平成13年2月18日

岡崎〜旧東海道〜藤川宿〜赤坂宿〜御油宿〜豊橋 29.3km


旧東海道の続きを歩いてきた。

今まで名古屋の宮から知立まで、知立から岡崎までの2回歩いたが、
2月中に豊橋まで行きたいと思っていた。
2月も後2回しか休みがないし、最後の日曜日は雨かもしれないし、
そんなわけで18日に行くことにした。
名鉄で1日名鉄電車、名鉄バス乗り放題の切符2100円というのが
金券ショップで1700円で売っていた。ただし2月中のみ有効である。
これも2月中に豊橋まで行こうと思ったきっかけである。

今日はガイドブックとして講談社ソフィアブックスのシリーズの中に
ある「東海道五十三次を歩く」という本を持ってきた。
全東海道が5分冊に分かれていて、A6版120ページくらいで
1600円だから高い本である。
しかしこの本の地図が国土地理院の二万五千分の一をそのまま引用して
あるので、馴染みがあるので見やすい。
勿論、「日本往来・東海道ウオーキング」の「吉田〜御油〜赤坂」の
地図も持ってきた。

さて朝7時半ころ、家を出る。
名鉄瀬戸駅まで歩き、名鉄、地下鉄、名鉄、名鉄バスを乗り継ぎ、
岡崎の若宮町バス停につき、そこから9時40分歩き出す。

まず、そこから500メートルくらい歩いて、この前のウオーキングの
ゴールにした、岡崎27曲りに案内板に着く。



何を表すのか、分からないが、
大層な案内である。


ここからしばらく歩くと国道1号線に合流する。
松並木がすこし残っているのは、旧東海道のなごりであろう。

今日は天気がいいので、すこし歩くと汗ばんでくる。
マフラーはバスの中でとって、リュックにしまっていたが、
ここで帽子を脱ぎ、コートも脱ぎ、リュックにしまう。

東名高速の岡崎インターの入り口に差し掛かる。
国道はインターへ入る車優先になっているので、人間はそのまま
国道に沿って歩けないようになっている。
大きく遠回りして細い道に誘導される。

旧東海道を思わせるような感じの道で、遠回りさせられたことに
不思議に腹立たしく感じなかった。

また、一号線に合流し、また旧東海道に分岐する。
ところどころ古い家も残っている。
古い家を見ると嬉しくなってくる。
また、いかにも昔からの商店(自転車屋だったり煙草屋だったり)を
見ると、商売がんばってますかと声を掛けたくなる思いである。

大平地区に入り、東海道から100メートルくらい外れるが、ガイドブックに
載っている「西大平陣屋」というのに見に寄る。
大岡越前守の領地のあったところで、陣屋というのは代官屋敷だと思うが
今ある陣屋は最近(おそらく平成に入ってから)復元されたもので
全く新しい。立派な門があり、その周りを塀がはりめぐらされている。
案内板があるわけでもなく、勿論中へ入れるわけでもなく、いったいこの
陣屋はなんのために復元されたのか、不思議である。
中に人が住んでいるわけでもないようだし、これでは観光名所にもならないし
まったく、よく分からない代物である。

旧東海道が残っているところでも、川にかかると、旧東海道にあった橋は
ないのが多いので、そのため国道一号線に戻って、その橋を渡ることが
よくある。そして橋を渡るとまた、旧道に戻るのである。

岡崎市内では、東海道という標識、道標がかなり沢山ある。
旧東海道を歩く者を、励ましていてくれるようで、けっこう嬉しいものである。

天然記念物岡崎源氏蛍発生地という碑があった。
昭和10年に建てられたらしい。


岡崎の美合地区に着く。





旧東海道の案内標識あり。




旧道にはところどころ、土蔵のある古い家もみかける。

いよいよ、藤川宿に着く。11時丁度、6.5km



入り口の松並木である。
ここもよく車の通る道である。




西棒鼻(入り口)に藤川宿の案内あり。
横の小学校が、今日はバザーでもしているのか、校庭が車が一杯で
体育館に沢山の生徒や父兄がいる。
中へ入ってトイレを借りる。
ここから藤川宿の中心部まではすこし離れている。

