平成13年4月22日

関西本線加佐登駅〜旧東海道〜庄野宿〜亀山宿〜関宿(17.8km)

今日は、4月1日に続き、旧東海道を西へ向かって歩いてきた。
今日は前回の続きで関西本線の加佐登駅から関まで歩くことにした。
距離的には15〜6kmしかないので、やや不満だが次の坂下宿まで歩くと、
坂下は関町の北のはずれで交通面で極めて不便なところである。
帰りの適当なバスがない。
そこで今回は関で止めておいて、次回は関から水口まで歩きたいと思っている。
朝7時ごろ家を出て、名鉄瀬戸線の大曽根で降り、JRに乗り換える。例によって
JR東海の青空フリー切符を買う。今回はあまり得にはならないが地下鉄分くらい
安くなるというところである。
名古屋駅発8時21分の亀山行くに乗る。そこそこ乗客がいる。
四日市で大分乗客が減った。
隣にJR東海の「東海道ウオ-キング」の地図を持った親子連れらしき二人がいた。
親子連れといっても親の方は私よりかなり年配である。
しばらく雑談をする。

JR東海の「東海道ウオ-キング」が設定した10のコースの内、一番西寄りが
「亀山〜関」のコースである。関西線では亀山までがJR東海のテリトリーとなって
いるので、これより西側ではコースが設定できないのかもしれない。

今日のこの電車にはこのコースを歩くハイカーがかなり乗っているはずである。
この親子もこのコースを歩くらしい。
「亀山から関まで歩かれるのですか。距離は物足りないのでしょう」と云うと
その親の方がJR東海のウオ-キングマップを見ながら、
「それでも8キロあるから、ちょうどいいよ」と答えられた。
私は「えっ、8キロもあるの、おかしいな」と思ったが余計なことは言わなかった。
亀山〜関は6km弱であるから、このマップでは亀山城へ回るとか、距離を伸ばす
コースにしてあるにかなと思った。

加佐登駅に着いたので、この親子連れに分かれて電車を降りる。
加佐登駅で降りたのは私の他は男性一人のみ。

9時35分歩き出す。

コンクリート工場の傍を通り、東海道を目指す。
国道の信号を渡った辺りが、もう庄野宿である。



庄野宿資料館というのがあった。
旧小林邸とある。元の脇本陣の建物を
資料館として使っているもの。
開館は10時から4時までと案内板に書いてある。
写真を撮って通り過ぎる。




本陣跡は公民館になっていた。その他問屋跡、高札場跡などの表示があったが
全体として先ほどの資料館以外はなにも見るべきものがないという感じである。
元々庄野宿は一つ江戸よりの石薬師宿とも近く、宿ができたのも最も遅く宿場町と
しては発展していなかったようで、旅籠の数も15軒と少なかったということである。
静かな田舎町である。

所々で「東海道 三重 平成13年10月から11月」というのぼりを見かける。
今年の秋には、三重県で旧東海道のイベントがあるらしい。
東海道400周年の一環の催しがあちこちにあるのだろう。

安楽川という川にかかる和泉橋を渡り、亀山市に入る。

歩き出して丁度1時間で関西線の次の駅の「井田川駅」に着く。
旧東海道が駅前を通っている。駅と言っても駅舎のない無人駅である。
吹きさらしの駅である。わずか雨を避ける簡易のひさしがあるだけである。

ここから亀山市なのか、亀山「江戸の道」という案内板がある。
旧東海道の説明がある。
その後、道路に東海道のマークがあったり、それなりの市としての取り組みが
あるということである。

亀山というと「亀山ローソク」といいローソクがもともとの地場産業なのか、
日本のローソクの圧倒的シェア-を占めているとか。
その亀山ローソクの工場を過ぎた辺りから、亀山の町並みになる。

所々古い家並みが残っている。
ガイドブックの地図を見ながら、市街地の中の旧東海道を辿ることにする。


街の中心街の商店街の真中を車が通り、
両側がアーケードになっているが
ご多分に漏れず街の商店街の空洞化という
のか、活気のない商店街となり、日曜日と
いうのに、閉まっている店が多い。
侘しい商店街である。



