平成12年9月30日(土)

京都・知恩院前〜祇園新橋〜五条大橋〜京都駅(3.9km)

今年の夏は特別の夏だった。
暑い日が続いた。大雨があった。私の生活にも異常があった。
生涯、忘れることができない夏となるだろう。


ホームページの更新も長くご無沙汰した。
それまでは、しゃにむに更新を続けてきたが、最早それほど執着する気もなく、
可能な範囲でやっていきたいと思う。


さて、2ヶ月半ぶりにデジカメを持って出かけた。
京都でのある会合に参加するためである。
午前の用事は午前10時半から始まり11時には終わるだろう。
京都・百万遍近くでの同じ会場での午後2時からの午後の会合までに3時間くらい
時間があるから、せっかくきた京都を歩いてみたい。
それも、単なる観光名所もつまらない。

そこで、まえからの続きで、「重要伝統的建造物群保存地区」を訪ねてみよう。
京都には「重伝地区」は4箇所ある。
産寧坂(清水寺門前)、嵯峨野鳥居本、祇園新橋、上賀茂である。
産寧坂は観光客が多そうだし、嵯峨野鳥居本は遠すぎる。
上賀茂と祇園にした。
京都市のホームページから市バスの時刻表、ルートを調べ、地図を見て、
丹念に計画を立てた。


世の中のことは、そう簡単にいかない。
午前の会合が遅れに遅れ、終ったらもう1時前である。食事をしたら、すぐ午後の会合が
始まる。
あっさり、今日の計画を諦めた。


午後の会合は予定どおり午後4時半に終わった。今更上賀茂へ行く気もせず、
小雨の中、名古屋へ帰るため、京都駅行きのバスに乗る。
バスの窓から外を見ていたら、予定していた祇園の近く通るではないか。
折角きたのだから、祇園新橋だけでも寄ってみようという気になった。
一番近いバス停の「知恩院前」で下りる。午後4時45分。小雨がぱらつく中歩き出した。


新橋通りを進むうち、それらしき所に着く。


これが
「重要伝統的建造物群保存地区」
である。
何故か知らんが、オートバイが
十台余り留まっている家がある。
いったいどうなっているんだ。



上の写真からもう少し歩いた所。
家の中を修理しているのか、
工事屋さんの車が停めてある。
頼むからこんなことはやめてくれ。
他にも乗用車などが停めてある。

真中に見える、青っぽいスーツの
人(御茶屋さんの番頭さん?)に
話し掛けて、話を聞く。

「最近は、御茶屋も少なくなった」
「あそことあそことか数軒のような
感じだった。
さっきのオートバイの多いのは
何ですかと聞きと
「さあー」と首をひねっていました。
「こんなとこに工事屋の車を停めて困りますな」というと
「この辺りの商売が始まるのは夜に7時半頃からです。その時分になると車もないし、
火が灯って、雰囲気が一変しますよ。情緒がありますよ。その時分に是非来てください」と云われた。
京都の人らしく、愛想の良い人だった。


祇園新橋通りを西へ向かって
撮る。


南北に走る路地の写真。
この辺りも店は店の幅はそんなに広くないが
奥行きは随分深いようである。
これがこの辺りの歴史と結びついているので
あろう。

通りの写真を何枚か撮ってから、またさっきの
お茶屋さんに戻って、さっきの番頭さんに
店の前で写真を撮ってもらった。
「緑陽」とかいう店であった。

元の写真はもう少し全体を撮った写真だが
それを縮小すると、人物像が見られないくらい
悪くなるので、自分の写真の部分だけそのままの
大きさに残すため、全体を小さくした。
(失礼しました)


後は、折角だから、小雨がぱらついたり、止む中を京都駅まで歩くことにした。
大和大路通(繩手通)という細い南北の通を南へ真っ直ぐ進む。

しかし、京都は道が狭いせいもあるのかもしれないが、車の多い所だ。
特にタクシーの多いのには呆れるほどである。
多分、人口一人当り、あるいは面積1平方メートル当りのタクシーの台数は日本一多い所なのでは
ないかと思うほどである。
しかも見たところ、ほとんど車が空車である。空車率も日本一ではないか。


四条大橋近くの四条通り
さすが賑やかだった。

どんどん南下する。


古い京都の通りらしく
古そうな商家(味噌屋さん)が
あったので写真を撮る。

五条通の近くだった。



五条大通りを通り過ぎ、そろそろ歩くのも嫌になってきた。
京都駅はたしか九条だったな、後、四条分か、ところで1条というのは何メートルなのかと
思いつつ、とにかくうんざりしつつ、京都駅まで歩いた。疲れました。

新幹線に乗り継ぎ、午後8時過ぎ帰宅。

以上