かっての中心には、本陣はないが、脇本陣の跡に藤川宿資料館がある。
無人の資料館で小さい建物である。資料館の入り口の門がかっての脇本陣の
建物の門だったそうである。

その写真を撮り、歩き出す。



古い家も数軒あり。
わずかに残る旧東海道のなごりか。
他には藤川宿には見るべきもの少なし。




また一号線に出て、反対側に渡る。
右に一号線、左に名鉄本線に挟まれた、狭い間の旧道を歩く。
岡崎市の舞木地区というところである。

いよいよ暑くなってきたので、長袖シャツと下のTシャツの袖を
巻くって半そでになる。

岡崎の一番はずれになる本宿に着く。
コンビニに寄る。トイレを借りる。
その駄賃として、なにを買うか思案したが、帰りの電車の中で
ビールを飲むことにして、そのつまみのおかきを買う(105円)

旧東海道沿いに古い家というより、昔風の会社の事務所があり、
裏が工場なのか、大きい煙突が見えた。その写真を撮る。
味噌かなにか、食品関係の工場のようであった。

岡崎のはずれに法蔵寺という家康ゆかりのお寺がある。
家康が幼少の時に過ごしたところとか。
また新撰組の近藤勇が江戸で斬られて、その首が京都で晒されていたのを
かっての同士がそれを盗み出し江戸へ運ぶ途中でここに埋めたということで
ここにその首塚というのもある。




そのお寺のちょうど前に古い立派な家が
あったので写真を撮る。




また、一号線に合流するが、この辺りの一号線に歩道がずいぶん広く
とってあり、歩きやすくなっている。
岡崎の終わりの地点に(東京方面からくれば岡崎市の入り口になる)
「東海道ルネッサンス」という岡崎の案内がある。

岡崎はずいぶん長い。やっと次の音羽町に入る。

音羽町長沢地区でまた、旧道に入る。



ここで、古い町並みが残っていた。




やがて、次の宿、赤坂宿につく。
赤坂が音羽町の中心らしい。
町役場は気が付かなかったが、洒落たデザインの図書館が東海道に面して
建っている。



赤坂の名物の旅籠大橋屋
慶安年代創業の古い旅籠である。
今も旅館として現役である。
こういうところへ一度は泊まってみたいものだ。





もうひとつの見所の尾崎屋
元々は曲げ物屋であるが、今は民芸品を
売っているようであるが
旧東海道の面影を残す数少ない建物である。




ここの信号が赤坂紅里町という。
紅里町いう言葉が表すように、ここは東海道屈指の紅灯の
宿だったそうである。
大体、赤坂宿と次の御油宿とは当時の中心部を計っても
わずか1.7kmしか離れていない。実際は御油の松並木を隔てている
だけである。実質的には引っ付いているといってもいいくらいである。
旧東海道での宿場間で最も短い。
赤坂宿は色町という役割みたいなものがあったのであろう。





有名な「御油の松並木」
約600メートル
天然記念物に指定されているだけあって
見事なものである。
それだけの見ごたえがあると思う。



御油は豊川市である。

ここで東海道ウオーキングの女性に会う。
ウオーキングしている仲間というのはなんとなくすぐ分かるものである。
こういうところで会って懐かしいというのも変なものだが、お互いすぐ親近感の
わくものである。
「やあー」と声をかける。
私と同じくらいの年代か。
しばらく雑談。

今日はじめてこの「日本往来。東海ウオーキング」に参加したそうで、
朝9時ごろ豊橋を出発したそうであるが、すこし道に迷ったとか。
それでか、随分時間がかかっていると思った。
「日本往来」の地図を見ながらこれから赤坂まで行って、また豊橋へ帰って
新幹線で名古屋へ帰るような口ぶりだった。
JRはそういう風な切符の売り方をしているのかもしてるのかもしれないが
名古屋〜豊橋は名鉄もあるし、高いJRを使うこともないし、況や新幹線など
もったいなくて使う必要などさらさらないのでないか。
赤坂までくれば、すぐ近くに名鉄の駅があるから、そこから名鉄で帰れば
いいではないか。半分以下の電車賃で済むと思う。






御油宿の町並み




町並みを通り越したところに、御油の松並木資料館というのがある。
寄ってみた。
昔の松並木に使われていた松の根っこが資料館の表に展示してある。
びっくりするほど大きいものである。
資料館は入場無料
留守番役の老人がパンフレットくれた。

