこから少し歩いたところに「万人講常夜灯」という大変大きいものが立っている。




万人講常夜灯





今から270年くらい前に立てたらしいが、高さが5メートル半あり、重さが何十トンも
あるだろうに、よくこんな山の上まで運んで、据え付けたものだ。
特に傘の部分は1枚岩でできており、大変な事業だったろう。

この前に休憩所があり、今日始めて休憩してお茶を飲む。

写真を撮っていると、50才くらいの男性がきて、写真を撮る。
私の方から話し掛け、お互いのカメラで写真を撮りあった。
京都から東海道を区切りながら歩いているそうで、今日は土山まで電車とバスを利用して
きて、これから亀山まで歩くつもりだと云っておられた。これまでは日帰りできたが、
名古屋を過ぎたあたりからは一泊して歩いて、来年3月までには日本橋まで行きたいと
のことだった。
私も今日と明日の予定を話して、お互いがんばりましょうということで別れた。

その時、私より年配の夫婦が来て、常夜灯の前で写真を撮っているので、私が二人一緒の
写真を撮ってあげた。ここのすぐ横まで車が入ってこられるようで、大阪ナンバーの車で
ある。
私が歩き出してすぐ、この大阪ナンバーの車に追いつかれて、車の窓を開けてどこまで行くと
聞かれたので、水口まで行くというと、そちらへ行くので乗りませんかと誘われた。
私は歩いているので、その誘いをお断りした。
この人たちからみると、私のように長距離歩くということは信じられないことなのだろうと思った。

さて、そこからだらだらと下っていったところで一号線に合流した。
ここからはずーと一号線の側道の人道を歩くことになる。

どんどん歩く。
一号線を結構、車はよく通る。それでも今日は土曜日だから少ないほうなんだろう。
これは平日だったら、たまらんほどだと思う。


東京から436kmの標識
向こうの方にみえるのは、工事中の
「第二名神高速」の橋桁である。
「第二名神」はこの辺りを通るのか、
いつごろできるのか、この様子では当分
先のような感じである。






土山町の「道の駅」に12時45分に着いた。
「道の駅」というのは、ドライバー向けの休憩所であり、土山町の観光案内所でもある。
ここからまた、旧東海道は国道一号線と別れて静かな田舎道を行くことになる。
この道の駅から土山宿まで約1.5kmである。のんびり歩けるところである。

先の方に3人連れの女性が歩いているのが見える。
ひょっとして朝、関のバス停で会った三人ではないかと思って、急ぎ足で歩く。

やがて追いついたら、やはりあの3人連れだった。もう昼過ぎだし、途中で昼食をして
休憩をしながらこられたのだろう。
やあーと挨拶すると、もうきたのと驚いていた様子。
お先にと言って、追い越す。

いよいよ土山宿に入り、古い家並みを見る。
土山というと必ず
「坂は照る照る 鈴鹿は曇る あいの(間の)土山雨が降る」という鈴鹿馬子唄の
有名な一節が引用される。
この場合の坂は坂下ではない。水口側の坂である。水口側から鈴鹿を見て
その間にある土山は雨というから、理屈から云っても水口と土山の間にある坂という
ことであろう。
どちらにしても山岳部の気象に激しい変化を唄にしたものらしい。


土山宿で一際よく目立つ旧家の写真を
撮る。
表に
「東海道土山宿
油屋権右衛門
土山の町並みを愛する会」
という標識を貼り出してある。
この家だけではない。
殆ど全部の家が先祖の職種、屋号を
貼り出してあるのである。




土山宿の真中くらいにある「うかい屋」という民芸品と喫茶をやっている店に
入った。
この店のことは、先人のホームページで知った。ここのご主人は東海道保存の
運動で名のしられた人らしい。
ちょっと話を聞きたいと思い、コーヒーでも飲もうと思った。
入り口はいろいろ民芸品を置いてあり、奥にテーブルがあり、喫茶になって
いる。
メニューを見て、クリームぜんざいを注文した。
奥さんとご主人の母親らしい腰の曲がったおばあさんがいる。
そのおばあさんがいろいろ説明してくれた。
東海道400年の記念イベントで、比叡山でもらった火をリレーでつないで、
日本橋まで運ぼうというのがあるそうで、そのパンフレットを出しながら
説明してくれた。
そのリレーは、この辺りはもう通り過ぎたが、ここのご主人もこの関係で
東京の方へ行っているとか。
この家の先祖はここでずーと昔から住んでいるわけではない。戦争後外地から
引き上げてきて、ここを買って住み着いたとか。
そんな話をききながら、ぜんざいを食べた。




そこを出て、しばらく行ったところに
「土山宿本陣跡」があった。
立派な家で今もその子孫が住んでおられる。
明治天皇が京都から江戸(もう東京と改称し
ていた?)に向かうとき
この宿で誕生日を迎えられ、「天長節」
(11月3日)の第一回をこの地で
祝われたのが、土山の誇りだそうである。






「道の駅」から土山宿に向かう途中も、
土山宿を過ぎてからも、道の両側は
ずーとお茶畑が続いている。
土山はお茶の名産地だそうで、
そのせいか、宿の中にもお茶が何軒か
あった。
お茶の中でも高級な煎茶でコンクールで
賞をとったとか、表示があった。




土山宿を出て、水口へ向かう。

途中特に記すべきこともないが、土山宿を出て相当の距離になるのに、
旅籠跡の石碑がいくつも立っているところがあった。
間の宿というのかもしれないが、公の宿以外では旅人を宿泊させるのは
禁止されていたのではないかと思うが、どうだったのかなというのが
そこを歩きながらの私の疑問であった。

