平成13年1月13日
名古屋市地下鉄伝馬町駅〜宮の渡し〜旧東海道〜鳴海〜有松〜名鉄知立駅(23.2km)

今日は初めて旧東海道を知立まで歩いてきた。

東海道を歩き出した経緯について少し書いておきたい。

先日、ある新聞に愛知県刈谷市のことが書いてあり、その中で刈谷市の北部に
旧東海道の面影が残る町並みがあるということを知った。

その新聞社に電話をして、その場所を聞き、更に刈谷市役所文化振興課というところで
詳しいことを教えてもらった。
場所は刈谷市のはずれもはずれ豊明市に近いところで、その町並みの写真を撮りに行くことに
した。同じ行くならウオーキングを兼ねてということだが、地図で調べると、この前有松へ行った時と
同じくらいの距離である。しかし途中まで同じ道なので面白くない。

何かいい方法はないかと考えて、この有松へ行った時、有松駅でウオーキングはやめたが、
もうすこし旧東海道を歩くつもりだったので、逆に名古屋から旧東海道を歩けばいいのではないかと
思いついた。

そこでインターネットで旧東海道を歩いた人の記録のホームページがあるのではないかと
思って検索したところ、JR東海の「日本往来・東海道ウオーキング」というHPがあった。

このHPが設定した旧東海道のコースを歩く時は、主に新幹線を中心として
運賃料金が30%〜50%引きになるらしい。
参加回数が多くなるほど割引率が高くなるので、運賃の安い近くで回数を稼いで遠くへ行く時は
安くしたいと思ったが、これがスタートするのが1月20日であるので、その時に歩いても
よかったが、思いついたらすぐ行きたいものである。

同じコースをまた歩いてもいいやと思って、とりあえず今日歩くことにした。

「完本 東海道五十三次ガイド」(講談社 +α文庫)を参考にして、名古屋市および近辺を
道路地図からコピーを取って準備をする。


名古屋市地下鉄「伝馬町」駅を降り歩き出す。9時50分

まず、「宮の渡し」跡まで歩く。
当時はここまで陸路を歩いてきて、ここから海路で桑名へ渡ったところである。
海上が7里あったので、「七里の渡し」という。
「宮の渡し公園」という小公園があり、その中に「宮の渡し跡」がある。


七里の渡し場跡

この常夜灯は後年復元されたものだ
そうである。
すぐ前が大きな川になっていて、
正面が船着場になっている。
驚いたことに今でも船が出るらしい。
まさか桑名まで行くのではないだろうが
名古屋港めぐりでもするのかもしれない。

昔はここまで海がきていたのだろうが
今は埋め立てが進んで海ははるか
かなたである。

すぐ前が海に繋がる川になっているというのが、せめても慰みである。
横に大きい「時の鐘」という建物がある。昔のどこかのお寺の鐘を復元したものとか。
寒い時で観光客もいないが、一人2人の夫婦連れらしいひとがいた。
この前に昔の旅籠が2軒残っていて名古屋市の文化財に指定されているそうである。
1軒は目の前にあるので、すぐわかった。車が表につけてあるのが目障りである。

しばらくして東海道という標識に従って歩き出す。
このあたりは広い国道の多いところで、旧東海道は各所で分断されている。
歩道橋を渡り、信号のある交差点まで迂回するので、旧東海道を見失いやすい。
一部旧東海道がそのまま商店街になっているので、商店街のアーケードに東海道と
書かれている。
その商店街が終わると、標識がない。地図を見ながら、歩く。

そのうちに国道一号線にぶつかる。その側道を1kmほどあるき、一号線と別れて
旧東海道を歩く。東海道という道標などはないので、地図を時々見ながら歩く。
今日は土曜日で車の往来は少ない方だろうが、そこそこ車が通る道である。
普通の下町の商店街と町工場と住宅の入り混じった道である。東海道の面影は
全くない道である。この辺に住んでいる人もこの道が旧東海道と知らない人も
多いのではないかと思った。

ところどころで古い家も見かける。
そんな一軒である。
税理士事務所だが、古い家を半分
残し半分を現代風の建物に建て替えている家である。
多分旧家でわざわざ昔の家を
残したのであろう。
好感を持ったので写真を撮った。
税理士稼業は今が忙しいらしく
土曜日でも今日は仕事をして
おられた模様。

ガイドブックによれば途中もお寺とか神社とかあるようだが、私は興味がないので、一切無視して
歩く。


笠寺観音

この観音ははじめてきたが
節分の時はすごい人出と聞くが
その割には境内も大きくない感じ
である。



笠寺観音を過ぎた辺りから、車の往来がずいぶん多くなった。この道が重要なルートになって
いるのであろう。
同時にまた、古い民家もあちこちで見かけるようになった。この辺りは太平洋戦争でも
焼けなかったのであろうし、それなりに古い家の保存のため手入れをされているので
あろう。

そんな街道筋に残る一軒の
写真である。



天白川にかかる天白橋を渡る。今日渡った橋では一番大きい橋だが、江戸時代もここに橋が
あったのかなと疑問に思った。この川そのものがここに流れていたのか、どうかしらないが
もしそうだとしたら、かなり大きい橋がないと渡れないと思うがどうだったのか。