私は、うらぶれた昔風の商店街は好きだが、こういう風に真中に車道のある商店街は
好きではない。

道はまた、狭い旧道に入って行く。
所々古い家がある。



写真を撮っていると、私くらいの年令の
ご婦人が私に話し掛けてきた。
こういう連子格子が珍しいかと聞く。
私が古い家がよく残っていますねと言うと、
「こういう家は丈夫で長持ちするが、そこの
連子格子の家ももうじき壊すよ」という。
「えっ、壊すのですか」というと「住むのに
不便で嫌だよ」とか云っておられました。




私なんかの外のものから言わせてもらえば、壊されるのは困るが、住む人から云えば
そうはいかないということでしょう。

亀山城跡に近づいてきた途端、「東海道ウオ-キング」の地図を持った夫婦づれやらのグループが
多く見かけるようになった。
それこそ何十人もいる感じである。
今日は天気もいいし、沢山の人が来ているのであろう。



亀山城址
昔のものとしては、写真の多聞櫓と石垣が
残っているそうである。



ここから写真だけ撮って、城址へ立ち寄らず、先へ急ぐ。

城から少し歩いたところに亀山藩家老の屋敷の長屋門と土蔵が残っているというので、
それを見てきた。どうということほどのものでもない。

亀山は宿場町より城下町というイメージが強いせいか、宿場町として面影らしきものは
一つもない。私が気が付かなかっただけかもしれないが、本陣跡、脇本陣跡の標識なども
無かったと思う。

亀山の町を通り越して後の方が、古い町並みがあちこちに残っているという感じがした。
古い家の写真を撮りつつ進む。


野村の一里塚
当時のものそのままで残っている。
道の北側しか残っていないが、当時のものがほぼ
完全な形で残っているのは珍しいということで
国の史跡に指定されている。
木は椋の木である。


野村の一里塚を過ぎ、のんびり歩いていたら、向こうから自転車を押しながらやってきた
ご老人が、東海道を歩いとんだら道が違うぞと教えてくれた。先ほどの分岐を間違った
らしい。その老人の話を聞きながら、元の分岐まで戻ることにした。
このご老人も旅行が好きで、あちこちの名所旧跡を訪ねるのが好きだとか。
高杉晋作とか伊藤博文の名前が出てくる。

その内に分岐まで戻った。確かに東海道という標識があったが、小さいため見落とす
はずである。その老人に礼を言って分かれる。


後、大岡寺畷という鈴鹿川横の一本道を歩く。桜並木の下であるので、4月初めなら
綺麗なところだろう。
平野の真っ只中なので、風が強いともろに風を受ける。今日も風が強いので帽子を
反対にかぶって歩いた。
江戸時代もこの辺りは鈴鹿おろしの風を受けるので、旅人は男女とも頭から頬かむりを
して歩いたとか。

名神高速道路の高架下には、三重県下の宿場を描いた広重の絵を大きく模写したものが
数枚あった。これもひとつの慰めであろう。

やがて関宿に入る。
関には去年の10月にきたばかりである。
特に変わっているわけではないが、「東海道ウオーキング」の参加者が宿内をあちこち
うろうろしている人が多いも思われた。


関宿はまったく異次元の世界である。
やっぱりすごいと思う。
古い町並みで揃っているといえば
長野県の妻籠だが、妻籠は箱庭の町並みと
いう人がいたが、そのとおりだと思う。
関は自然の町並みである。
ここで住民は毎日普通の生活をしているので
ある。妻籠のように観光客相手のみの商売を
しているわけではない。観光客が一人もこなく
ても生きていけるわけだ。

その点が妻籠と決定的に違うということか。


同じく関の町並み


あらかた、町を見終わったころ、今から駅へ急ぐと電車に間に合うので、今日は
関へ行く楽しみにしていた初音の「おひつまぶし」を諦めて帰ることにした。

関駅着 1時15分 3時間40分 17.8km

電車に乗ると、今朝の行きの電車にいた親子連れに再会した。
早いですねと驚いていた様子だった。

午後4時に帰宅。
今日の総歩数 32,550歩