先ほど追い越した女性3人組は私がうかい屋に入っているうちに先へいかれたが
私が歩き出して、ぜんぜん姿を見なかったので、土山で歩くのを止めてバスに
乗られたのだと思う。そうでなければ再び追いつくはずだと思う。
土山から水口までまだ10km以上あり、2時間半はかかる。


2時過ぎ、道筋に日陰でベンチがあったので、そこで休憩した。
お茶を飲み、家から持参したバナナを1本食べた。
これが今日の昼飯である。
結局、朝買ったパンとおにぎりは食べなかった。
歩いている間は、お腹がすかない、食欲がないのはいつものことである。
食べて食べれない訳ではないが、食べる気がしないだけである。
パンおにぎりを買うときも結局食べないのではないかという気がしないでも
なかったが、売店も自販機もないところをかなりの距離を歩くので、途中で
何か食べたいと思っても買うところがない。そのために買っておいたが、
無駄になった。結局捨てたがもったいない話だ。

今日は、天気がよく、当然暑い。しかし風もそこそこあってさわやかである。
今日ぐらいであれば暑くてたまらんというほどではなかった。
今日は、ハンカチを広げ、帽子の後ろに差込み、帽子の後ろに垂らすように
して、後頭部と首筋に直接太陽が当たらないようにして歩いた。

25kmを過ぎると、さすが疲れて、根気、持久力がなくなってくる。
惰性で歩いているようなものだ。
気を紛らわすためラジオを聞きながら歩く。
NHK第一は今日は生ごみ特集で私には興味のない話である。民間の野球中継を
聞きながら歩いた。
滋賀県の山間部でも名古屋のNHKと民間の東海ラジオがきれいに入っていた。

早くホテルに着いて、風呂に入って、ビールを飲みたい。
それが頭から離れない、そんな状態で歩きつづけるうちに水口町という案内板が
みえた。やれやれと思いつつ、そこからでもまだまだホテルまで約5kmある。


4時すこし前、水口宿の東見付跡に到着、水口宿の入口である。

古い家並みが続く中、ガイドブックによればこの辺りに本陣跡、脇本陣跡があるはずだが、
いくら気をつけてみてもわからない。ひょっとしたらその標識もないのかもしれない。
通りかかった年配の女性に聞いても知らないという。
また、水口宿の中心はもっと向こうの方である。
こんな中心からはずれたところに本陣や脇本陣があるとは思われない。


すこし行くと三本筋の分かれ道に出た。
ここで道は3つに別れる。真ん中の東海道をはさんで、その両側(北側と南側)にそれぞれ
東海道と平行して道が約1km通っている。その先でまた、この3本の道がひとつになる。
両側の道にもそれぞれ古い家並みが残っているとのことであるが、今日は疲れたので
真ん中の東海道を進む。
やがてアーケードの商店街になる。
この商店街がご他聞にもれず、寂れた商店街である。今日は土曜日の午後4時だというのに
シャッターを下ろした店が多い。日曜日に休んでいるのなら話は分かるが、土曜日である。
営業をやっていないということなんだろうか。
ところどころ開いている店は婦人物の洋品屋である。この商売は強みがあるのかなと
感心した。

道がまた合流したところが、水口石橋である.
単線の近江鉄道踏み切りを渡る。駅がすぐそばである。

そこからホテルまでまだ1kmほどある。

ホテルの手前のコンビニで缶ビールとつまみを買った。


午後4時25分、水口センチュリーホテル着。
今日の総距離、33.3km  歩数 47,670歩だった。

このビジネスホテルは、インターネットの「旅の窓口」というサイトを
通じて予約した。10階建てでこの辺りでは一番高い建物である。
この「旅の窓口」は会員数は100万を超え、登録ホテル数も全国に7400以上あり、
先月の利用数31万というから相当の規模のホテル予約システムである。
水口センチュリーホテルはこのサイトを通じて申し込むと
「土日とくとくパック」というのがあり、それだと朝食付きで5500円(税別)で
ある。これはお徳用である。東海道ウオ-キングの皆さんにはお勧めしたい。

さて、ホテルに着いて、料金5775円を先払いで払い、チェックインする。
部屋(禁煙ルームをお願いしておいた)に入り、缶ビールを冷蔵庫に入れ、
バスに湯をはる。
風呂上り後ビールを飲みつつ、テレビを見てすごす。
ベットでしばらくうたた寝して、7時半ごろ1階のレストランへ行った。
夕食はこのレストランか隣に平和堂という大きいショッピングセンターが
ある。ここの平和堂はずいぶん大きいショッピングセンターである。
2階の食堂街は夜10時まで開いているそうである。

私は出て行くのも億劫なので、ホテルのレストランで済ませた。
チェックインの時、レストラン10%引きとグラスビール1本のサービス券を
くれた。

あまり空腹感もないので、天ぷらうどんを注文した。

先にグラスビール(グラスの3分の2くらいの大きさ)を持ってきたので、
先にビールを飲む。
「美味い」ビールの冷え加減といい、口当たりのうまさといい、
「これがほんまのビールや」思わず感嘆した。
部屋で飲んだ缶ビールはなんだったのだろう。
これに比べれば、生ぬるくて泡ばっかりや。
やっぱり本物のビールは違う。
そんなことをつくづく感じさせられた。
(私の話で、ウオ-キングの後はビールの話がつきまとうが、よほど
アルコール好きと思われては心外であるので、敢えて書いておくが
私がアルコールを口にするのは土日だけである。それも大体350の
缶ビール1本である。その間の平日は原則として飲まないことにして
いる。但しあくまでも原則として)

ホテルのロビーで今日の新聞をじっくり読んで部屋へ戻ったがすることが
ない。ベットに寝転びながらテレビを見て時間をつぶす。
10時過ぎに寝た。

以上