中には、御油宿、赤坂宿の復元模型、江戸時代の諸道具、書物などが
展示されている。

資料館を出て、歩き出すとまた、古い町並みがある。

新栄町という信号のところにも古い家があったので、写真を撮る。

御油から豊橋までが遠い。ガイドブックでは10.2kmとある。
ほとんど一本道である。
うんざりするほどの距離である。

歩いている内に、やがてまた、国道一号線に合流する。

ここでまた、「日本往来」に地図をもった中年女性に会う。
国道一号線を向かい側に渡る地下道がこの辺にあるのかと
聞かれた。
もう3時近かったからこれから赤坂まで行くとなるとちょっと
遅くなる感じだが、大して気にもしていない様子で、前の女性同様
やはり豊橋まで戻らないといけないと思っている様子。
JRの切符の売り方も不親切だと思うが、そんなことを私がとやかく
云っていてもしかたがない。
気をつけていってくださいと言って分かれた。

豊川市のはずれに小田淵町というところにすこし古い家並みがあり、
写真を撮る。

豊川市を通過し、小坂井町に入る。

地図を見て、次の大きい目標として、大きい川「豊川放水路」というのを
設定したが、なかなか行き着かない。
その手前で、JRの踏み切りを渡る。地図を見るとJR飯田線らしい。
あっここかと地図で確認。豊川はもうすぐである。






小坂井町の古い家並み





豊川放水路という大きい川を渡る。
これを渡るといよいよ豊橋市かと思うと、どうもそうでもないらしい。
放水路というからには、元の豊川とは別に作ったのだろう。すると本来の
豊川が分岐になるのかな。大きそうな川はずっと向こうだがと思っていると
豊橋市の看板あり。
よくわからないが小さな川があったような、なかったような感じである。

豊橋魚市場というのがあり、その近辺が魚の問屋、関連の食材会社の支店
などが軒を並べる。

先ほどからずーと右足の裏側がつっぱるように痛いので、どうしたのかなと
思いつつ歩いてきたが、だんだんひどくなる感じがするので、マッサージでも
してみようと思って、道端に座り込む。靴を脱ぐと驚いたことに、靴下に
血が滲んでいる。靴下を2枚はいているが、もう一枚にも滲んでいる。
靴下を脱ぐと、右足の親指の付け根で一番出っ張っているところが
皮がむけて、血が出ている状態である。こんなことは初めてだ。
歩き始めた頃、新しい靴の靴擦れ防止のため、バンドエイドを数枚リュックに
入れていたが、それを思い出し、残っているかなとリュックのポケットを探す。
汗にまみれてボロボロに近い状態だが、3枚ほどあったのでよかった。
それで傷口の上に張った。
直接傷口に当らなくなったので、痛みはなくなったが、無理は禁物。

ここから豊橋駅までまだ3kmはある。
バスもなさそうだし、JRは一駅の間隔は長いが、名鉄なら近くに駅が
あるかもしれないと、ガイドブックの地図を見る。
名鉄の線路に「しもじ」という駅がある。
そこへ出てから電車で豊橋へでることにした。
1km弱歩いて、駅へついたが、なにか様子が変である。
JR飯田線とある。えっ名鉄と違うのか。どう見ても地図では名鉄の
線路である。名鉄の電車は来るが、通過して止まらない。
JR飯田線と名鉄が同じ線路を使っているらしい。こんなこともあるのだ。
飯田線なら本数が少ない、一日に何本しかないのではないかと思ったが、
そうでもないらしい、この辺りは1時間に2本あるようで、幸いなことに
10分ほど豊橋行きがあるらしい。やれやれ。
こんなところで何十分も待つのはたまらんよ。
今日のウオーキングはここまでにすることにした。
4時25分着、6時間45分、29.3km

豊橋につくと、反対側のホームに名古屋行きの名鉄の特急がすぐ出るところ
そのまま、空席を探して車両を移動する。一番前の一番前に空席あり。
やれやれだ。ビールを買う間もない。ビールは家まで辛抱することにした。
名鉄、地下鉄、名鉄、バスを乗り継ぎ、7時丁度に帰宅。

今日は家を出てから帰るまでの歩数、49,260歩。

以上