平成13年4月28日
愛知県西枇杷島町〜旧美濃路〜清洲宿〜稲沢・稲葉宿〜一宮・萩原宿〜尾西・起宿(25.1km)

今日は東海道の続きをやらず、美濃路を歩いてきた。

旧東海道の続きとしては、関〜坂下〜土山〜水口までを歩きたいと思っている。
先週は多忙で毎晩遅かった、このコースを歩くとなるとかなり家を早く出る必要が
あるなど、体調が万全でないこの時期に鈴鹿峠越えの30kmはちょっときつい。
また、水口まで行くなら、ここで一泊して次の日に草津まで歩きたいが、連休に入
る時にホテルが取れるのかなどなどの理由で、旧東海道の続きは断念した。

さて、美濃路というのは、旧東海道の脇往還といわれる街道である。
ご存知のとおり、旧東海道は、名古屋の宮から海上を船で桑名へ渡ることになるが
船を嫌うものや鈴鹿の山越を避けたい旅人が選んだコースの一つが美濃路である。
美濃路は、宮宿〜名古屋宿〜清洲宿〜稲沢・稲葉宿〜一宮・萩原宿〜尾西・起宿へ
辿り、起で木曽川を渡り、後、墨俣宿、大垣宿を経て、垂井で中山道に合流する。

宮からの現在の名古屋市内のコースは分からないし、調べている間もない.
2ヶ月くらい前の新聞で名古屋市郊外の西枇杷島町に美濃路が通っていて、昔の町並みの
一部が残っているという記事を読んだので、いつか行ってみたいと思っていた。
また、例によって「日本の町並みリンク」から美濃路に関するいろいろな情報を得た。
道路地図をみて、美濃路は国道126、127、136号線が大体合致するように思われた。
そこで西枇杷島町から尾西起まで歩くことにした。

道路地図をコピーして用意した。

今日は比較的遅く、いつも出かけるときより2時間くらいゆっくり家をでた。
名鉄名古屋本線で名古屋から3つ目の駅西枇杷島に着いたのが丁度10時だった。

地図を見て、問屋町というところへ歩く。
石の道標がある。よく見なかったが、町が立てた案内板があり、町指定の史跡という
ことである。1メートル弱に石の道標が史跡か、この町にはたいした歴史的なものが
ないのかなと思いつつ、歩き出す。
通りは確かに昔の街道筋という感じがしないでもない。
ずーと商店街になっているが、いかにも昔から商売やっていますという風の魚屋さんが
あった。
この町でまず見るものは「問屋記念館」という建物である。
500メートルほど歩いたところに、すこし奥まったところにあった。


問屋記念館
山田九左衛門家は名古屋下小田井の
由緒ある問屋の一つで、この建物は
江戸時代の問屋の形態を残す町家で、
美濃路沿いのこの場所に移築したそうである。
中へ入ると、広い土間があり、その奥が帳場、
またその奥が住いとなっていたらしい。
奥行きのずいぶん深い建物である。
この土間と通りに面したところが問屋の商売の
場であったらしい。
家の中には商売をしている問屋の並びの
ミニチュアーがあった。
私が行った時は、この記念館が開館したばかりなのか、ご老人がせっせと雑巾がけをしておられた。
青果問屋を表すのか、土間には野菜の模型を籠などに入れて並べてあった。

一通り見て、退出する。
表は小公園になっている。
この町の主に美濃路に面した、史跡の一覧が地図に書き込まれていた。
大したものは内容に思われたし、昔そうだったというだけで今それが残っているという
ことではないらしい。
確か「村瀬銀行跡」とかいう表示があったので、大正時代の銀行の建物が残っているのか、
地図から見ると、今まで歩いてきた途中になるが、そんなものはなかったのになと思いつつ
念のためと思って引き返したが、やはりそのようなものは見当たらなかった。

新川町方面に向かって歩き出す。
ところどころ、古い建物も残っている。適当に写真を撮りつつ進む。


西枇杷島のとなりの新川町に入って間もなく、
二軒並んだ古い家があり、ロープで立ち入り
禁止にしている家があった。
かなり古い家らしいが、住んでいなくて
近いうちに取り壊すのでないかという感じが
した。


西へ向かっていた道は大きくカーブして真北に向かう。
清洲町に入る。
船いり町とか長者橋とか昔の名残かと思わせる地名がある。


いかにも昔風の立派な旧家が並んでいた。
その隣が現代風の工場であるので、こんな
ところになんの工場かと思って表の看板を
見ると、清洲桜酒造と書いてあった。
酒造メーカーと納得。
この写真の古い建物は、その工場の昔の
造り酒屋さんの建物ではないかと思う。
昔はこちらで酒を造り、横へ工場を作ったので
はないかと想像する。
大体、造り酒屋は旧家でその時代の財産家が
多いのだと思う。


地図を見て、国道を辿るのでなく、自分自身の勘で、美濃路はこちらでないかなという感触で
歩いていたが、美濃路清洲宿本陣跡という標識を見て、やっぱりこの道かということで
自分の勘が当っていることが分かって嬉しかった。


美濃路清洲宿本陣跡という標識があった。
この家は林という表札がかかっていた。
昔の本陣の後裔なのかもしれない。
この奥に住んでおられるようである。
ここを歩いていて、初め左側の洋館に注目し
た。林医院という看板が出ていた。
大正時代の洋館ではないかと思うが、
いかにも昔のお医者さんという感じである。
そう思いつつ、その隣の建物に本陣跡という
標識を見たので、ちょっとびっくりした。