どんどん歩いて、右折して南に向かう。
イトウヨーカードウ鳴海店の大きい建物が見えたので、すこし遠回りになるが寄り道する。
中へ入ってトイレをかり、水を飲み、小休憩する。
ウオーキングの時は、途中にスーパーがあるとよく利用させてもらう。
スーパーはその地方の重要なインフラという意味が大きいと思う。


やがて鳴海に近くなる辺りから、やはり古い建物をあちこちに見かける。
鳴海の中心街はごじゃごじゃしていて、元の本陣跡などはなにか標識があるはずだが
気がつかなかった。


鳴海の中心をすこしはずれたところ
にすこし古い町並みが残っていた。

車の通行が激しいが、しばらく
待って写真を撮る。


鳴海を通り越して1km余り歩いた時、突然、古い町並みが飛び込んできた。
「なんだ、これは」と思って、道横の掲示板を見ると、有松町にきたらしい。


この前、有松に来た時は反対側から
きて、有松駅から電車に乗ったので
駅から鳴海よりには来ていなかった。
この感じでは駅からこちらよりの方
が古い町並みが残っている感じで
ある。「しまった。もうすこし歩けば
よかった」と思ったが、そのせいで
今日は見れたのでよかったかも
しれない。
デジカメの電池が切れた様子で
しまったと思うが、コンビにらしきもの
がない。しばらく行くと電器店が
あったので、電池を買う。高いが
仕方がない。電池を入れてもと来た
道をすこし戻って写真を撮りなおす。しばらく歩くと覚えのある有松駅前に出る。
その駅前通りから向こうが、また車の往来の激しいところである。
この前写真を撮ったところでまた何枚か写真を撮る。


有松駅前から東側は車も人も
通行が多い。
車が途絶えたところで写真を撮る。
観光客らしいひともちらほら見る。


有松を通過すると旧東海道はすぐ国道一号線に合流する。
しばらく行くとまた別れて旧道を歩く。また合流するという感じが続く。
中京競馬場近くで、桶狭間古戦場跡という標識があったので、すこし寄り道をした。
碑が一本立っているだけである。一応写真を撮ってまた国道に戻る。

国道一号線と平行して走る殆ど一直線の旧東海道を歩く。
豊明市に入る。
2km余り歩いて、また一号線に合流する。今日は土曜日だがさすが一号線だ車の通行は多い。
しかしよく見るとこんなところにも明らかに昔からの家と思われる家が残っているものである。

やがて境川を渡る。ここが尾張と三河の境であるらしい。同時に豊明市と刈谷市の境にも
なっている。
刈谷市に入ってしばらくしてまた旧道に入る。次に一号線に合流する1kmほどが
今日私が訪ねようとした、刈谷市今川地区の古い町並みの残るところである。


刈谷市今川地区

古い民家がところどころ残っている。
有松のようにそれが町並みになって
いないし、積極的に保存という意図も
ないのではないかと思った。

はるばる歩いてきて、
これだけ見に来たとしたら、がっかり
したかもしれない。

しかしそれ部外者の勝手な言い草で
あって、地元に人には失礼なことで
あろう。


また一号線に出て、ひとすら歩く。すぐ知立市である。
刈谷市は一号線も旧東海道もその北の端のごく一部をかすめているだけである。
刈谷市の部分はは3kmもないのでないかと思う。

一号線と別れて知立市街地に向かう。道が複雑に錯綜しているのでどれが旧東海道か
分かりにくい。
知立城跡というのがあった。公園というより子供の遊び場という感じである。
古い町並みという感じが少し残る道を歩く。

本陣跡というのを探して歩くが、分からなかった。


「池鯉鮒銘菓」というお菓子屋が
あった。
旧家のお菓子屋さんだろう。
この「池鯉鮒」の字を見つけ
写真を撮る。
この「池鯉鮒」をなんと読みか
わかりますか。
よれを「ちりう」と読むらしい。
知立「ちりゅう」というのは
後でつけた名前でしょう。
どちらにしても「池鯉鮒」が
知立の古い地名である。
知立がどうして「ちだち」や
「ちだて」とか読まずに難しく
「ちりゅう」と読むのか、不思議だったが、「知立」という漢字そのものが、後から当てはめた字なんだろう。もともと「ちりゅう」という読みが
あったのだと思われる。

それで旧本陣跡の標識が「知立本陣跡」となっているか「池鯉鮒本陣跡」となっているか、確認したかった
のだが、確認できなかった。通行人の年輩の人にも聞いてみたが知らないようだった。
私のガイドブックでは、宿場一覧表では「知立」になっているので、まんざらそう新しいことでも
ないのかもしれない。

また知立へはまた来ることもあると思って、駅へ向かう。
名鉄知立駅着 3時10分 5時間20分 23.2km
私の歩数計のよれば上記のとおり23.2kmだが、ガイドブックに「宮〜知立」の距離は
17.5kmである。実際歩くのは寄り道もするし、ガイドブックや地図の距離より相当余分に
歩くことを覚悟しておく必要があるということである。

今日は家を出て帰宅するまでの歩数40260歩だった。

以上