清洲には清洲城というのがあるが、確か最近復元したものだったと思う。
町が復元したか、私人が復元した、よく知らないが、どちらにしても興味がないので
寄らず、先を急ぐ。
新幹線、東海道本線のガードをくぐり、高速道路の入り口があり、この辺りは道が分かりにくい。
自分の勘で進んでいくと、また古い旧街道の町並みになる。
どんどん北へすすむ。時々地図で現在位置を確認する。
清洲町の一場というところを過ぎ、稲沢市に入る。
途端に「美濃路公園」というのがあり、美濃路の地図がある。
「日本町並みリンク」の美濃路にリンクしていた、誰かのホームページでこの地図を
見たことを思い出す。やはりこの道が正しいのだと再確認する。
やがて国道136号線に出て、ここで左折して西へ向かう。
後は、郊外地のどこにでもある道を歩くことになる。車のよく通る普通の道である。
そんな道を5キロくらい西向きから北へ向かいつつ歩いて、稲沢市の古い町に入る。


稲沢市稲葉宿の入り口に当るのか
古い家並みが続く。
この北向きの道の突き当たりに
農業改良普及所というのがあって
そこに「美濃路稲葉宿本陣跡の碑」という
石碑が立っていた。
何代か前の愛知県知事の揮毫らしい。

そこを左に曲がって、また西に向かった
あたりが、旧稲葉宿の中心だったらしい。




その通りに面して、立派な旧家があった。
ずいぶん大きい家である。
この写真で傘を差した女性が写っているが
その辺りまでがこの家である。
よこの路地を入り、裏へ廻ってみたが
いくつか土蔵があり、奥もかなり深い。
とにかく抜群に大きい家である。
そうとう名の知れた旧家なのであろう。


後、ところどころ古い家並みの残る道を西北に歩いていると国道41号線に出た。
自動販売機でお茶を買い、お茶を飲みながら歩く。

41号線を真北へ1キロ弱歩き、また中島道場北という信号で136号線に入り、西北へ向かう。

また、旧街道風の道をどんどん歩く。
やがて一宮市萩原地区に入る。
そこからかなり歩いて、名鉄尾西線の踏切を越し、萩原の商店街を歩く。


萩原商店街のはずれ

左の石碑には「美濃路萩原宿本陣跡」とある。
石碑はまだあたらしい。
昭和56年一宮観光協会と裏に彫ってあった。


萩原宿を出て、ここまでくればもう一息だと思ったが、そこから起まで結構あった。
旧美濃路らしい道を地図と勘をたよりにどんどん歩く。


萩原宿を出たとき、なんとなしに時計を見たら、もう2時半である。えっもう2時半か、意外に
時間がかかったものだ。起に3時にはつけるかなと思いつつ早足に歩いた。

3時10分、尾西市起の歴史民俗資料館に着く。
ここが一応今日のゴールである。


起宿の旧脇本陣の建物

尾西市歴史民俗資料館の別館になっている。
資料館の本館はこの左側に立派な建物で
立っている。
本館ができるまでは、この旧脇本陣が
資料館になっていたのではないかと思う。


資料館に入る。入場無料。

昔の町並みのミニチュアー、舟橋のミニチュアーなどのほかにいろいろな資料の展示あり。

美濃路は名古屋の宮の渡しを避けるために使われたらしいが、ここから垂井方面に
行くためには木曽川を渡らないといけない。
木曽川には橋がなかったので、ここで嫌でも船で渡るしかなかった。
起宿には3箇所渡船場があったそうである。
将軍の上洛その他特別の場合にに船を集めて、それを繋いで橋にして、それを渡ったらしい。
それが舟橋である。そのミニチュアーを見たが、川の流れに90度の角度で船を繋いで
いくのではなく、川の流れの方向に船を並べてその間を板か何かを渡して橋にしたようで
そのため270艘以上の船を集め、全長855メートルの日本最大の舟橋だったそうである。
江戸時代の150円年くらいの間に18回架橋したとある。それが済むとまた、取り外すので
大変なことだっただろう。

中を見学したあと、美濃路を解説したビデオをしばらく見つつしばらく休憩した。

その後、脇本陣の中を見ようと思って行ったが、草花展をしていたので、中へ入らず。
せっかく来たのだからと思って、渡船場跡を見に行くことにした。
しばらく北へ向かって、起の町並みを歩く。


旧起宿の町並み
ところどころに古い家が残っている。



渡船場跡は金毘羅さんの前にあった。大きな常夜灯がある。大変立派な常夜灯である。
天保年間に建造されたものとある。
渡船場跡からすぐ横が木曽川である。随分大きい川だ。対岸がはっきりわからないほどである。
1キロ弱かと思うが、それでも船で渡るというのは、なにかとたいへんだったろう。

ここから引き返し、バス停に向かう。
名鉄バス起バス停着、4時15分、25.1km
日曜日でも15分毎にバスがあることは調べてあったので、慌てることもない。
しばらくしてバスがきたが、高校生で超満員である。
車内の騒がしいことに辟易しながら、名鉄新一宮駅には15分ほどで着いた。

名古屋ですこし用事を済ませ、6時半頃帰宅する。
今日の総歩数は、40,940歩だった。

以上